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王都の冒険者たち」
第三話 女の聖地

第三話: 女の聖地 20

2010.06.09  *Edit 

 部屋の向こう側で、ばさりと重い布がめくれる音がした。この小部屋の入り口から、誰かが入ってきたのだ。
「何してるんだ!」
 村の人間かと思い、エミリーは身を強張らせたが、聞き覚えのある声はシーマスだった。
 彼は絨毯の上にへたりこんでいるエミリーと、領主であるイーノックを引きずり起こそうとしているルークを一瞬だけ見比べた。すぐにルークに駆け寄る。
「ルーク、何してんだ。やめろ」
 シーマスは躊躇しながらもルークの腕に手をかけて言った。振り向いたルークは、シーマスがいることに一瞬驚愕したが、すぐに彼の腕を払った。しかしシーマスはもう一度ルークの腕を掴み直す。
「やめろって、バカ。そのぐらいにしとけ。領主を殺す気か」
 ルークは腕を掴まれたままシーマスを睨み下ろした。
「何が領主だ。領民から税金を吸い上げて、好き勝手している人間が領主か? 盗賊以下だ。そんな奴に加減なんかできるか」
「オレに怒んなよ、こえーなー」シーマスは大袈裟に首を竦めてみせた。「分かるけど。しょーがねーだろ。世の中、そういう風になっちゃってるんだから。領主を殺したらおおごとだぞ。余計な問題背負い込むだけで、何も変わんねーよ」
 シーマスの毒気の抜けたのんびりした声は、逆にルークの怒りを逸らしたようだった。青年は大きく息をつく。
 彼は忌々しそうに掴み上げたイーノックの胸倉を乱暴に床に突き放した。声も上げずにイーノックは倒れ伏す。
 ルークから怒りが抜けた様子を横目で見ると、シーマスはエミリーの方に小走りに近づいてきた。エミリーは慌ててルークの外套をきつく巻き直す。
「エミリー、大丈夫か?」
 彼女は頷きながら立ち上がった。いつまでも座ったままでは、またシーマスに怒られると思ったからだ。
 泣いてはいけないと思ったが、彼らの姿を見て安堵のあまり涙が零れた。まさかこの場に助けが現れるとは思っていなかった。自分でイーノックをどうにかできないなら、彼にされるがままなのだと、自分の無力に哀れみではなく、嘆きを覚えながら、覚悟を決めたところだったのだ。
 勘の良いシーマスは、脱ぎ散らかされた服やその場の様子を見て、状況を悟ったらしい。エミリーが嗚咽をこらえながら手の甲で涙を拭う間、何も言わなかった。
 実のところ彼は、ルークに歯を折られたイーノックの哀れな姿を見た時には、ふた月前、宿でエミリーを組み敷いていた時にルークに見つかっていたら、自分も同じ運命だったと、複雑な心境ではあった。
「ケガは無い?」
 珍しくシーマスに気遣わしげな声を掛けられると、エミリーの心は緩んで、再び涙が溢れそうになった。彼女はそれを堪えて首を横に振った。
「無いわ。大丈夫」
「じゃ、とっとと逃げるぞ。夜の内に村を出ないと。──ルーク!」
 シーマスに呼ばれるまでもなく、ルークが駆け寄ってくる。
「領主は?」
「殴って眠らせた」
 シーマスの問いに短く答えたルークは、三叉の燭台とイーノックの剣を手にしている。念の為奪ってきたのだろう。
「行こう」 
 ルークはエミリーに向かって頷くと、すぐに歩き出した。小部屋の入り口を塞ぐ布をどけて外へと出る。
 何となく他人の前を歩くのが落ち着かないエミリーは、シーマスが動くのを待っていたが、手を振った彼に先に行くように促され、ルークの後を追って歩き出した。
 小部屋の外は大広間になっていた。数日前に訪れた、領主の館の裏手にある神殿であることは間違いないようだが、エミリーには、どうやってここに連れて来られたのか記憶が無い。宴会の最中、意識が遠のいたと思ったら、女神の彫像がある小部屋で、イーノックと向かい合っていたのだ。
「出口どこだか覚えてる?」
 広間で足を止めたルークは、エミリーの方を振り向いた。
 彼女は記憶を探る。円形の大きな広間の出口は、小部屋の向かいだった気がする。
 だがエミリーが答える前に、後ろからシーマスが声を上げた。
「右だ、右。そっちの端っこ」
 シーマスが指差した方向は、エミリーの記憶とは全く異なるが、ルークがすぐにそちらへと歩き出したので、戸惑いながらも彼女も続いた。
「お前、よく暖炉の隠し通路見つけたな」   
 エミリーを挟んで、シーマスがルークに声を掛けた。前を向いたままルークは答える。
「俺もそう思う。あちこち探し回ってて、なんとなく勘で見つけたんだけど。……他の皆は?」
「お前が三階のどこにもいないんで、別の建物探しに散らばったよ。離れで落ち合うことになってる」
 ルークは何か答えようとしたのか、こちらを振り向きかけたが、すぐに姿勢を戻し、壁龕の突き当たりで屈んだ。石の壁に見えるその一部を彼は難なく引き開けた。
 壁の一部隠し扉になっているのだ。今の会話から察するに、ルークとシーマスは、神殿の入り口ではなく、ここから入ってきたに違いないとエミリーは合点した。
「気をつけて」
 振り返ったルークは屈んだまま、彼女を見上げてそう囁いた。炎に照らされた彼の顔には、先ほどイーノックの前で見せた憤激の色は既に無い。普段通りの冷静な表情だった。
 ルークは手足を床につき、燭台を持ったまま低い位置にある扉をくぐった。
 彼に続こうとして、エミリーはルークに借りた外套をもう一度体にきつく巻き直した。脛の半ばくらいまでの丈がある外套だが、イーノックに衣服を剥ぎ取られて、ストッキングしか穿いていない、ほとんど全裸なのだ。後ろにいるシーマスに肌が見えてしまうことは避けたい。
 手足で這って扉を抜けるのが、妙に気恥ずかしかった。シーマスが後ろについてくれているのは、エミリーを最後尾にするまいという気遣いだろう。だが、彼に初めてのしかかられた時も、同じ姿勢だったことを思い出すと、今もシーマスにどう見えているのか、想像すると顔が熱くなる。
 エミリーはせかせかと手足を動かし、扉をくぐると素早く立ち上がった。
 咄嗟の動作で、外套の前がふわりとはだける。慌てて巻きつけ直した。幸いルークは燭台を手に、こちらに背を向けて、既に通路の先へと歩き出していた。 
 エミリーも彼に続いて、坑道のような狭い通路を進む。すぐに後ろからシーマスも続いているようだった。
 イーノックが意識の無いエミリーを抱えて、こんな狭い通路を通ってきたとは思えない。彼は恐らく、薬で彼女を眠らせた後、直接正面入り口から神殿に入ってきたのだろう。
 通路はすぐに行き止まり、繰り抜かれた天井から長い梯子が伸びていた。振り仰いで上を見つめたルークは、息をついてシーマスに尋ねた。
「明かり、持ってるか?」
「ちっちぇー蝋燭なら。危ないから、それは置いておけよ」
 ルークは一度手元の燭台を見下ろして、それを持ったまま梯子を上ることを諦めたらしい。燭台を床に置くと、長身の割には素早い身のこなしで、梯子に手をかけて上り始めた。  

「シーマス、先に行って」
 顔を伏せ気味にして、目を合わせれらないままエミリーは言った。
「オレは後でいいよ。先に上んな」
 のんびりしたシーマスの声に、エミリーは答えることができずにうろたえた。
 下着も穿いていないのだ。垂直の梯子を上るのなら、下から続くシーマスに、外套の下の下半身が見えてしまうだろう。
 プリシラなら率直に『あんた、下から覗く気?』とでも言ってしまうのだろうが、エミリーはとても口に出せなかった。この非常時だというのに、意識しすぎだなどと呆れられそうな気がしたのだ。
「でも……」
 だがやはり、下肢を見られてしまうのは恥ずかしい。シーマスに下心など無くても、垂直の梯子を上るのなら、普通は上を見上げるものだ。
 何か他に、シーマスを先行させる理由は無いだろうか。エミリーは俯きながら逡巡する。
「でも、何? 急いでんだけど」
 シーマスの口調に苛立ちが混じった。敏感にそれを感じ取ったエミリーは、早くも萎縮して軽い恐慌状態に近くなる。元から口下手の彼女は、声も出せなくなってしまった。
 シーマスを怒らせないように、でも彼を先に上らせる言葉を考えなければいけないと思うのだが、並外れた集中力を持つエミリーも、いくつもの要素を統合して短時間に結論を導くのは苦手であった。そばに他人──しかも苛立っている──がいると尚更である。
「私、あの……」
「早く行けって。お前が一番後ろにいたら、もし領主か誰かが追っかけてきた時に大変だろ」
 徐々に声が高くなるシーマスを恐る恐る見上げると、予想通り、既に眉間に皺が寄っている。
(どう言えばいいのかしら……)
 勘の良いシーマスが、エミリーが躊躇う理由に本当に気づかないのだろうか。もしかすると彼は既に気づいていて、ちょっとした下心のために、わざとエミリーを先に上らせようとしているのでは。
 そんなことを考えて、エミリーは再び狼狽した。それではまるでシーマスが考えなしの、ただの破廉恥漢のようではないか。もし彼がそんなことを考えていないとしたら、とてつもなく失礼であるし、自惚れすぎだ。シーマスがそれほどエミリーの体に、女性として興味を持っているかどうかは分からない。
 そのように考えすぎた挙句、おどおどと、ただ首を振るエミリーの耳に、シーマスの焦れたような溜め息が聞こえた。
「言いたいことがあるなら言えよ、もう。もじもじしてる時間無いだろ」
「あっ、ごめんなさい。あの……」
 だが、あの、と言った後に言葉が続かない。口ごもる彼女を見て、例によってシーマスはさらに気が立つようだった。舌打ちした後、一段大きくなった声で彼は言った。
「あのさー。誰のせいで、こんなとこまでオレたちが来てると思ってんの? 頼むから急げよ。パンツ見えるとか、そんなこと気にしてる場合じゃないだろうが。誰も見ねーよ」
 エミリーの顔にかっと血が上った。やはりシーマスは、エミリーが先に梯子を上らない理由に気づいていたのだ。
 図星を突かれながらも、羞恥に襲われたエミリーは反射的に首を振った。
「ちっ、違うの。そうじゃないんだけど……」
「じゃ、何だよ」
 エミリーを追い立てるように、腕組みをしたシーマスが一歩近づく。旅の途中で見た夢の中でも、こんなことがあったような気がした。  
「そうやって、言いたいことも言えないから、あんな領主につけこまれるんじゃねーの? 相手に甘えて、向こうが察してくれるのを待つんじゃなくて、自分の意見くらいはっきりと言えって。おかげでオレたちも、とんだ災難だよ」
 彼の最後の一言が、エミリーの胸に突き刺さった。
 災難だというのは、シーマスの、そして口には出さないが、村まで来てくれた男性陣の本音だろう。いや、プリシラとシャムリーナもそう思っているかもしれない。エミリーが大地母神の神託などに選ばれなければ、こんなことには巻き込まれなかったのだ。
 しかしそれはエミリーの落ち度ではないはずだ。彼女には避けようがなかった。
 傷つき、黙り込む彼女の前で、苛立ちが頂点に達したのか、さらにシーマスは早口で続ける。
「普段からぼさっとしてるから、こんなことに巻き込まれるんだよ。プリシラたちがとっつかまってる間、お前は何してたの? 宴会で領主の隣の席でのんびり桃食ってたら、領主も村の人間も、お前が結婚を嫌がっているだなんて思わねーだろ。助けを待ってるんじゃなくて、ちっとは自分で動いたのか?」
 シーマスたちが骨を折って助けに来てくれたことはとても嬉しいし、おかげでこうして脱出できるのだが、感謝の気持ちも苦く潰れてしまった。
 捕えられていた間、何もしていなかったわけではない。エミリーなりにプリシラたちを助けようと、方法を考えた。だが触媒も無い状態で魔術も使えず、人質とされたプリシラたちの居所も分からないでは、手の打ちようが無かったのだ。領主の言うことを聞いていると思わせ、相手の隙を窺う方法しか考え付かなかった。決して漫然と、救いの手を待っていたわけではない。

 エミリーの胸の奥は悲しく絞られた。
「ごめんなさい」鼻の奥に力を込めて、涙と嗚咽を必死にこらえながら、エミリーは小声で言った。「私のせいで、プリシラたちを巻き込んで、シーマスたちまで煩わせてしまって……。なのに、私、自分じゃ何もできなくて……」
「いや、オレに謝られても困るんだけど。謝ったから終わりじゃなくて、少しは本気で反省して成長してよ」
 様々な葛藤や釈然としない思いを、敢えて飲み込んで口に出した言葉を傲然と切り捨てられ、エミリーの心臓はさらに縮んだ。顔が熱くなる。
「……そうだね。シーマスの言うとおりだわ」
 こらえきれず、涙が一筋、音もなく頬を滑った。しかし彼女はそれを拭いもせずに、湿った土の床と、そこに立つシーマスの足元を見つめながら続けた。
「でも、どうしてそれを今、私に言うの? 急いでいるんじゃなかったの? ルークや皆がいると言いづらいから?」
 顔を上げることができないまま、早口になるエミリーは、自分の顔を熱くさせているのが悲しみではなく怒りなのだと、この時悟った。
 好きこのんで虜囚の身に甘んじていたのではない。シーマスの言うことにも一理あるが、まるでエミリーが何もせず、何も感じなかったかのように、事情も知らないシーマスに説教されるのは、納得がいかなかった。しかもルークが先に梯子を上って姿を消した途端である。本当に正論であるとシーマスが考えているのなら、何も二人の時ではなく、皆の前でエミリーに告げればいいではないか。
 彼に対するこんな反抗心が沸き起こったのは、ガレンから戻った後、媚薬に冒された状態でシーマスと喧嘩をして以来だ。記憶は曖昧だが、あの時、抑えきれない怒りを覚えて、彼の頭や顔を殴った気がする。
 正常な状態では、とてもそんなことはできない。そう思っていたのだが、今のシーマスの行為は、言っていることが正しかろうと、エミリーにとって卑劣に思えた。 

「なに?」
 一瞬置いて、尋ね返されたシーマスの声は、静かであったが、ぞっとするほどひんやりしていた。
「今の、どういう意味?」
 見つめていたシーマスの足が一歩近づく。エミリーは思わず後ずさった。氷のような声は、怒鳴られるよりずっと恐ろしい。先ほど放った言葉が、シーマスの逆鱗に触れたのだと彼女は知った。彼に罵倒されたことは何度もあるが、こんな冷たく穏やかで、無機質な声は聞いたことがない。
「エミリー、ちょっと顔上げて。どういう意味で言ったのか説明してよ」
 ルークが貸してくれた外套の前を無意識に握り締めながら、エミリーは微かに震えた。
 本気でシーマスを怒らせてしまったのだ。
 だがいつものように、詫びて許しを請いたいという気持ちは、何故か浮かんでこなかった。目の前にいるシーマスは、かつてないほど恐ろしかったが、絶対に謝りたくない。彼女は初めて意地になった。
 シーマスの言ったことも正しいが、エミリーが言ったこともまた間違っていないはずだ。だからこそ、彼は激怒しているに違いない。
「エミリー。人になんか言う時は、目ぇ見ろって」
 たまらなく怖かったが、エミリーはシーマスに応えるように、思い切って顔を上げた。
 暗い褐色の瞳と視線がぶつかる。
 普段、喜怒哀楽が激しいシーマスが全くの無表情だった。色も温度も無い眼差しがエミリーをまっすぐに貫いている。背筋が冷たくなった。
 息を詰めて凝視するシーマスの唇が動いた。
「さっき言ったの、どういう意味? もう一回言ってよ」
「もういい……」
 エミリーは首を振って、シーマスから目を逸らした。
「いや、もういいじゃなくて。言いたいことがあるなら言えって、さっきも言っただろ。何? 言ってみなよ。オレにも言いたいことがあるんでしょ。そこで黙ってるから、いつまでも同じこと繰り返すんだよ」
 凍てついたシーマスの声に、僅かに嘲りが混ざった。それはエミリーの中にある、ごく小さな自尊心を刺激する。普段表に出ることはないが、彼女の内気は自尊心の高さの裏返しでもあった。
 エミリーはもう一度顔を上げて、シーマスを見た。そこまで言えというのなら、溜まっているものを吐き出してやる。腹を括った彼女は口を開いた。
「だって……シーマス、急いでいるっていう割には、ルークがいなくなった途端に、そんなこと言い出して……私も……確かに、あなたの言うとおりだけど……私だって、何も考えてなかったわけじゃなくて……」
 無表情のシーマスに見下ろされながら、エミリーの言葉は徐々にうまく繋がらず、支離滅裂になっていく。シーマスは軽く眉を寄せた。
「何? 言ってること、わかんねーよ」
「だから……」
 威圧的な視線に、エミリーはますます怯んだ。それでも彼女はどうにか言葉を続けようとしたが、知らず知らずのうちに体が小刻みに震え、涙がまた一筋溢れ出した。
「ルークとか皆のいないところで……いきなりそんなこと言われても、ずるい気がする……」
 腕組みをしたシーマスはエミリーの瞳を見据えたまま、薄く息を吐いて、体重をかけていた足を変えた。やおら口を開く。
「ずるいってこた、ないだろ。たまたまルークが先に上った後、お前がもたもたしているから、日ごろから思ってたこと言っただけだ。オレがルークたちのいないところで、お前をいびってるのがずるいってことか? 穿ち過ぎだよ。別にここを出た後、奴らの前でもう一回同じこと言ってやってもいい。奴らに隠れて、オレがお前にだけ文句言ってるような言い方、やめてくれる? オレが卑怯者みたいじゃん」
 一気にまくし立てられて、エミリーは沈んだ。口では勝てない。
 だが今の彼の台詞は釈然としなかった。彼女は頬をうっすらと伝う涙を拭いもせず、弱々しく反駁した。
「でも、実際、そういうことだって何度かあったじゃない。──じゃあ、春にあなたが私にしたことは? 皆の前で言えるの?」
 口に出してから、しまったと思った。シーマスをやり込めるどころか、彼の怒りに油を注ぎかねない。こういう時こそ、素直に謝って彼の怒りを受け流せば話は早いのだろうが、今だけは、どうしても自分のプライドを折り曲げることができなかった。
 案の定、無表情だったシーマスの瞳の奥が、見たことのない光を帯びた気がした。
 彼が腕組みを解く。

「シーマス、大丈夫か?」
 シーマスが動く前に、上方からルークの声が聞こえた。なかなか上ってこないエミリーたちを心配してくれたのだろう。
 振り返ったシーマスは、梯子の上に向かって声を張り上げる。
「大丈夫だ。今、上がる!」
 彼はそのまま、今までのエミリーとのやりとりなど忘れたように、数歩無造作に歩いて、梯子の底部を掴む。
 睨み合いから解放されて、エミリーは大きく安堵した。その場にへたり込みたいくらいだ。
「ねえ」
 だが、梯子を上る寸前で手を止めたシーマスに再び呼びかけられ、エミリーの肩はびくりと跳ねた。
「なんでか知らねーけど、どうしても先に行きたくないなら、オレが先に上るよ。遅れないで、すぐついてこいよ」
 そう言ったシーマスは、声も表情も普段通りの無愛想で、先ほど見せたような凄みは拭い去られていた。頷きながら、エミリーはこっそり息を吐いた。
 良かった。先ほど彼が何をするつもりだったか分からないが、エミリーが楽しいことではなかっただろう。ルークの声に助けられたらしい。 
「それからさ」
 ほっとしていると、既に梯子を一段上がったシーマスに抑えた声を掛けられた。エミリーは必要以上にうろたえて、顔を上げる。一度警戒を解いた彼女の表情は、罠から助け出された兎のようだった。
「え、何?」
「さっき言ってたこと」梯子の上からエミリーを見下ろすシーマスが目を細めた。「別に、ルークたちに言ったっていいよ。オレだってありのままに話すけど。お前も嫌がってた割には股びしょぬれにして、最後なんか『中に出して』とか言ってたよな。そういうことも、大学の研究室で媚薬飲んで、ひとりエッチしてたことも、全部ルークたちに話してきかせてやるけどね。それでいいなら、奴らに話せば」
 ふた月前、宿の客室で、そして叔父の研究室で、シーマスの下で露わにしてしまった自らの痴態を思い出し、エミリーはただ顔を紅潮させて絶句した。
「自分だって本性はエロいくせに、オレのことばっか非難すんなよ」
 蔑むような目と乾いた笑いを残し、シーマスは身軽に梯子を上り始めた。
 エミリーはぼんやりと、それでも梯子を上ろうとして、冷たい金属の棒を掴みながら、再び小さく体を震わせた。
(ひどい……)
 なんてひどいことを言われたのだろう。シーマスに投げつけられたのは、侮辱に他ならない。
 彼の言葉は小さな棘となって、エミリーの胸に埋め込まれた。その鋭さは息もつけないほどだ。
 なのにどうして、こんなに甘やかなのだろう。   
 胸の奥が痛くて、鼓動が早い。本当に呼吸が乱れてくる。
 何度か切ない息をつきながら、エミリーはやっと梯子に手をかけて、慎重に上り始めた。シーマスは既に遥か上にいる。
 シーマスに罵られながら、傷口から匂いたつような得体の知れない香りが広がる。先ほどの怒りとは違う理由で頬が熱かった。
 覚えのある感覚だった。太陽の褪せた光をやっと布越しに感じる薄暗い空間で、初めてシーマスと抱き合い、男性を知った時。あの時、何度彼に、普段以上に屈辱的なことを囁かれただろう。そしてそれはエミリーの怒りをかきたてるどころか、体を熱くするばかりだった。
 エミリーは唇を噛み締めながら、黙々と梯子を上った。高い場所が苦手な彼女に、恐怖を招きかねない高さがある梯子だったが、衝動を落ち着けようとしているエミリーは、それどころではなかった。
 鳩尾の奥が熱く、外套の下で下肢を動かすたびに触れ合う腿は、脚の間に妙な感覚を伝えてくる。
 息を弾ませて梯子の最上部に辿り着こうとするエミリーの前に、上から手が差し出された。シーマスだ。
「気をつけて」
 先ほど言い放ったことなど忘れたように、にこりともしないシーマスは、危なげに梯子を掴むエミリーの手を取る。彼に引き上げられるように、最後の一段を上りきったエミリーは、爪が短く整えられた彼の手に触れられた瞬間、自分の鼓動を乱していた正体に気づいた。彼に欲情していたのだ。


「ありがとう」
 シーマスの手を借りて梯子を上りきったエミリーは、俯きがちに礼を呟いた。
 シーマスに小さな両手を取られ、エミリーが最後の一段を上ったとき、彼女が纏っていた外套がふわりと揺れて、隙間から僅かに肌が覗けた。暖炉の奥のこの空間はほぼ暗闇であったが、シーマスの目は、梯子の底部の燭台が届ける僅かな明かりだけで、彼女の白い肌を捉えた。闇の中でうっすら光を放っているかのような乳白色の乳房、小さな丸い臍、そして脚の間に茂る繊毛が、一瞬で目に焼きつく。心臓が高鳴った。
 エミリーが何故先に梯子を上りたがらなかったか、合点がいった。下着を穿いていなかったからなのだ。ストッキングを穿いていたので、てっきり下着も穿いているものだと思っていた。
 まさか、外套の下は全裸にストッキングだけとは。
(マニアにはたまらん……)
 何のマニアだかは自分でもよく分からないが、シーマスは緩もうとする口元を必死に引き締めた。
 梯子を上りきったエミリーは、すぐに手を添えて外套の前を合わせてしまったが、ついその手を押さえつけて外套を剥いでやりたいという衝動が沸く。
 彼は慌てて自制した。そんな場合ではない。それに暖炉のすぐ外では、先に出ているルークが待っているはずだ。
「ルークは先に出てる。先、行って」
 シーマスが抑えた声で言いながら顎をしゃくると、頷いたエミリーは屈んで、隠し通路を出口へと這っていった。
 彼女に続いて通路を四つん這いで進もうとしたシーマスは、目の前にエミリーの肉付きのいい尻があるのを見て、再びそこから視線を逸らして自制しなければならなかった。
 外套の下は下着もつけていない、生の尻だと思うと、外套を後ろからめくりあげてやりたいと思わずにいられない。
 無論、そんなことを本当にすれば、エミリーは悲鳴を上げて逃げ出し、シーマスは暖炉から外へ出た途端に、ルークに蹴りつけられるだろう。彼は無骨な石の側壁など見つめながら、衝動を落ち着かせようとした。
(スケベ領主め、どういう脱がせ方をしたんだ)
 自分のことは棚に上げて、シーマスはルークに殴られて気を失っているはずの領主を罵った。
 同時に、不意にエミリーのことが心配になった。下着を剥ぎ取られていたのでは、もしかするとルークやシーマスが助けに入る前に、領主に既に犯されていたのではないだろうか。
 胸がざわついた。もしそうなら、彼女にひどく残酷なことを言ってしまったことになる。 
 しかし先ほどは、珍しく彼に反論してきたエミリーに、かつてないほどの冷たい怒りを覚えた。ルークのいないところでいきなり彼女に説教を始めたのは、確かに卑劣だ。図星を突かれただけに、理不尽と知りつつも怒りはエミリーに向かった。ルークの声が割って入らなければ、自分でも何をしていたか分からない。
 以前大学で、媚薬に冒されたエミリーがやはり怒って反駁し、シーマスの顔を叩いたことがあるが、あれは子供に反抗されたようなものだ。本気で腹は立たなかった。正気のエミリーが、シーマスに反論してきたのは初めてのことだ。
 生意気な。
 シーマスは目の前で覚束なく動く、エミリーの尻を見つめながら、いずれ彼女が図に乗る前に、思い知らせてやらなくてはなどと思っていた。
 萎縮されれば苛つき、言い返されれば腹立たしい。自分がエミリーに向ける感情は全く不当だとは思うのだが、どうすることもできなかった。

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~ Comment ~

RE:拍手お返事 >Kさん 

拍手、ありがとうございます!

遅くまでお疲れ様です~><

ガーターベルトとストッキングはそのままで、まずはパンツから…という、マニアックな脱がせ方ですね。
性格が似てると、そっちの趣味も似てくるんですかねー。
イーノックの方はいちいち気取ってますが、中身は多分いっしょです(笑)

嫌いな人って、何されても嫌いですよね。
同じ台詞言われても、許せる人と許せない人がいたり^^;
シーマス君は、「の○太のくせに生意気だぞ」という心境でしょうねー。
他の人にはエミリーも口答えしないもんだから、尚更腹立たしいようです…。

そんな確執(ってほどでもないですが)もありつつ、次回で三話も完結の予定ですー。
読んでいただいてありがとうございました♪
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