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魔女とコヨーテ」
第二話 遠吠え

第二話: 遠吠え 4

2009.04.12  *Edit 

 その夜も野宿かと思ったが、街道からやや外れた林の近くに、田舎騎士の館があると商人が教えてくれた。王都から伯爵領に通じる街道を何度か旅をしている彼は、数年前、宿を借りたことがあるらしい。
 商人の記憶通り、街道を外れた辺りに、古代帝国時代を思わせる、無骨で重厚な小さな館があった。確かに貴族より騎士が好んで住みそうな、防衛に秀でた造りだ。木でできた柵と、大人の背丈二人分くらいの高さの石壁に覆われている。 
 頑丈そうな鉄の門を叩くと、しばらくして上の小窓から門番が顔を出した。
 商人が身分を告げて一夜の宿を請うと、門番は一度姿を消した。
 少しの間待たされる。
 夕暮れの中、暖かい風が緩やかに吹いていた。随分と暖かくなったので、野宿もさほど冷えるという程ではないが、やはり屋根のある場所で眠れるなら、その方がいい。
 やがて門がゆっくりと開かれた。門の内側には、門番らしき武装した男と、中年の小柄な男が待っていた。
「残念ですが、我らの主人は、伯爵様の元へお出かけしていて、ただいま留守です。それでもよろしければ、どうぞ。大したおもてなしもできませんが」
 小柄な男が、恐縮するような素振りを見せながら告げた。商人は相好を崩す。
「いえいえ、こちらこそ。軒下でもお借りすることができれば幸いです。ご主人がお留守の間に申し訳ない」
「街道は危険ですからね。この辺りは盗賊も出ますし、獣の集団が出没することもあります」
 小柄な男は温かい笑みを浮かべ、一行を招いてくれた。 
 門の内側は中庭になっていて、住居のほかに小さな礼拝堂と厩舎が見えた。
 小柄な男──恐らく執事だろう──の指示に従い、御者と助手は荷馬車を厩舎の前に繋げた。
「こいつをかけておけ」隊長は護衛たちに、鎖と錠をよこした。「万一荷馬車が下男にでも持ち逃げされると困る」
 隊長の疑り深さには、護衛たちは溜め息をついたが、荷物の護衛としてはこのくらい慎重な方が望ましいのかもしれない。
 渋い顔のウォルターが、乗っていた荷馬車を厩舎の頑丈な柱に鎖で繋ぐ間、シェリルたちは荷物を荷馬車にしっかりとくくりつける。当然、他の馬車も護衛たちが同じことをしていた。
 仕事を終えたシェリルは、ふと厩舎を覗いてみた。厩舎は満員で、葦毛の馬が二頭、黒毛の馬が四頭いる。いずれもやや痩せており、毛並みの手入れもあまり行き届いてはいない。馬はシェリルの姿を見ると、鼻を鳴らした。
「軍馬じゃなさそうだな」
 同じく顔を出したスタンリーが呟いた。彼はかつては軍にいて、厩勤めをしていたという。
「荷物用ってこと?」
「普通の乗用馬だよ。鞍がある」
 彼の指差した厩舎の一角の棚には、確かに鞍が積んであった。
「馬は臆病だから、本来は戦いに向かないんだ。戦場に出せるようになるまでは、素質のある馬を余程訓練してやらないといけない」
 スタンリーは厩舎に入り、手前の黒毛の馬の鼻面を撫でてやった。
 鳥や小動物にはなじみのあるシェリルだが、大きな動物はどことなく怖い。だが、できれば馬くらいは扱えるようになりたいし、その内乗りこなせるようになりたいとは思っていた。
「ほら、そこ。馬で遊んでないで、行くぞ」
 入り口にウォルターが顔を出した。
「そういえば、馬車ん中はどう?」
 手招きだけして、さっさと踵を返したウォルターの後にゆっくり続きながら、スタンリーは小声で聞いてきた。
「別に……。ちょっとずつ友好的なムードにはなってるけど」
「へえ、じゃあよかったじゃん。頑張れよ。あいつ、見かけよりいい奴みたいだしさ」
「…………なんでウォルターの話になるの」
「いやさ、たまにはいつもと違うタイプの男を選んでみると、うまくいくかもしれないし」
 うまくいってもらわないと、俺が賭けに負けるし。スタンリーの内心の呟きは当然シェリルには聞こえなかったが、彼女は苦々しい顔になった。
 賭けを持ち出した時に、誰もがシェリルが振られる方に賭けたがったので、言い出したスタンリーが渋々反対の方に賭けたのだ。そのままではあまりに不利なので、二人と交渉してスタンリーへの支払金は掛け金の倍額にした。
「誰がウォルターに惚れてるって言った? ああいう粗野な男は嫌いなの」
 シェリルは言い募ったが、スタンリーは明るく笑っているだけで、信じていないのは明らかだった。むきになると逆効果だと思って口を閉じたが、ウォルターたちにからかわれ、スタンリーたちにも冷やかされ、誰に対しても退屈しのぎにされている気がする。
 護衛たちと連れ立って厩舎を出て、商人の後に続く。
 案内された住居の中は、長い冬の後で冷え切った石壁に囲まれてひんやりとしていたが、壁にかけられたいくつもの綴れ織りがそれを幾分和らげていた。
 近寄ってよく見てみると、織物で有名な王都の向こうの自治領のものだ。ここの田舎貴族はなかなか趣味がいいようだ。
 狭い廊下のすぐ向こうに食堂がある。
「すぐに食事の準備をさせましょう」
 執事らしき男は、穏やかな笑みを残し、厨房に消えた。
「ありがたい話ですね。突然訪れたのに」
 副伯は妻の肩を抱き、商人に笑いかけた。長旅で副伯夫人は、ここのところ体調がすぐれないようだった。
「伯爵家に仕える騎士の方々は皆慈悲深いのですよ」
 商人は微笑み返した。
 食堂はなかなか広く、田舎暮らしの騎士といえど、こうして旅人や客人を招くことが多いのか、長テーブルが二台並んでいた。
 食堂にも綴れ織りが各壁に下がり、冬の時期のこの地方の寒さのほどをうかがわせる。
 美術品や工芸品に興味があるシェリルは、壁の隅などに少なめに置かれた調度品に目を向けた。
 青銅の産地として有名な町の紋章が入っている鏡や、細かな細工の入った燭台がある。 
 シェリルはしばらくタペストリや調度品を代わる代わる凝視していた。


 真夜中を過ぎてもまだ暖かかった。湿った大気の上の夜空は厚い雲を含み、月と星を覆い隠している。光の差さない暗い夜だった。
 若く華奢な副伯夫人は、ここ数日体調を崩し気味で、夕食の前に席を立ち、厠に走った。食事を前にして嘔吐してしまったらしい。
 夫である副伯と彼らの護衛の冒険者は、大袈裟な程慌てた。館の執事に寝室を用意させ、食事も取らずに夫婦は早々にそこに引き上げてしまい、夫人の看病の為か、冒険者たちも続いた。誰も言葉にこそ出さないものの、体調不良ではなく、妊娠の兆しではないかとも思った。

 貴人である副伯夫婦の為に、留守中の騎士の寝室が提供された。従者の為の続き部屋がある造りになっている。護衛である冒険者たちは、その続き部屋で眠っているようだった。
 未明。夜の最も深い時間に、その扉が音も無く静かに開け放たれた。
 廊下から小さなランプを持った男を先頭に、四、五人の男が忍び足で入り込む。彼らは召使い用の寝台に冒険者の女二人、そしてその側の床に男三人が寝転がっているのを見た。
 最初に入ってきた大柄な男が頷くと、他の男たちは懐や腰から短剣を抜き、寝転がっている男三人の冒険者の首を素早くかき切った。 
 小さく血しぶきを吹き上げたものの、呻き声すらあげずに、冒険者たちは動かなくなった。
「女は?」
 男の一人が、先頭の男に短く尋ねる。彼は無表情で答えた。
「好きにしろ」
 男たちは喜々として、何も知らずに寝台で寝込んでいる若い二人の女に群がった。
 それを尻目に大柄な男は奥の扉を開け、主寝室に踏み込む。床に敷かれた織物が男の足音を吸い込んだ。
 男の掲げる擦り硝子を使ったランプの控え目な光に、樫製の寝台が浮かんだ。田舎騎士の寝室にしては豪華だ。衣装棚の他に書き物机、本棚まである。
 寝台に近づくと、体を胎児の様に丸めて眠る夫人と、それを後ろから支えるように横たわる副伯の姿が見えた。若い夫婦は旅の疲れで熟睡しているようだった。
 男は無感動に腰に下げた剣を抜き放つ。
 一気にその切っ先を夫人の腹に食い込ませ、第二撃を副伯の首筋に突き入れた。

 手ごたえの奇妙さに、男は眉を寄せた。副伯の体から引き抜いた剣を凝視する。確かに血のりが付いている。だが、肉を切り裂く感触が普段と違う。
 背後の続き部屋に通じる扉が音を立てて閉じた。 
 ランプのささやかな光をあざ笑うような、眩しい光が満ちる。突然の目映さに男は思わず目をすがめた。
 瞳が光に慣れた数瞬後、彼は寝台に横たわっているはずの副伯夫婦の死体が掻き消えているのに気づいた。血痕も無い。上掛けの上に刃物を突き立てたような、見苦しい傷が二箇所あるだけたった。
「幻術か」
 男は衣装棚の陰から姿を現したシェリルに、舌打ちを投げつけた。
「よく知ってるね。──この部屋の仕掛けはそれだけじゃないよ。動かないで」
 シェリルは怒りを抑えた低い声で告げ、抜き身の剣を下げたウォルターを睨み返す。彼は表情を緩め、いつもの品の無い笑みを浮かべた。
「なるほど。あんた、魔術師だったのか。おまけ呼ばわりしたことは謝るよ」
 ウォルターの呑気な口調に、シェリルの心に苛立ちと共に焦りが現れた。そんなことを謝って欲しいわけではない。
「……あんた、暗殺者だったのね」
 分かりきったことだが、問わずにはいられなかった。
 続き部屋での彼らの動きを、シェリルは壁を通して魔術で見ていた。
 ウォルターが連れている男たちに指示し、仲間たち──無論、シェリルが精巧に作り上げた幻である──をためらいなく殺し、自分とマライアの幻に襲い掛かったことも知っている。幻術の集中を解いた今、陵辱していた女たちが掻き消えて、彼らはさぞかし困惑しているだろう。
 しかし、男たちがこちらの部屋に入ってくることはない。扉は見えない力で固く閉ざされている。
 ウォルターも一目瞭然のその問いには答えず、別の質問を投げかけてきた。
「何で感づいた? 副伯はどこだ?」
 後者の質問に答える必要はない。だが、シェリルは彼らの迂闊さをせせら笑ってやりたかった。
「何でか? だって、この館おかしいじゃない。主人の騎士は伯爵家に行っているって話だけど、厩は馬で一杯だった。主人はどの馬で出かけたのよ? 贅沢な調度品が置いてあるのに、馬の手入れが悪いのは? あれは餌もろくにもらえてない、掃除もしてもらってない馬の様子よ」
 男は不動の姿勢で、黙ってシェリルの口上を聞いていた。
「鏡だの燭台は磨いてあるのに、タペストリの埃は払っていない。前に伯爵に聞いたことがあるのよ。タペストリの埃は秋から春にかけては特にまめに払わないと黴が生えるから、細心の注意を払うってね。決定的じゃないけど、何かおかしいと思った」
 どこかがおかしい。主人の留守中に召使いたちが怠けているだけかもしれないが、心から寛いで一晩過ごせるような館ではない。
 シェリルは食事の寸前、吐き気をもよおした夫人を厠に案内しながら、副伯とスタンリーに彼女が感じた違和感を打ち明けた。
 スタンリーは神経質ともいえるシェリルの慎重さを尊重している。気の回しすぎで徒労に終わった結果も多かったが、何度か重大な危機を回避できたこともあったからだ。
 今回も念には念を入れ、スタンリーは副伯を説得して、食事を取らずに寝室に引き上げた振りをしながら、こっそり館を抜け出すことにした。
 無論、杞憂に終わる可能性もある。それならそれで、夜明け前にもう一度館に戻り、今まで通り旅を続ければいい話だ。
 だが、商人と彼の護衛たちには黙っていた。彼らを巻き込むには、あまりにも漠然とした不安だからだ。
 そしてそれを確かめるために、シェリル一人が館に残ることになった。他の仲間たちは副伯夫婦と共に館を抜け出し、今夜一晩外で過ごしている。
 シェリルは幻術を駆使して副伯と自分たちの幻を作り、何事も無いことを祈りながら、この寝室の衣装棚の陰で静かに座っていた。
 まさか、本当に襲ってくるとは思わなかった。
 魔術の目で見た隣の部屋の光景に、彼女は戦慄した。襲い掛かってきた男たちは、館の執事や門番、給仕たちだったのだ。
 しかしその先頭にいる男がウォルターだったことに比べれば、大したことのない驚きだった。
「ほとんど女の勘だな。しかし、おとなしく商人たちと一緒にメシ食ってりゃ、楽に死ねたのによ」
 にやつくウォルターの言葉に、唇を痛いほど噛んだ。
 もしかすると、商人自身、そして彼の護衛もからんでいるのではないかと思ったが、暗殺者として隊商に紛れ込んでいたのはウォルター一人のようだ。
 やはり食事に毒を入れていたのか。
 ぎりぎりのところで自分たちだけ危機を免れた訳だが、シェリルを苦い後悔の波が襲った。自分の勘を信じて、商人にも忠告してやればよかった。
「……彼らはどうなったの?」
「全員死んでるさ」
 おどけたように肩を竦める傭兵に、シェリルの怒りは頂点に達した。
「ひどい。関係無い人間を巻き込むなんて!」
「商人を巻き込んだのは、副伯だろ? 他人を巻き込むのが嫌なら、隊商なんか頼るなってんだ。俺たちは仕事だから、完璧に遂行する為なら、他の人間のことまで構ってられないの。あんたらだってそうだろうが」
「あたしたちは違う」
 それは確信があった。神にかけて善人だと胸を張るつもりはないが、どんな仕事をする時でも、彼女たちは敵以外の犠牲は最小限にしてきたつもりだ。破門されながらも教会の教えを失わないマライアの意志もあったし、無駄な殺戮によって敵を作りたくはなかった。
 伯爵の頼みで副伯の保護を引き受けてしまったばかりに、こんな田舎の屋敷で毒殺されてしまった人の好い商人や、彼に長年従ってきたあの無愛想だが慎重な隊長を、心の底から哀れんだ。やりきれない。
 首も振らず、まっすぐにウォルターを睨んだが、男はしっかりとその視線を受け止める。
「偽善だな」
「開き直るよりましだね。……執事や召使いは、あんたたちが買収したの? それとも……」 
「いいや、あれは皆俺たちの仲間だ。ここの本当の主人と召使いどもがどうなったかは、正義の味方のお前らに話しても楽しくないと思うけどねえ」
 怒りのあまり体が小刻みに震える。なんて連中なのだ。
 ジャクリーンが言ったことは正しかった。この男はろくでなしどころか最低だ。少しでも心惹かれたのが恥ずかしい。
 その忠告をしてくれた彼女も、今は毒を混ぜられた食事の為に、隊長や商人と冷たくなっていると思うと、涙が出そうだった。

 副伯が伯爵お抱え商人の隊商と共に街道を旅することを知り、街道途中にある人里離れたこの田舎騎士の館を襲って彼らを殺した。そして召使いたちになりすまして、標的である副伯が通りかかり、宿を取りに訪れることを待っていたのだ。
 護衛たちの中には彼らの味方であるウォルターがいるのだ。商人が言い出さなくても、彼がどうにか隊商を言いくるめて、この館へと誘導したのは間違いないだろう。
 副伯は、彼の命を狙っているのは叔父だと言っていたが、彼の領地とて、そう大きなものではない。田舎貴族の暗殺の為には、あまりにも大掛かりな気がする。
「誰に雇われたの?」
 普段の甲高い声を押し殺して低い声で訊いたが、ウォルターは相変わらず余裕を崩さなかった。
「一応プロだぜ。言うと思うか?」
「口を割らせる方法はあるのよ」
「おお、こわ。……だけど、そろそろこっちの質問に答えてくれませんかね?」ウォルターは長剣を鞘に納めると、反対側の腰に下げていた短剣を抜いた。「副伯はどこだ?」
 投げつけるつもりか。シェリルは緊迫した声で答える。
「警告はしたよ。次に動いたら殺す」
 どんな刃物を出されようと、この部屋では圧倒的に有利なはずだが、ウォルターのように薄笑いなど浮かべる余裕は無かった。
 予めこの部屋には、魔術による結界を張ってある。ここにいる限り、シェリルは容易に術を使える。触媒を何種類も並べて撒き、長々と呪文を唱える必要はない。あらゆる精霊の加護が彼女の元にある。
 仮にウォルターが短剣を投げつけたところで、シェリルに突き刺さることはない。逆にほんの少しの集中と指の動きで、ウォルターをどうにでもできる。彼を拘束することも、見えない刃で彼の喉を引き裂くこともそう難しくはない。
「可愛い顔して、恐ろしいこと言うな」
 ウォルターは相変わらずふざけた態度で言い残し、背を向けて寝台から離れて扉の方へすたすたと歩いた。扉はシェリルが魔術で封じているので開かないはずだが、シェリルの脅しを本気と取っていないのは明らかだった。
 仕方ない。
 ウォルターはいまや暗殺者であり、商人たち一行の敵でもあったが、一度危機を救われている。聞きたいこともあるし、すぐに殺してしまうのは気が引けた。この状況を分からせる為に、少しおとなしくなってもらおう。
 シェリルは意識を集中した。

 おかしい。
 彼女の意識に応じて、ウォルターに光の糸が巻きつくはずだ。
 だが何も起こらない。
 集中する為に軽く閉じていた目を開ける。戸口の側に立っていたウォルターが振り返った。
「どうした? 目にもの見せてくれるんじゃないのか?」
 彼は短剣と反対の手に持っている小さな銀のピンを掲げて見せた。
 血の気が引く。
 あのピンは他ならぬ結界を構成している重要な触媒だ。部屋の壁と床、目立たない石の隙間に軽く打ち込んでおいた。一本でも失われれば、もはや結界は維持できない。
 狼狽して口も利けずにいるシェリルに、傭兵は大股で歩み寄った。
「あんた、確かに若いのに優秀な魔術師だ。だけど術を使えるのは自分だけだと思っているところが慢心だな」
 本能的に逃げ場を探して、彼女は周囲を見渡したが、寝室の奥は行き止まりだ。鎧戸を閉ざした窓があるきりだが、二階の窓から飛び降りれば、怪我では済まない可能性もある。
 それでもシェリルは近づくウォルターから距離を取って時間を稼ごうとした。
 だしぬけに寝室の扉が大きく開く。
「おい、大丈夫か!」
 続き部屋にいた男たちがなだれこんできた。結界が解けて、シェリルの魔術によって施された扉の封印も解けてしまったのだ。
 そちらの動きに気を取られた一瞬で、ウォルターが間合いを詰めてくる。後ずさろうと思った時には、がっちりと腕を掴まれていた。
「どうなってんだよ。あの冒険者ども、幻みたいに消えちまったぞ」
 執事の扮装をしていた小男がウォルターに問いかける。彼はシェリルを捕らえたまま、振り向きもせずに答えた。
「幻だったんだよ。魔術師にぺてんにかけられたんだ」
 小男が刺すような鋭い視線をシェリルに向ける。圧倒的に不利な状況に、混乱しながら恐怖している彼女は、睨み返す気力も無い。
 これからどうなるんだろう。
 危機は何度もあった。いつも、どうするかということを考えてきた。どうなるか。なす術も無く、降りかかることを待つだけだったことは、世間に出てからはそうはない。
 それにいつも仲間が側にいた。彼らがいるというだけで、どれほどの安心感があったのだろう。今さらながら、仲間たちのありがたさを思い知った。
 けれど今のシェリルはたった一人で、数人の男に囲まれている。
 距離。時間。仲間。何でもいい。敵と彼女の間を隔てるものさえあれば、魔術師の彼女は術を行使して危機を回避することもできるだろう。
 しかし腕を掴まれた状態で、結界も破られた今は、ただの無力な小娘だ。ウォルターの手を振りほどく程の力も無い。
 失敗した。
 館から抜け出す前にスタンリーが、シェリル一人で残るのは危険だと言ってくれていたのだ。一人誰か一緒に残すと言ってくれた。
 だがシェリルは真夜中の街道に出なければならない副伯夫婦の身も心配だった。相変わらずコヨーテの遠吠えは聞こえていたし、盗賊も出るかもしれない。シェリルと一緒に一人が残れば、それだけ副伯の護衛が手薄になる。結界さえ張っておけば、シェリル一人なら逃げるのもたやすいと、スタンリーの申し出を断った。
 まさか結界を見抜かれて破られるとは思わなかった。常に『まさか』より『もしかしたら』の場合を考えてきたシェリルだが、今回は軽率だった。ウォルターの言う通り、慢心していた。
「魔法使いって、この小娘がか?」
「そうだ。感づかれて、副伯にも逃げられちまったみたいだ」
「何だと!」小男は顔色を変えた。「こんな七面倒くせえことさせといて、逃げられちまっただと? どうしてくれんだ、コヨーテ」
「俺に言うな。よっぽどこいつらの勘が良かったんだよ」
 ウォルターはシェリルの腕を強引に引き、部屋の真ん中に引きずり出した。
 魔術によって作り出した明かりもそれを失い、今部屋はウォルターと男たちが持つランプだけが照らす、薄暗い空間に戻っている。
「おい、ガキ。あの貴族はどこに隠れてる?」
 宿を借りた旅人を快くもてなしてくれたはずの執事は、今は苛立ちに顔を歪めた悪漢でしかなかった。ウォルターに腕を掴まれたままのシェリルの胸倉をさらに掴む。
 シェリルが黙っていると、いきなり頬を張られた。
 多少は手加減したらしいが、それでも少女には強烈だった。体が傾き、倒れそうになるのを、腕を掴んだウォルターが乱暴に支える。叩かれた部分が熱く、びりびりと痛む。
 ウォルターは掴んでいた彼女の腕を背後に回し、もう片方の腕と共に背中で縛り上げた。その間、短剣を手にした男たちに囲まれたシェリルは、恐ろしさのあまり抵抗もできずにいた。
 これから自分を待ち受ける出来事を思うと、涙をこらえるのがやっとだった。

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