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王都の冒険者たち」
第三話 女の聖地

第三話: 女の聖地 13

2010.05.17  *Edit 

 プリシラが連れ去れた後も涙が止まらず、エミリーは堰を切ったように泣き続けた。手の甲で目元を拭うたびに、化粧が擦れ落ちていくのを見て、巫女頭が落胆の息をついたが、勿論彼女の耳には入っていない。
 イーノックとの結婚は、安寧に違いないだろう。けれど今まで彼女を助けてくれたプリシラや、他の仲間たちに、何も返せずに、彼らの人生からエミリーが消えて、忘れ去られるのだ。
 悲しかった。
 領主は花嫁の気が済むまで泣かせておこうと思ったのか、エミリーを椅子に座らせると、時折その背中を宥めるように撫でるだけで、後は声もかけてこなかった。
 この人さえ、大地母神さえエミリーを見初めなければ、こんなことにはならず、今頃王都でルークたちに土産話でも聞かせていたのだと思うと、彼に対して怒りが再燃しかけた。だが温かい掌から、彼のエミリーに対する心遣いが伝わってくるような気がする。それが欺瞞ではないということが分かると、どうしてもイーノックを邪険にはできなかった。
 エミリーの嗚咽が収まるのを見計らい、イーノックは立ち上がった。
「さあ、エミリー。泣いてはいけない。女神が選び、君が受け入れたことなのだ。それならせめて喜んで欲しい」
 イーノックはエミリーを抱えるようにして、椅子から立ち上がらせると、まだ薄く涙の跡がある頬を中指でそっと拭った。子供のように号泣していたので、彼女の小振りな鼻には鼻水も滲んでいたが、彼は服の袖でそれも拭う。エミリーはふと、先日、シーマスが同じように号泣する彼女の鼻水を親指で拭ってくれたことを思い出した。
「エミリー、行こう。村人が救い主である君を待っている」
 子供を諭すように優しく囁きながら、イーノックはエミリーの肩を抱いて食堂を出た。その後ろから厳かな足取りで巫女頭が続く。

 中庭に出ると、空に葵色の幕が広がり、短い初夏の夜の入り口が見えた。
 並べ立てられた長テーブルには、料理と飲み物が用意されていて、村人と思われる男女がひしめき合っていた。広めの中庭には、村中の人間が集まっているのかもしれない。彼らの朗らかなざわめきが耳を打ち、麦酒と焼いた羊肉の香りがエミリーの鼻腔の奥を突いた。
 エミリーとイーノックの姿に気づくと、どこからともなく、さんざめきが喚声に変わっていく。やがて村人たちは声を揃え、拍手を添えて新たなる若い夫婦を迎えた。
「皆の者」エミリーの隣にいる青年が右手を差し上げると、村人たちのどよめきは引いた。「長らく待たせた。先日、我らが大地母神より神託のあった娘、我が妻にして、神殿の新たなる主をご紹介しよう。エミリーだ」
 芝居がかった台詞が終わると、再び村人の拍手と喚声が大音声で響き渡った。
「なんて綺麗な娘っこだろ」
「まあまあ、可愛らしい」
 村人たちの称賛の声が耳に入ったが、無論、エミリーを微笑ませることはなかった。彼女に集まる無数の好奇の視線は、ただでさえ沈んでいる彼女を萎縮させた。
「明日、我らは女神の前で晴れて夫婦となる。今宵はその祝いの宴である。今まで耐え忍んでくれた分、存分に楽しんで欲しい」
 再びときの声が村人の間から沸いた。領主とエミリーを讃える声が続き、彼らは再び飲食を楽しみ始めた。
 イーノックはそれを見届けると、彼女の手を引いて、中庭の隅に設えた一段高い上座の二席に腰掛けた。すぐさま侍女が飲み物を二人に運んでくる。
 受け取った銀杯からは、濃密な甘い香りがした。プリシラが飲んでいた、高価な蒸留酒らしい。生憎エミリーは下戸のため、口もつけることができずにいた。
「どうぞ」
 侍女が続いて、蒸した野菜と腸詰めの盛られた皿を差し出す。温かく柔らかい匂いは、少しばかりエミリーの冷えた心をほぐしたが、食欲が沸くまでに至らず、彼女は首を振ってそれを断った。
「エミリー。少し食べてくれないか。君と私の為の祝いなのだ」
 隣に座ったイーノックが、気遣わしげに顔を覗きこんでくる。
「すみません。でも……」
「ああ、君は酒にあまり強くないのだったな。誰か、葡萄の果汁を持ってきなさい」
 イーノックは側にいた召使いにすかさず指示を出し、エミリーの手をそっと握った。
「間もなく私たちは夫婦になるのだ。何度も言ったように、君を愛し、敬い、大切にする。だからどうか、笑っておくれ」
 俯いていたエミリーはほんの少し顔を上げ、イーノックの顔を見た。花嫁を浮き立たせようと必死の、若い青年の姿がある。懸命な彼の仕草を見ていると、エミリーの繊細で優しい心は、再び怒りに育つ前に温度を失ってしまった。
「今日は珍しく芸人が来ているのだ。これも女神の思し召しであろう」
 イーノックは彼女に向かってもう一度微笑むと、別の召使いに旅芸人を呼ぶように伝えた。
 やがて裏手の離れの暗がりから、数人の男女が姿を見せる。彼らの姿を目に留めて、村人たちはまたも喚声を上げた。
 先頭を歩いているのは、男かと思ったが、よく見れば長身だが女のようだ。慎ましく髪と頭を布で覆っている。彼らは領主夫妻の前で跪いた。
「今宵、かようなおめでたき宴にお招きいただいて、誠に光栄のみぎりでございます」 
 女は美しい礼を取ると、鼻にかかった独特の声で言った。 
「早速、閣下と未来の奥方様、そして大地の女神様の為に、我ら一同、声が涸れるまで歌い続ける所存でございます」
「はは。声が涸れては困るだろう」イーノックは明るい笑い声を上げた。「幸せな恋の歌、婚礼の歌を頼むぞ」
「御意に」
 女は伏せていた顔を上げた。篝火に浮かぶ肌は白く、濃い目の化粧を施した顔立ちは麗しい。
 彼らは立ち上がり、演奏の準備を始めた。大男が担いでいた荷物を下ろし、そこから布やら楽器を取り出している。最後尾にいた小柄な人影が、外套のフードを被ったまま、領主の正面に進み出た。しゃらしゃらと美しい音を奏でる鈴を握った長身の女は、そこから一歩下がって後ろに控えるように立つ。
「素晴らしい演奏だぞ」イーノックはエミリーに首を近づけ、親しげに囁いた。「いや、演奏よりも歌声が素晴らしい。王都にいた君も、これほどの美声はなかなか耳にできなかったのではないかな。楽しみにしているといい」
 邪気の無いイーノックに対し、エミリーは答えられずにいた。
 再び俯きがちになる壇上の彼女の前に、艶のある木製の縦笛を組み立てた旅芸人の一人が近づく。彼は興味深そうに下からエミリーの顔を覗きこんだ。
「これはこれは。なんと若く、お美しい花嫁でしょ。さすがは女神に守られた村の奥方様。目が潰れそうですわ」
 長身の女に比べれば、訛りが混じって言葉も汚い笛吹きの言葉に、イーノックは寛容に受け答えた。
「大袈裟な世辞だな」
「お世辞なんかじゃありませんて。はあ~、羨ましい。あたしもこんな嫁さんが欲しいですわ」
 肩を竦める芸人に、新妻を褒められたイーノックは再び上機嫌で笑い声を上げる。
 快活な声を聞きながら、その隣でエミリーは俯いたまま表情を固めていた。
(この声……)
 シーマスだ。

 帽子を被り、薄汚れた青い上着を着込んだ小柄な笛吹きは、確かにシーマスだった。彼はエミリーと目も合わせず、笛の音合わせを始めていたが、見間違えではない。
(それじゃ……)
 エミリーは動揺を表さないようにさりげなく、一同から少し離れた後ろで、退屈そうに荷物の側で屈んでいる男に目をやった。やはり薄汚れた服を着た大柄な男は、陽に焼けた黒い肌をしているが……。
(──ルーク)
 懐かしさに涙が出そうになった。ルークだ。顔や腕に何か塗っているのだろう。肌の色は違うが、ルークに間違いない。
 エミリーは目だけを動かして、一行の長に見える、長身の女を見やった。頭を布で覆っているので、顔が見えづらいが、細身のあの体つきは、セルヴィスではないか。鼻にかかった声は、どうも耳障りだったが、彼の作り声に違いない。元から彼の声は男にしては甲高い。
(もしかして……)
 エミリーは、セルヴィスと思われる女の前、イーノックの真正面に立つ人間に目を向けた。
 伸びた手が外套の覆いを外す。柔らかそうな蜂蜜色の髪が、波打ってこぼれだした。フードの中から現れた、淡い化粧を施した白皙の美少女に、周囲の人間は感嘆の声を漏らした。
 思わず目を剥くエミリーに、イーノックは穏やかに笑いかけた。
「驚いたかい、エミリー。あのような色白の肌の娘は、芸人には珍しいからな」
 ええ、驚きました。
 そう答えそうになりながら、エミリーは無意識に頷いていた。
(ミクエル……)
 恐らく鬘を足しているのだろうが、背中までの見事な金髪を見せる歌姫は、ミクエルに違いなかった。
 
 もう会えないと思っていた。王都にいる彼らは、エミリーの苦悩など知らず、新しい魔術師でも見つけて、切り離された別の人生を歩むのだと思っていた。
 帰りが遅いエミリーたちを心配してくれたのだろうか、女装までして旅芸人に変装し、村まで様子を見に来てくれたのだ。涙が零れそうになったが、いきなり泣いてはイーノックに怪しまれる。唇をきつく噛んでこらえた。
 長身の女がしゃらんと鈴を鳴らす。それを合図にしたように、笛吹き──シーマスがリズムをとって体を揺らしながら、縦笛の音を響かせ始めた。
 女──セルヴィスが振る鈴が、澄んだ音を規則的に響かせる。耳から入り込んで、エミリーの頭に響き渡るその響きは、銀の鈴が立てる音色だ。規則的にすぎるその音は、やがてシーマスの笛と少しずつずれていく。
 銀は魔よけであり、魔術の触媒の一種である。
 あたりに、世にも美しい女の歌声が響き渡った。玻璃細工を弾いたような、透明な響きは、ミクエルの声ではない。
 幻術である。得意とするセルヴィスが、鈴を使って精神を集中させ、幻の歌声を周囲に届けているのだ。ミクエルはそれに合わせて、歌っている振りをして口を動かしているに過ぎない。
 素晴らしい歌声に違いないだろう。人間の喉ではなく、魔術師によって精巧に組み上げられた、澱みもない幻の歌声なのだから。
(逃げなきゃ)
 魔術の歌声に聞き惚れるイーノックと村人を横目に、エミリーは膝の上の両手に静かに力を込めた。数日に及ぶ監禁で、萎えかけていた気力がふつふつと沸き上がってくるのを感じる。
 彼らがここまで来てくれたのだ。居所の知れないプリシラとシャムリーナを救出し、揃って村を脱出するのだ。

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