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魔女とコヨーテ」
第六話 道の先

第六話: 道の先 21

2009.12.08  *Edit 

 領境の関所は、ようやく落ち着きを取り戻していた。遺体は雨が上がるのを待って、埋葬されることになっている。仲間を失った兵たちは、もはや女を抱く気も失せ、美しい三人の娘たちは、関所の一室に監禁されていた。
「もう一班出しますか?」
 一通り兵士たちへの指示を終え、溜め息をついて通関室の椅子に戻った隊長に、その場で片付けをしていた兵士たちの一人が声をかけた。後始末と怪我人の手当てを終え、幾人かは気力を取り戻している。同僚の兵を殺した男女を、何としても彼は捕まえたかった。
「いや、いい。先に追っかけた奴らが戻るのを待て」
 視線を宙に浮かせながら、隊長は答えた。最初に提言した兵士の隣の兵も、口を開く。
「しかし、隊長。この雨の中で、一班だけで探せるかどうか。関所破りと兵士殺しを逃がしておくわけにゃ……」
「東の暗殺者集団から、賞金掛かってた奴らがいたな。噂を聞いてきた奴はいるか?」
 兵士の口上を遮り、隊長は全く別の話を始めた。しばらく顔を見合わせた兵士たちの内、一人が声を上げた。
「俺も聞きました。東の暗殺者ギルドから、金貨三十枚の大金が掛かっている男女がいますが……」
「どんな奴らだ?」
「男は二十歳ぐらいで、茶色い髪の、腕のいい暗殺者だそうです。女の方はもっと年下で、小柄な黒髪の女で、魔術師って話で……」
 隊長の問いに答えながら、兵士の頭の中で逃げた二人連れと賞金首が繋がろうとする。
 逃げた巡礼の男は黒髪だったが、髪の色などいくらでも変えられる。女の方は、特徴にぴったり合うではないか。
 動揺する彼らに向かって、隊長の声が響いた。
「暗殺者ギルドが大金掛けてるんだ。それなりの連中なんだろ。深追いすりゃ、こっちが痛い目見るかもしれん。最初に出た班が、奴らを捕まえてくりゃそれでいいし、戻らないなら、やられちまったってことだ。犠牲を増やす必要はない」
「ですが……」
 隊長の冷徹な指示に、兵たちは不満そうな表情を見せたが、彼のひと睨みで黙り込んだ。


 目蓋が信じられないくらい重い。シェリルはやっとのことで目を開ける。全身を寒さに震わせる彼女の頭上で、風に流れて、薄くたなびく雲が見えた。その隙間から月が顔を見せ、月光が微かに差し込んでいる。
 シェリルはどうにか身を起こそうとしたが、体に力が入らない。

 濁流に呑まれた後も、意識はあった。
 水流に流され、しっかりと抱き締めたコヨーテと共に、体を翻弄されながらも、シェリルは精霊と同調を保った。決して木の幹や岩などに、彼と彼女の体がぶつからないように、動きを制御していた。そして水の中にあっても、彼らが呼吸をできるよう、常に精霊に呼びかけ続けなければならなかった。
 疲れもあって、気力も限界近かった。ただ抱き締めた男の体だけが、シェリルの精神を支えていた。
 やがて川沿いに、木の根が折り重なり、地面が盛り上がった一角を見つけると、シェリルはその上に自分とコヨーテの体を横たえるよう、精霊に命じた。目に見えない手が彼らを小さな丘へうちあげると共に、川の氾濫は急激に勢いを弱め、収まっていった。シェリルが術を解いたせいだけではない。降り続いていた雨が止もうとしていたのだ。
 しかしそこでシェリルの意識は途絶えた。山道を全力で走り、大きな奥義を使い、体力・気力ともに、限界を超えてしまったのだ。

 腕が重いと思ったら、コヨーテの頭の下敷きになっているからだ。
 シェリルは静かに彼に巻きつけた腕を外した。彼女たちが横たわっているのは、湿った下草が生え揃う、柔らかい地面だった。意識を失っているらしいコヨーテの頭は、静かに大地に落ちる。
 彼女は手をついて、どうにか上半身を起こした。頭が重く、こめかみがずきずきする。微かに吐き気も覚えた。疲労の極致からまだ回復していないのだろう。
 風が潅木の葉を揺らした。雲が流れ、さらに大きく顔を出した月が、暗い夜の光を地面に注がせる。
 照らし出されたコヨーテの顔は、泥にまみれて、死人のように青白い。シェリルも顔も体も泥まみれだ。
「コヨーテ」
 横向きに地面に体を投げ出している彼の肩に手をかけ、軽くそこを叩いた。返事はない。完全に意識を失ってしまっているようだ。
 彼が矢傷を負っていたことを思い出し、彼の背中に手を回すと、太い丈夫な弩の矢がまだ突き立っているのを探り当てた。
 早く手当てしなければ。
 だが荷物は全て盗賊に襲われた時に、置いてきてしまった。コヨーテも薬草など持ち歩いていたはずだが、同様だろう。薬も無く、コヨーテも気絶しているのでは、シェリルでは手当ての方法が分からない。
 仕方ない。奥義はもう使うまいと思っていたが、シェリルはもう一度集中して、彼女たちを受け止めている、大地の精霊に呼びかけた。

 土の精霊は気性が穏やかで、人間を含めた全ての生き物に対して、慈悲深い。彼らの力の一端を、地上の生物に少しだけ分け与えてくれることが多い。そうして大病や大怪我から回復した人間もいる。
 精神の世界に入り込んだシェリルは、この辺り一帯を支配する、大地の精霊に呼びかけた。
 だが返ってきたのは、凶暴な唸り声のような思念だけだった。
 もう一度穏やかに呼びかける。しかし、敵意にも似た思念ばかりが返ってくる。
 だめだ。水の精霊を使って、小川を氾濫させ、山を濁流で荒らしたことで、大地の精霊の怒りを買ってしまったらしい。言うことを聞かせるには、もっと準備を整えて、正式な儀式を行わなければならない。無論、そんな時間は無い。
 集中を解いたシェリルは、コヨーテの顔を覗き込んだ。元々彼は色白だが、蒼ざめた月光の下では、本当に土気色に見える。
 彼がかつて、重傷を負ったシェリルに施したような、肉体の力を呼び起こさせて、無理矢理傷を塞ぐ術は、体力が大きく落ちて、時には危険だ。しかしこのままでは、傷口が化膿してしまうかもしれない。
 目を覚ましてよ。
 不安に襲われ、シェリルはそっと彼の頭に手を伸ばした。水に濡れた冷たい髪の手触りが、不快に、不吉に、シェリルの手を濡らす。
 彼女は急にぞっとして、腰を浮かす。コヨーテの頬に触れた。ひやりと冷たい。
 いや、川の水に浸かって、体が冷え切っているだけだ。現にシェリルだって同じだ。体中が冷たく、震えている。
 鼓動が早くなる。慌てて彼の首筋に掌を押し当てた。冷たい皮膚の感触が返ってくるだけだった。
 息をつく間もなく、彼の口元に手を当てる。土に汚れた冷え切った唇からは、温かい息が漏れてこない。
 手首を取ろうと、彼の腕を掴んだ。月明かりの下で、その左腕が、泥ではない赤黒い液体に濡れているのが見えた。目をこらすと、肘近くの服が裂け、そこに裂傷があるのが分かる。
 流れに呑まれる前、コヨーテは矢傷の他に怪我は無いと言っていたが、彼が一人目の男と切り結んでいた際、傷を負っていたのだろうか。あるいは、注意していたつもりだが、濁流に流される内、木の枝や何かにぶつかり、裂けてしまったのか。
 いずれにしても、傷口からの出血は既に途絶えている。

「コヨーテ……」
 呟きは虚しく宙に溶けた。
 どうしよう。待って。
 冷えていたシェリルの頭に血が上る。視界が潤んだ。彼女は意味もなく、彼の頭に手をかけた。その手が小さく震える。
 そんなはずない。
 息苦しくなり、彼女は喘いだ。
 一緒じゃなきゃ、どこにも行かない。
 だから彼が目を覚まさなければ、ここから動けない。
 もう一度、落ち着いて。鈍感な掌では、微かな脈拍や呼吸は分からないのかもしれない。指先の感覚を研ぎ澄まし、しっかり探るのだ。
 シェリルは一度大きく息をつき、彼の耳に手を当てて、そこから顎に向かってゆっくりと指先を滑らせた。手が震えている。左手で右腕を押えたが、震えは止まらない。情けない。
 顎の下と首筋の境目をそっと探る。生きているなら、まだ血が通っているなら、ここにある動脈が動きを伝えてくるはずだ。
 無い。
 脈動が見つからない。
 もう一度。もっと強く押えないと、微かな脈は判らないのかもしれない。
 シェリルは揃えた指先に力を込め、再び彼の首筋をゆっくりと探った。

 中指の先に微かな動きがある。
 弱々しいが、規則正しく動いている。
 こらえていた涙が零れた。シェリルは構わず、彼の口元に、手ではなく、耳を寄せる。雨が止み、夜の静寂に包まれた森の中で、微かな呼吸の音を聞き取った。同時に耳に僅かに温かい吐息が触れる。
 彼女は彼の頭を抱き締めた。
 人生において、こんなに安堵したことはない。彼の命を繋ぎ止めてくれた、形の分からない、すべてのものに限りなく深く感謝した。
 それも一瞬のことで、コヨーテの頭から手を離したシェリルは、すぐに彼の傷の手当てについて考えを巡らせ始めた。今生きていても、早く処置をしなければ、どうなるか分からない。
 この静かな山奥の夜の下、周囲には何も無い。誰もいない。唯一頼りにしてきた男は、意識を失っている。
 腕の切り傷は浅かったらしく、既に出血は止まっている。あとは矢傷だ。まず矢を抜かなければ。そうすると出血がひどくなるだろう。彼女が止血しなければならない。
 シェリルは今まで学んだこと、経験したことすべての記憶を総動員した。
 何はともあれ、まず傷口の洗浄だ。マライアが口を酸っぱくして言っていたのを思い出す。消毒より洗浄が大事だと、彼女は民間療法しか知らない仲間たちに何度も告げていた。
 山林を流れた鉄砲水は、すでに引いていた。だが氾濫を起こした川は近いはずだ。
 シェリルは呪文を唱え、指先に明かりを灯した。月光だけでは心もとない。そのまま立ち上がって、周囲を照らし出す。
 少し離れたところに、木々の隙間を縫うようにして、小さな水の流れがあった。
「コヨーテ」
 もう一度呼びかけたが、彼が意識を取り戻す気配はない。
 シェリルは湿った外套を脱ぎ、苦心してコヨーテの両足にそれを巻きつけた。シェリルの力では、意識の無い彼を抱え起こすことなどできない。傷口を洗う為に、川まで引きずっていくしかない。その最中に、木の根や石に引っかかって、コヨーテの足が傷つくのを防ぐ為だった。手を怪我しても動けるが、足が傷つくと動くのもままならない。
 一緒に山を下りて、西に行くのだ。
 彼の肩を支えるように腕を回し、体を屈めたままシェリルは彼の体を引いた。細身のコヨーテだが、やはり意識が無いと重い。
 息を弾ませながら、彼女は少しずつ彼の体を引きずり、後ろ向きに小川へと動き続けた。
 長い時間をかけ、僅かな距離を、コヨーテを引きずったまま移動して、ようやく川近くへと辿り着く。秋の山中の夜は冷えているというのに、既にシェリルは汗だくだった。
 せせらぎはすっかり落ち着きを取り戻し、つい先ほど荒れ狂って、兵士たちやシェリルを飲み込んだとは思えないほど、清らかだった。
 コヨーテの体を横向きにする。うつ伏せの方が背中の傷の手当ては楽だが、意識の無い人間をうつ伏せにしておくと、呼吸が詰まってしまうかもしれないと思った。
 自分の服の裾を短剣で切り裂き、小川で濯いで泥を落とす。よく絞った後、広げて膝の上に置いた。
 矢傷の手当ては、マライアが仲間たちに施すのを何度も見ている。止血の準備を整えてから、まっすぐに矢を抜き、傷を洗浄した後、やや時間を置いて止血する。傷口から溢れる血が、中の傷の汚れを外へと流してくれるのを少し待つのだが、時間を置きすぎると出血多量になるおそれもある。この見極めは難しいとマライアも言っていた。
 止血の為の薬も無い。刺し傷だからそれほど出血は無いかもしれないが、手早くしなければ、血が流れすぎて、コヨーテが命を落とす危険もある。
 不器用なシェリルに、マライアのような的確な処置ができるだろうか。
 だがぐずぐずしていては、傷口が化膿する。刺さったままの矢と傷が癒着してもまずい。
 心の中にいるマライアに、短く祈りを捧げる。意を決して、シェリルは傷口の根元を押えて、コヨーテの背中に刺さった太矢を、引き抜こうとした。強力な弩から放たれた矢は、簡単に抜けない。だがあまり力を込めると、彼の体を壊してしまいそうな不安に襲われた。
 だが、思い切ってやらなければ。
 コヨーテの体をうつ伏せにして、膝で彼の背中を押える。両手を刺さった矢にかけた。乱暴な姿勢だが仕方ない。
 気合を込め、思い切り太矢を引き抜く。
 嫌な感触が掌に伝わった後、膝がすぐに傷口からあふれ出す、温かい血に濡れた。矢を投げ捨て、小川から掌を合わせて汲み上げた水を何度か注いで、傷口を洗った。
 そしてあまり時間を置かず、先ほど川で濯いだ布を重ねて押し当てて、傷口を押える。指先に灯る明かりの下で、布がみるみる血に汚れていくのが見えた。彼の命が流れ出している。
 早く止まって。
 祈りを込め、シェリルはさらに強く傷を圧迫した。 
 絶対に、一緒に山を下りて、西に行くのだ。  

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~ Comment ~

RE: 拍手お返事 >Kさん 

拍手、ありがとうございます♪
遅くまでお疲れ様でした~。
家に帰って、落ち着いていたい時間ですよね>_<;

不器用なシェリルに怪我人の手当てなんかできんのか…というスリルある(?)回でした。
コヨーテ君も、もし意識があれば、さぞ怖かったと思います(笑)
結末までもう少しですが…ううう、自然な流れになっているかどうか。
引き続き頑張ります。

年末、忙しそうですが、体調に気をつけてくださいね~。

RE:拍手お返事 >Yさん 

拍手、ありがとうございます!
ううう、応援していただいてありがとうございます~!
コヨーテ君の容体が微妙なところで切れているので、続きを早めに更新…したいと思います。
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