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王都の冒険者たち」
第三話 女の聖地

第三話: 女の聖地 11

2010.05.10  *Edit 

 純白の光沢ある絹織物が、色白の肌に美しく映えている。丁度侍女の一人が、娘のゆるく巻いた淡い金髪を丁寧に梳っているところだった。
 侍女はイーノックの姿に気づくと手を止め、主の視線に応じるように、櫛を鏡台の上に静かに置いて、退出した。
 室内には、エミリーとイーノック、二人だけが残された。
 朝方までエミリーが閉じ込められていた、塔の上の小部屋ではない。大型の樫の寝台、衣装棚、暖炉、そして今エミリーが座っている、貴婦人が身支度を整える際に利用する鏡台もある。窓はやはり小さく、差し込む光は少なかったが、壁には泉の畔で語り合う乙女たちのタペストリが下げられ、部屋は華やかな雰囲気だった。
 ここはかつての城主夫人の部屋。つまりは巫女頭が使っていた部屋だ。
 子を産み、産んだ男児が村の主として爵位を継いで代替わりすると、母親は巫女頭となって、神殿に属することになる。今の巫女頭は、地階にある、もっと質素な寝室を使っている。
 イーノックは、長い間使われなかった、この部屋の新しい主となる娘を見下ろした。彼女は椅子に腰掛けたまま、立ち上がろうともしない。
 急ごしらえで仕立てた絹の晴れ着だが、エミリーによく似合っていた。
 彼女が婚姻を承諾してからすぐに、侍女たちに命じて湯浴みをさせ、身支度を整えさせていたのだ。軟禁していた数日の間の汚れを落とすと、彼女は輝くばかりに愛らしかった。初めて見た時から美しい少女だと思ったが、こうして衣装で飾り立て、肌を香油で磨いてやると、美貌が際立つ。自分の妻、そしてこの古の村の、女たちの頭としてふさわしいとイーノックは思った。
 唯一残念なのは、今夜彼の花嫁となる少女の瞳が沈んでいることだが、こればかりは今は致し方ない。
 神託が下るまでの間、彼は庶子でもいいので跡継ぎを作ろうと考え、村の娘たちを寝所に招いた。大地母神の声を聞く聖職者であり、村の守り手として、領主の家は村人たちから、代々尊敬を集めてきた。主と床を共にできるのだ。娘たちは嬉々としてイーノックに身を預けた。
 しかし男児を授かった娘はいない。やはり神託の娘でなければ、跡取りを産めないのだ。
 生まれてからこの方、母であり、神殿の巫女頭――つまり巫女である村の女たちを統べる長――から、繰り返し言い聞かされたことだった。
 イーノックは神殿の守護者たる男子の末裔であり、女神の住む家、ひいてはこの地を守ることが、生涯かけての使命である。
 しかし彼は半信半疑でもあった。彼自身は、大地母神の意志を聞いた覚えが無いからだ。毎日祈りを捧げているが、確かな応えがあったことはない。
 母なる神の祝福を受けていると言われても、実感したことはなかった。村の娘たちが、彼に見つめられて命令されると、喜んで従うのは、イーノックの地位に惹かれているためだと思っていた。
 しかし母は、どんな女もイーノックを拒まないのは、大地母神による加護だと訴え続けた。
 試しに今朝、エミリーの連れの女に、今まで村娘にしてきたように、瞳を見つめながら言い聞かせると、果たして少女は目に見えて従順になった。彼に体を触れられても、悦びこそすれ、嫌がる素振りも見せなかった。
 相手は無知で素朴な村娘ではない。王都の魔術師だ。自らの精神を操ることに長けているはずだ。
 その魔術師に、特別瞑想などの修練を積んでいない彼が、暗示をかけることができたのだ。もしかすると本当に、自分には大地の女神――この地上にある命、全ての母たる偉大な存在の息吹きを受けているのかもしれない。そう思った。
 朦朧とした哀れな少女を前にして、彼がそれ以上娘に触れる前に、エミリーはイーノックに哀願した。
 友人を無事に王都に帰して欲しい。その代わり、彼の要求を受け入れる。

「エミリー」
 座ったままの娘に呼びかけると、少女は顔を上げた。小柄な体の全身でイーノックへの軽蔑を滲ませていながら、声をかけられて無視することもできない、心根の優しい、弱い娘なのだろう。他人の関心や好意を突き放すことができないのだ。 
 イーノックが微笑んでみせると、エミリーの顔にも戸惑いが走る。彼女の感情は緩んでいる。こうして辛抱強く、好意と優しさを与え続ければ、いずれ彼女も自分に微笑みかけてくれるようになるだろう。
 彼は今夜妻となる少女を見つめた。村の女たちとは違う、日焼けのない白い肌。実った小麦の穂よりも薄い、淡い金色の髪。丸く優しげな顔は小さく整っていて、大きな青い瞳と高くはないが、小ぶりの鼻がかたちよく納まっている。ほっそりとした小柄な体は、力を込めて抱き締めたら折れそうだ。
 初めて目にした時から、美しい少女だと思った。連れの女も愛らしい娘だったが、シャムリーナの可憐さを菫に喩えるなら、清楚なエミリーは白百合だ。イーノックには彼女の方が好ましく映った。
「いきなりこんなことをした私たちをさぞ怒っているだろう」
 イーノックは、娘に向かって微苦笑を見せた。エミリーは答えずに、彼の瞳を見つめている。
「突然、大地母神のお告げだなどと言ったところで、君たちが理解できないだろうことは分かる。君の意志を無視することになってしまったのは、申し訳なく思っている」
 淡々と語りながら、イーノックはゆっくりと腰を屈めて、椅子に腰掛けているエミリーと目の高さを合わせた。
 エミリーの視線は彼とぶつかった後、困惑に揺れた。それを押さえ込むように、イーノックは芯のある声で告げた。
「だが、昨日も言ったように、私は君を愛している」
 揺さぶられた杯の中の酒のように、エミリーの感情が泡立つのは、イーノックの目にもよく分かった。彼は向かい合った他人の心を読むことに長けている。そのまま混じりけの少ない、青い瞳を見つめ続けた。
 今朝、シャムリーナという女に暗示をかけた後には、イーノックは疲労を覚えた。気力を消耗したのだろう。今、同じ暗示の力をエミリーに使う気はないが、ただ黙って見つめるだけでも、人間の心は多かれ少なかれ揺らぐ。エミリーのような繊細な少女なら尚更だ。
 案の定、ほどなく目を逸らした彼女が、とても愛らしい。エミリーの仕草を見ていると、イーノックの心臓もどくどくと騒ぎ出す。
 こんな清楚で美しい、従順そうな少女が、妻として生涯傍にいる。自分の子を産み、母の跡を継いで、神殿の女主人となるのにふさわしい。
 長い間、妻の候補となる女性の神託が表れなかったことは、イーノックにとっても不安と屈辱の種であった。村の女を抱いても、彼女たちが孕むのは女ばかりだ。村人は表面上はイーノックを慕ってはいるが、それでも十八になるまで跡継ぎを作ることができなかった若い領主に、陰では何を言っているか分かったものではない。
 だがその屈辱の時間も、この美少女と出会うためのものだとしたら、納得できる。彼女こそ、この村とイーノックの、遅れてきた救い主なのだ。
 女に慣れたイーノックにとっても、胸が熱くなるような喜びだった。無論、イーノックを慕う村の娘たちも素直ではあるが、エミリーのような、いかにも男性に慣れていない、無垢な清楚さは持ち合わせていない。
 そんなエミリーには、愛する男がおり、既に乙女ではないということは、母である巫女頭から聞いた。
 母はそうでもなかったが、イーノックは彼女が男性を知っていることに、微かな落胆も覚えた。しかし考えてみれば、当然だろう。こんなに愛らしい少女が、王都のような大都市の中で、男に目をつけられなかったわけがない。
 誰にも見向きもされないような醜女を妻にしても、楽しくはない。
 エミリーに愛する男がいようとも関係ない。彼女はまだその男を愛しているのだろうが、必ず忘れさせてみせる。
 エミリーのような従順で繊細な娘は、若く、取り立てて醜くもないイーノックの好意を無下にできないはずだ。衣食住を充足させてやり、何より毎日愛を与え続ければ、いずれ心は動くだろう。女は愛されなければ満たされない生き物だ。囁きすら聞こえない遠く離れた恋人より、生活の全てを支えてくれ、日夜彼女を愛する夫に、いずれ心が傾くはずだ。
 エミリーの瞳にさざ波が見える。イーノックの真摯な愛情に対して、彼女の心の底から何らかの感情が溢れだしている。彼女自身が、それが何という感情であるか自覚した時、エミリーが彼に向ける気持ちにも変化が訪れるはずだ。
 彼女が着ている白絹の衣装は、かつて母が婚礼の際に身につけた物だ。結婚当時の母よりも、エミリーはさらに細身であったため、肩や胴のあたりを詰めて、大きさだけを急遽合わせた。できることなら、エミリーのために新しい衣装を仕立ててやりたいが、時間がない。村人や親戚を集めた盛大な結婚式と祝宴は、教会にて近々執り行わなければならない。
 教会もこの村の司祭も、村の人間が大地母神を信仰していることを知っているが、彼らの神を否定しない限りは、表立って細かいことは言ってこない。また、大地母神の教えも寛容なので、イーノックや村の人間たちも、教会の神へ祈り、その儀式に則ってもう一度婚姻を誓うことを否定してはいない。古代の女神と教会は、この村ではうまく共存していた。
 教会での式の際にでも新しい豪奢な衣装を作らせればよいだろう。まずは神殿にて婚姻の儀を執り行い、女神にエミリーとの結婚を申し立てて、村人たちの不安を払拭しなければならない。
 教会の結婚式は通常は日中に行われるが、大地母神の婚姻の儀は、未明から夜明けにかけて執り行われる。今宵はその前夜祭であり、エミリーの晴れ衣装もそのためのものである。
 大地母神の婚姻の儀式では、衣装は必要ない。生命と肉体そのものを賛美する女神の前で、夫婦となる男女は生まれたままの姿で夫婦の愛を誓う。村の女──つまり、女神の巫女たちの長となる、新たな神殿の主としてエミリーを、そして神殿と村の守護者としてイーノックを大地母神に認めてもらう儀式だ。女神の祝福を受けた男女が交わり、花嫁となる娘は新たな村の後継者を授かるはずだ。
 屈んだイーノックの目の前に、細身の衣装に包まれたエミリーの華奢な肢体が見える。飾り気のないローブを纏った、今朝までの姿では気づかなかったが、胸や腰回りは意外に豊かだ。骨格が華奢なので、着やせして見えたのだろう。
 しなやかな絹は、柔らかいくびれを見せている腰の線をなぞり、座った娘の鼠蹊部の形を浮かび上がらせている。慎ましい衣装に隠された、エミリーの白い素肌を想像して、イーノックの心臓はさらに弾み始めた。
 もうじきだ。今夜の宴が終われば、神殿で彼女は彼と結ばれる。この白百合のような娘の肉体が、イーノックのものになるのだ。
 彼は己に言い聞かせ、膝の上に置かれたエミリーの手をそっと握る。彼女の腕がぴくりと動いた。
「君のような女性に会えたこと、そして大地母神が君を私の伴侶に選んだことに、私は深く感謝している」
 イーノックは少女を見上げながら熱く囁いたが、エミリーは顔を曇らせたまま、小さくかぶりを振った。
「私とあなたはお会いしたばかりです。あなたが私のどんなことをご存知だというのですか? それで、私を愛しているとおっしゃられても……」
「人を愛するのに時間は関係ない」訥々と話すエミリーを、イーノックは穏やかに力強く遮った。「君たちは愛というものを難しく考えすぎている。その正体は相手に対する興味と関心だ。君はひと目で私の目を引いた。それで私が君を愛するには十分なのだよ。君という人格全てを受け入れ、慈しむにはもっと時間が必要だろうが、それが完了するまで待たなければ、愛と呼べないのならば、人が他人を愛することなど、生涯を掛ける至難の技だ。未完成のものを完成へと導く、その結果ではなく過程こそが愛なのだと、私は考えている」
 イーノックはそこまで語ると、握ったエミリーの手を恭しく持ち上げ、手の甲に唇を押し当てた。まるで彼女が纏う絹にくちづけしたような、滑らかな感触であった。
 彼はすぐに立ち上がった。無意識だろう、イーノックの動きを目で追うエミリーに微笑みかける。
「私は君を愛している。婚姻の前に、どうかそれだけは分かって欲しい」
 イーノックは彼女の反応も見ず、踵を返した。大股で部屋を横切り、扉を開けて外に出る。長居やこれ以上の問答は不要だ。エミリーは彼の手の甲へのくちづけを拒んだり、振り払ったりしなかった。今はそれで十分である。  


 イーノックが静かに扉を閉め、足音が遠ざかると、エミリーの全身から力が抜けた。
 魅力的な男だ。それは認めないわけにいかなかった。
 思索と検証が趣味と言ってもいい、魔術師のエミリーには、万事断定的で自信に溢れた彼の言動は、好ましくはない。
 しかしイーノックがエミリーに好意的であるのは間違いない。
 そして彼は若く、十分な財力と権力を持っており、教養と礼儀も兼ね備えている。均整の取れた体つき、端正な目鼻立ち、朗々たる快活な声、男性的な魅力も余すところなく持ち合わせているように見える。
 問題は彼の倫理観だけだ。旅で立ち寄っただけのエミリーを留めおくために、プリシラとシャムリーナを監禁する、イーノックのその手段は許せなかった。
 しかしそれも、彼にしてみれば苦渋の決断なのかもしれない。領主である彼にとって、村の安全は何より尊いものなのだ。
 大地母神の神託など、プリシラなどは絵空事と思っているかもしれないが、エミリーは単なる幻想だとは考えていない。神は存在し、人によって見える形が違う。巫女頭やこの村の住人にとっては、神からの啓示であることを、エミリーが否定することは傲慢だ。
 彼らの信仰を尊重するからといって、自分の人生をそのために差し出すことは、考えられなかった。
 だが、プリシラとシャムリーナの命と人生が掛かっているなら、自我ばかり通すわけにいかない。エミリーがどうにかして、二人を救出できればよかったが、触媒も無くては、シャムリーナと意志の疎通を図ることもできなかった。
 今朝、イーノックに魅入られたような状態に陥ったシャムリーナを救うには、彼の申し出を受けるしか、エミリーには方法が無かったのだ。今、いくらか冷静になって考えれば、あれは脅しだけだったのかもしれないが、友人が目の前で男に体を玩ばれているのをとても正視はできない。

 不本意な結婚である。
 しかし、もしかしたら悪いことではないのかもしれない。
 あの通り、イーノックは夫としては、一般的に見れば理想に近い人間である。
 世間に出て半年。いまだ半人前であり、身の回りのことも満足にできないエミリーには、誰か支えてくれる人間が必要だ。それがイーノックでいけない理由は、考えれば考えるほど、思い当たらない。
 今のパーティーにいても、エミリーができることは少ない。エミリーやセルヴィスのような、実地調査に興味を示し、遺跡へと好んで出かけていく魔術師は、決して数が多くはない。一攫千金を狙う冒険者たちにとって、貴重な存在であるということは知っているが、エミリーは魔術の技術を活かす以前に、日常生活が一人で満足に送れない。少しずつ学んでいけばいいと思っていたが、半年前より前進しているかどうか、自分でも手ごたえはなかった。
『頑張ってるなんて、当たり前だ。誰だってそうだよ。結果がおっつかなきゃ意味ねえだろ』
 かつてシーマスに言われたことがある。あの時、一言も言い返せなかった。
 どうせ誰かの手を借りなければ生きていけないのなら、イーノックに支えられて、この静かな村で暮らしていくのも、ひとつの人生かもしれない。少なくとも、村人とイーノックの役には立てるのだ。
(でも、そうしたら……)
 イーノックは、彼の妻になったとしても、決して村に閉じ込められるわけではないと言った。望めば王都に連れて行ってくれると。
 しかしそれは旅行以上のものではないはずだ。家族や叔父に会うことはできても、もうルークたちと会うことはできないだろう。可能性の問題ではなく、意義の有無によってだ。もはやパーティの仲間ではない、子爵夫人となったエミリーとは、彼らは他人である。 
 イーノックの妻となるのなら、彼らとの縁は切れるのだ。
 最初にエミリーを大学の外へと誘ってくれたセルヴィス、女同士よろしくと微笑んでくれたプリシラ、いつも彼女に親切だったミクエル、苦手だったシーマスすら、もう会うことができないかもしれないと思うと、懐かしく思えた。
 それに、ルーク。
 初めて会った時から、ルークはエミリーにとって、完璧な男性に見えていた。聡明で冷静で、体も頑丈であり、誰に対しても親切だ。
 しかし最近、そんな彼の綻びも見えてきた。
 エミリーに見せないように振舞っているらしいが、彼にも機嫌の悪い時はあって、そんな時はシーマスやセルヴィスに対して、口調がやや荒くなる。几帳面なところもあるが、片付けなどは苦手らしく、宿の彼の寝台や荷物回りは意外と散らかっている。細かい作業も不得手で、普段気の長い彼が、縫い物などをしている時に、時折舌打ちを漏らしたりすることもある。
 地下都市ガレンで、足を挫いたエミリーの手当てをしようとした彼の手つきが、案外不器用だったことを思い出した。
 ルークのそういった、欠けた部分を知れば知るほど、エミリーは彼に対して切ないようなもどかしさを覚えた。ただ甘やかだった彼への想いは、時にひりひりするような渇きをもたらすようになった。
 ルークと比べても、イーノックの方が完璧だ。彼はルークが持っていない、財力や権力、村人からの人望もある。夫としては、理想的な人間のはずだ。
 言い聞かせようとすると、涙が滲んだ。
 泣いてはいけないと思うと、ますます目の奥が熱くなる。唇を噛んだまま、嗚咽もなく涙があふれ出した。
 ルークに会いたい。皆に会いたい。
 もう彼があの大きな手で、不器用にエミリーの怪我を看てくれることなどないのだ。
 プリシラたちが無事に王都に戻ったなら、意に染まない結婚を強いられたエミリーのために、彼らが何か手を打ってくれることはありえるだろうか。
 無いだろう。エミリーにはそれほどの価値はない。イーノックは由緒ある貴族であり、大学とも関係が深い。そんな領主の妻を無理やり取り返すなど、一介の冒険者には不可能に近いはずだ。
 嫌なら仲間を頼らず、自分でどうにかするしかない。しかしエミリーにはその方法が無いのだ。
 それなら、自分にできることを受け入れるしかない。
 だが、過酷で自由な生活を諦めることはできても、ルークを心から追い出すには、もっとずっと時間がかかりそうだった。
 椅子に座ったまま、両拳を瞼に押し当て、声を殺して泣いていると、静かに扉が開く。イーノックかと思って慌てて顔を上げると、先ほど退出した侍女であった。
 エミリーは急いで涙を拭った。
 それをどう思ったのか、侍女は何も言わず、僅かに顔をほころばせると、化粧台の上の櫛を手に取り、再びエミリーの髪を梳き始めた。


 門番が連れてきた、今日村に立ち寄った旅芸人たちは、確かに腕が良かった。演奏はそうでもないが、耳の肥えたイーノックが聞いても、少女の歌声は耳に残る美しさだ。
「素晴らしい歌声ですね」
 彼らの演奏が終わった後、巫女頭も素直に芸人たちを褒め称えた。
「お褒めに与り、恐悦至極に存じます」
 演奏中は鈴を鳴らしていた女が、美しい動作で礼を取った。藍錆色の布で頭と髪を覆った彼女が、この一行の長であるらしい。教養のある女らしく、言葉遣いは美しかった。布に縁取られた面差しも整っている。鼻にかかったような声だけが独特で、やや聞き苦しかった。
 それに比べると、歌姫である少女の美声は、繊細な玻璃細工を指で弾いたような響きであった。
 声だけではない。くすんだ色のフードを取り払った歌姫は、長である妖艶な女とはまた違った美貌の少女だ。十五、六歳くらいだろう。赤みがかった金髪の可憐で愛らしい娘だった。日焼けしていない、色白の肌は旅芸人には珍しい。この季節に暑そうなフードを被っていたところからして、普段から相当に日焼けに気を遣っているらしい。    
「いかがかしら、我が君。今夜の宴に彼らの演奏は相応しいと思われますが」
 実の母である巫女頭の言葉に、広間の壇上に設えた椅子に腰掛けたイーノックは頷いて見せた。
 旅芸人がこの村に立ち寄ること自体、珍しい。これも大地母神の祝福であるように思えた。
 同じ大地母神を崇める──流浪の民には、古代の神を崇める者が多い──彼女たちの目的は、神殿の参拝だったが、イーノックの婚礼を控えた今は、巫女たちが内部の準備に追われている。旅芸人たちを神殿に通すわけにいかなかったが、彼女たちは婚礼が終わるまで待つと告げた。
「ぜひとも今宵の演奏を頼みたい」
 イーノックは歌姫の少女を見つめながら言った。彼女はたおやかに微笑み、礼儀正しく目を伏せたが、自ら礼を述べることはしなかった。
「有難き光栄でございます」
 代わって長身の女が答える。彼女がもう一度礼を取ると、笛を吹いていた男と、演奏中は隅でぼんやりしていた荷物持ちの朴訥そうな男も、慌てたように頭を下げた。
「今夜はご領主様のご婚礼のお祝いが執り行われるとか。さぞかし美しい花嫁様でしょうね」
 長身の女はイーノックに意味ありげな視線を送ってきた。
 イーノックも鈍くはない。どこか艶かしいその眼差しの意図するところは察しているつもりだ。女の旅芸人の多くは、娼婦というもうひとつの顔を持つ。
 しかし今夜は彼の婚姻の前夜祭である。女神の前での聖なる交合を前にして、花嫁以外の女と交わる阿呆はいるまい。
 利口そうな女もそれは承知しているはずだ。彼女はイーノックを相手に望んでいるわけではなく、今夜宴に集まる男たちに対して、『商売』の許可が欲しいのだろう。
「いかにも、我が花嫁は美しい」イーノックは呟くように答えながら、席を立った。「今夜の宴は無礼講だ。大地母神の教えに従い、村の民たちも生命と肉体の喜びを謳歌するのが常だ。お前たちも演奏が終わった後は、存分に楽しむといい」
 女が三度丁重に頭を下げ、礼を述べるのを目にしてから、イーノックは広間から退出した。背後で巫女頭が、旅芸人たちのために、離れの部屋を整えるように召使いたちに指示を出しているのが聞こえた。

 初夏の長い日が暮れないうちから、宴は始まる。領主の結婚は、村にとっても特別な行事だ。未婚の男女が連れ合いを見つける、貴重な祭りでもある。
 教会の教えに則るなら、相手を見つけ、神の前で愛と信頼を誓ったのちに結ばれるのだろうが、今夜は大地母神の祭典である。かの女神は衝動的な性愛を否定してはいない。その結果授かった子供にも、たとえ父親が分からなくとも、分け隔てなく祝福を授けてくれる。私生児には入信の儀を行わない教会と比べ、女神は人間そのものをいとおしむ慈愛に満ちている。
 無論、イーノックは先代の前夜祭の様子などは知らないが、静かな村はさぞ喜びに沸いたことだろう。
 彼の頭にふと、エミリーの連れである、王都の魔術師と女戦士のことがよぎった。
 エミリーには彼女たちを王都に帰すと言ったが、特に魔術師の方は王都の大学に戻すわけにはいかない。
 先日、大学が放った鳩が、手紙を運んできた。果たしてエミリーとシャムリーナという魔術師についての問い合わせであった。彼はすぐさま、彼女たちは村を訪れていないと返信した。
 シャムリーナが大学に戻れば、イーノックの偽りが露見する。遺跡を抱える貴族であるイーノックには、大学もおいそれと手は出せないだろうが、できれば揉め事は避けたい。エミリーもシャムリーナも大学で重要な地位にいるわけではないようだが、彼女たちの失踪を知れば、誰が騒ぎ出すか分からない。
 要はシャムリーナも村に残ることを望めば良いのだ。友人であるエミリーの侍女として側にいられ、衣食住を保証されるのなら、彼女にとっても悪い話ではないはずだ。そしてそれが彼女の望みであるなら、エミリーも無理にシャムリーナを王都に帰そうという気はなくなるはずだ。
 女戦士も同様である。雇われ傭兵であろうが、王都に戻った彼女の口から、どこに何が発覚するか分からない。一介の傭兵にできることなどたかが知れているし、エミリーのために彼女が何か行動を起こすかどうかも分からないが、当面、エミリーの気持ちが落ち着くまでは、万全を期したい。彼女にも村に残ってもらおう。ほとぼりが冷めた頃、女戦士が望むなら、口止めさせた上で王都に帰してもいいし、腕がいいならエミリーの警護要員として、村に留めてもいい。
 二人ともなかなか美しい。外から来た人間と触れ合う機会が少ない村人には、彼女たちはさぞ魅力的に映るだろう。旅芸人同様、彼女たちも宴の美しい華となってもらおう。
 久方ぶりに活気に満ちるだろう、今夜の村を想像して、若い領主はうっすらと微笑みを浮かべ、改めて胸中で大地の女神の感謝した。
 彼らの饗宴が終わり、村が夜明けの静寂に包まれる頃、イーノックとエミリーは密やかに神殿に潜り、そこで宴の終焉を飾る、婚姻の儀を行うのだ。

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~ Comment ~

RE:拍手お返事 >Kさん 

拍手、ありがとうございます~。

幸せな人、ここにもいましたね(笑)
何事も自分に都合よく考える人…ストレス少なそうです^^;
イーノックは典型的貴族男をイメージしてますが、中央の宮殿につめる役人型貴族ではなく、領主型ですので、ナワバリの中ではどこまでも図に乗っちゃいそうです。
挫折したこととかないんでしょうね~。

でも、こういう根拠のない自信を持った人に、何故か惚れちゃう女性もいるんですよねー。

「こいつはこういうタイプの人間に違いない。よし、見切った」と、勝手に思っちゃう人って、うっすら分かりますが、された方としては「勝手に見切ってんじゃねーよ」と青筋立てたくなります。
…エミリーさんは、どうもそういうレベルまで達してないようで、相変わらずマゴマゴしてるだけですねえ。
美女軍団(?)にご期待ください! …大したことはしないかもしれませんが><

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