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山間の城の物語」
第一章 山間の城

4.ねぐら (1)

2010.07.08  *Edit 

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4.ねぐら

 つい先ほどまで礼儀正しく快活だった青年士官たちが、給仕をしていた侍女たちに襲いかかり、組み敷いている。華やかだった宴会場は悲鳴と怒声が飛び交う地獄と化していた。

 ──レジーナのそんな心配は杞憂だった。広間は出た時と変わらず、長テーブルに腰掛けた士官たちは酒を酌み交わし、ところによっては立ち止まる侍女を交えて、話に花を咲かせていた。見る限りでは、話に加わっている侍女たちも、強引に酌をさせられるでもなく、不快そうではなかった。
 彼女たち二人が木戸から広間へと入ると、気づいた士官たちが何人か顔を向けた。レジーナは極力表情を消して感情を押し殺す。庭で何があったのか、想像もさせたくなかった。
「お帰りなさいませ、お二人とも」
 その場の多くの者が、二人に声をかけるのをためらっていたが、最初に口を開いたのは、あのニコラスという士官だった。にこやかな微笑を浮かべているが、レジーナは自分が観察されているような気がした。
「中庭はいかがでした?」
 そつなくグレンに酒をついだ杯を差し出す。グレンはそれを片手を振って断った。
「いや、いらん。──副伯自慢の庭は素晴らしい眺めだったぞ。お前らみたいな無粋な連中がどかどか押し入っていい場所じゃない。庭師と相談するまでは、あそこは立ち入り禁止にする」
 士官たちが大袈裟に不満の声をあげたが、グレンは取り合わずに、レジーナの顔を見た。
「そういうことでよろしいですか、副伯夫人? あの美しい庭を無骨な軍人が踏み荒らしてしまうのは勿体ないですからね」
「……ええ。お気遣いありがとうございます」
 グレンとまともに目を合わせられない。レジーナは士官たちに微笑みかけた。
「いずれは庭師とも相談しまして、皆様にご覧いただきたいと思います。今はご辛抱ください」
 ニコラスは彼女の言葉に対して、体を折って礼を取った。
「残念ですが、副伯夫人のお言葉とあらば、いつまでもお待ちいたします」
「何だ、そりゃ。俺と同じこと言ってるのに、その態度の違いはなんだ」
 グレンはニコラスを軽く睨んだが、特に気分を害した様子は無かった。ニコラスも肩をすくめ、「失礼しました」と言うに留まる。意外にも士官たちとは気さくな仲らしい。
「それじゃ、俺は先に休むから、あとは適当にやっとけ。あまり遅くまで騒いで、御婦人方に迷惑かけるなよ」グレンは士官たちに言い捨て、レジーナを振り返った。
「では、奥方様、ご案内いただけますか?」
 レジーナは燭台を手に取り、無言で彼を促して歩き出した。
 通常、客人の身分が主人より高い場合は、客人の滞在中、主人は自分の部屋を提供する。ここの城主は副伯の爵位と領地を持っているが、客人であるグレンは大公からもらった騎士の称号を持つだけだ。厳密に言えば、身分は城主の方が上のはずだが、力関係を考えればそうも主張できない。
 グレンの背後にいる大公は、形としてはまだ王の臣下だが、急速に力をつけ、今度の遠征も一軍を送るのみで、自身の出征を病気を理由に断ったほどだ。領地と爵位をもらう代わりに、王からの出兵要請があれば、総力を連れて自ら駆けつけるのが臣下の努めであり、それをしないのであれば、謀反の意志があると思われても仕方がない。
 遠征中で、王も諸侯も反逆者に構うどころではないという時期とはいえ、最悪の場合は国内の勢力を敵に回して一戦交える覚悟と自信が大公にはあるということだ。その力は王に肉薄するほどのものだろう。
 その公国軍の一翼を担う司令官が客である。レジーナが主寝室に寝て、彼を客室に通すわけにはいかない。グレンの方で、相手が婦人だからと遠慮するならば話は別だが、到底そのような慎みを発揮する相手とも思えなかった。

 主寝室は予めグレンを休ませる為に整えさせておいていた。
 男の隙を狙うなら寝所で、情事の最中が最も適している。恐らく好色なグレンがレジーナを誘い込むだろうと予想はしていたが、そうでなくても自分から忍んでいくつもりだった。そこでグレンを殺し、夜の間に侍女たちと総出で士官たちを始末する。
 会談の最中に隙が無ければ、そうするつもりだった。しかし応接間での派手な失敗で、計画は水泡に帰した。
 既にレジーナにはグレンを殺す気は無かった。あの忌々しい男が言うことが本当であれば、この軍を撃退したところで、次の軍がやってくるだけだからだ。防衛に秀でた堅固な山城とはいえ、強大な軍事力を持つ大公を相手に、何年ももつわけがない。夫が戻った時に廃墟と化した姿を晒したくないなら、早々と軍門に下る方が得策だ。
 彼らの目的がこの城だというのなら、決死の抵抗という道も選ばざるをえないのかもしれないが、大公の軍の真の獲物は、切り立った谷の向こうの伯爵領なのだ。目の前を通り過ぎる飢えた獣の群れは、刺激せずに目を瞑ってやり過ごせば、こちらへの害は少ないかもしれない。
 そう考えれば、応接間でグレンに暗殺を見抜かれてしまった件は、失敗では無かったとも言える。あの時、グレンを殺してしまっていれば、今頃剣を振りかざして、ニコラスたちと切り結んでいただろう。そして勝てたとしても、束の間の勝利に過ぎなかったわけだ。だとすれば、暗殺を防いだグレンに感謝してもいいような気もした。
 彼も所詮は国の命令で進軍してきた一軍人に過ぎず、彼一人を憎んだところではじまらない。それに今のところは城内の人間は丁重に扱われている。……レジーナを除いて。
 先ほどの情交の際、グレンは彼女の体内に射精した。副伯夫人──跡継ぎを産む身に対して。万一のことがあれば、戦地から戻った夫にどう言えばいいのだろう。
 だが、望まない行為だったとはいえ、暴力によって陵辱されたわけではないのだ。通常、軍隊に蹂躙された女が辿る道を考えれば、あるいはレジーナも丁重に扱われていると思っていいのかもしれない。自嘲気味に彼女は考えた。
「レジーナ様」広間を出ようとしたところで、侍女が一人近寄ってきた。まだ年若い、十代の少女だ。「大丈夫でしょうか?」
 すがりつくようにレジーナの腕を捕らえる。その手が目に見えて震えていた。まだあどけない愛らしい顔は、今にも泣き出しそうだ。
「大丈夫よ、イブ。心配いらないわ」
 レジーナとグレンが寝室へと去った後、士官たちが自分に不届きな真似をしないか恐れているのだろう。レジーナはそう考えた。安心させるように、彼女の手を取り、優しく握る。
「そうですよ」後ろからついて歩いていたグレンが侍女に声をかける。「私の部下なら、夜が更ける前に退散するように伝えておきました。酔っ払って寝込んだ連中がいたら、朝まで放っておいてもらって結構です」
「いえ、私、レジーナ様が……」
 グレンの方を見ようともせず、幼い侍女はレジーナの手を握り返して続けようとした。レジーナも、この娘が彼女自身の身ではなく、他ならぬレジーナの身を案じていることに気づいた。レジーナとグレンが庭に出てから起こったこと、そしてこれから寝室でレジーナの身に起こることを心配しているのだ。
 彼女の心遣いが嬉しいというより、年端もいかない侍女に心配をかけている自分が情けなかった。
 イブも戦いの訓練を受けている。ここでレジーナがもし助けを求めれば、グレンにすら切りかかる覚悟があるのだろう。若く純真な少女は、夫以外の男に抱かれるレジーナが、城内の人間の安全と引き換えにするほどの、とてつもない苦痛を受けていると思っているに違いない。
「私なら大丈夫よ。広間の方をお願いね」
 優しく諭したが、イブはレジーナの手を放さなかった。
「でも……でも、私たちの為にレジーナ様が……」
 後ろにいるグレンが苛立つ雰囲気が伝わってくる。レジーナが口を開く前に侍女頭がイブの腕を掴んだ。
「イブ、こちらへいらっしゃい。仕事をさぼってはだめよ」
「でも……」
 侍女頭に答えるイブの声が嗚咽で微かに震えていた。侍女頭はそんな少女に向かってかぶりを振ってみせる。
「司令官様がお休みになるのだから、邪魔をしてはいけないわ。レジーナ様の客人なのよ」
 そう言い、グレンに向かって申し訳ございません、と丁重に頭を下げると、イブの手を引いて、士官たちが集まる方へ戻っていった。


「何あれ。お前侍女を手なずけてるの? 女の方が好きだったのか。だから旦那にもやらせなかったんだな」
 広間を出て、廊下を歩きながらグレンは勝手なことを言っている。
「違うに決まってるでしょ」
「それで可愛い子が多いんだな。いいなー、立場を利用して、よりどりみどりだな~」
「……人の話を聞きなさいよ。で、私に訊きたいことって何?」
「んん~? 何だっけ?」
 グレンは天井を仰ぎ、わざとらしくとぼけた。
 その態度が気にはかかったが、レジーナには自分がこの男にとって、有用な情報を持っているとは思えなかった。
 彼らの目的は伯爵領への侵攻だ。その為にこの山間に間道を作ろうとしているらしいが、他ならぬその急峻が隔たりとなり、この村と伯爵領とはほとんど交流が無い。
「まさか、またくだらないことじゃないでしょうね」
 燭台を手に、先に立って寝室に続く階段を上りながら、彼女は口を開いた。
「またとは何だ。くだらないってどんな?」
「侍女と女中が何人いるかとか、それぞれ何歳で独身かどうかとか……」
「わはははは」
 グレンは心底おかしそうに笑い、レジーナの背中をばしばし叩いた。馬鹿力のせいで少々痛い。
「お前も面白いこと言うなー。まあ、それは必要だね。部下に言って一覧表を作らせよう」
 何が一覧表だ、この底抜けの大馬鹿。女好き。
 心中で思い切りグレンを罵倒したが、肝心の件ははぐらかされてしまった気がした。


 レジーナも城主も主寝室に護衛をつけたことはなかったが、いつの間に手配したのか、たどり着いた寝室の前には、グレンの部下が一人控えていた。グレンにしてみれば、降伏したとはいえ、敵地で眠るのだ。安眠の為に護衛くらいつけておくのも当然かもしれない。
 この士官の目に自分はどう映るのか。巨大な軍勢の前に降伏し、総大将を寝室に招き入れる哀れな女城主。これから自分の主人と寝る女。
 レジーナは士官と目を合わせづらく、先に立って手早く扉を開けた。
「なんだ、鍵も掛けないのか。無用心だな」
 鍵穴すらついていない扉を見て、グレンは呆れたように言う。
「だって必要無いもの。誰も入ってこないし」
「田舎はいいねえ。公都では考えられないな。鍵も掛けずに高イビキこいてたら、翌朝には死体になってるぜ」彼は士官に顔を向けた。「……だそうだから、もう一人増やせ。鍵がつくまでは、当面二人で見張ってろ」
「はい」
 士官は姿勢を正して短く返事をすると、広間の方へと消えた。
「そんなにびくびくしなくても大丈夫だってば」
 自分に続いて寝室に入ってきたグレンに向かって、レジーナは苦笑しながら肩をすくめてみせた。
「私が一緒にいるのに、あんたを闇討ちしようなんて、この城内にいる人間は考えないわよ」
「へ~え」グレンは顔を歪めて笑った。「あー、そお。俺はここまでの案内を頼んだだけだけど、一晩中一緒にいてくれるつもりだったんだ」
 レジーナの顔が赤らむ。言葉の揚げ足を取られただけだと分かっていても、目に見えて動揺してしまった。
「なによ! あんたが訊きたいことがあるって言うから、付き合おうと思ったんじゃない。用が無いなら戻るわよ」
「おい、あぶねーよ。燭台振り回すな。火ぐらいつけていけ」
 レジーナは渋々と、寝室にいくつかしつらえた燭台やランプに火を移し始めた。
 揺らぐ明かりに浮かび上がる寝室は簡素だ。天蓋も無い寝台と、天井まで伸びた頑丈な樫の外套掛けが目を引くくらいで、後は衣装箪笥と物入れ、小さな暖炉くらいしかない。調度品の類もほとんど置いていなかった。
 できれば着替えたい。せめて新しい下着を出して穿きたいと思ったが、この小さな部屋ではグレンに見咎められるのは確かだったし、かと言って彼に着替えさせて欲しいと頼むのも気恥ずかしかった。
 
「あー、気持ちいい。ベッドで寝るなんて久しぶりだー」
 人を働かせておいて、グレンはさっさと寝台に寝転んでいる。長靴を履いたままの足が、洗濯したての掛け布に無造作に乗るのを見て、苛立った。
「靴くらい脱いでよ。せっかく綺麗にしてあるのに」
「……もー、うるせーなー。オメーは俺のかーちゃんかよ」
 文句を言いながらも、彼は起き上がって長靴の紐を解き始めた。その仕草にふと親しさのようなものを覚え、レジーナは自分の心を戒めた。必要以上に心を許してはいけない。彼が敵であることには変わらない。
 空気を入れる為か、小さく開けてあった窓から、春の空気が緩やかに部屋に入り込んで、燭台の炎を揺らす。レジーナが留め具を外して窓を閉めようとすると、グレンに止められた。
「いいよ、開けたままで。いい天気だし」
 グレンの言う通り、外には雨の気配も無く、まだ月が輝いていた。レジーナはさっさと窓辺から離れて、暖炉の側の燭台に向かい、火を移す。あまり寝台の方を見ていたくない。昨日まで自分が、そして半年前までは夫と二人で休んでいた寝台に、グレンが我が物顔で寝転がっているのは不愉快以外の何物でもなかった。彼女は暖炉を覗き込んだまま、グレンに声をかけた。
「暖炉の火は要らないでしょ?」
「いらんいらん。今日は暖かい。それより用が済んだら、レジーナちゃんも一緒に横になりなさいよ」
「遠慮するわ。……なんでそこでオネエ言葉になるのよ」
 自分が心の中で何かを待っている気がして、レジーナはことさら話をふざけた方へ持っていこうとした。早く、できるだけ早くここから出て、広間へ戻らなければいけないと思うのに、どこかでそれを引き延ばそうとしている。
「じゃあね。おやすみなさい。できれば永遠にね」
 心の奥底に溜まり始めたものを振り払うように、レジーナはそう言い捨て、背を向けて歩き出そうとした。
「あー、あとこれ、掛けといて」
 背中に何かが被さった。手に取ると、グレンの上着だ。寝台から自分に向かって放り投げたらしい。行儀が悪い。
 レジーナは仕方なく、外套掛けに掛けてやろうと思って振り向いた。寝台の端に腰掛けたグレンが上着どころかズボンまで脱ごうとしているのが目に入り、思わず声をあげた。
「ちょっと、なに脱いでんのよ!」
 グレンは驚いたように顔をあげた。
「……寝るからだよ。お前こそ何喜んでんの」
「喜んでない! あたしが部屋出てから脱げばいいじゃないよ」
「はいはい。こまけーな、いちいち」
 レジーナは動きを止めたグレンから目を背けて外套掛けに歩み寄った。
 燭台を暖炉の棚に置いて彼の上着を掛けながら、内心安堵した。黙り込んでいるよりは何か話した方がいい。妙な雰囲気にならずに済む。
 突然外套掛けの上に伸ばしていた右手を後ろに引かれた。

 何が起こったのか分からなかった。
 右手を引っ張られてよろめいた瞬間に、左手も掴まれ、体ごと反転させられた。そこにいるはずのグレンの姿が無い。いぶかしむ間も無く、そのまままた両腕ごと後ろに引かれ、背中に外套掛けが当たる。背中に回された両手首が合わされて、何かが巻きついた。
 動けない。やっと気がついた。外套掛けを挟んで、背中で手首を縛られてしまったのだ。
 両手を背中に回されたまま、窮屈に振り返ると、そこにいたグレンと目が合った。つい今まで欠伸をしていたというのに、素早い動きだ。靴を脱いでいたせいか、足音にも気づかなかった。
 縛めを外そうと手首に力を込めると、皮の感触に阻まれる。無理に動かすと皮膚が擦れて痛い。括りつけられた外套掛けは、天井と床の間に張っている頑丈なものだ。体を揺らしたぐらいではびくともしない。
「何の真似?」
 レジーナは正面に回りこんできたグレンを睨みつけ、押し殺した低い声で言った。並みの傭兵や冒険者ならひるむような、凄みの効いた声だ。実際、彼女の脅しを聞き、何人の男が怯えて涙目になっただろう。 
「これが歓待に対する礼なの? あんたの取り計らいには、十分に義理を果たしたと思うけど」
「まさか」グレンはにやにやと笑っている。レジーナの恫喝も全く効果が無い。「聞きたいことがあると言ったよな」
「それならさっき私から聞いたじゃない。あの時はくだらないこと言っておいて、今になって何よ。悪いけどね、縛り上げられて尋問されるような重大な秘密は持ってないわよ」
 まくしたてながら、内心レジーナは必死だった。自分で自分の感情を制御できるうちに、流れていくものをせき止めなければ。滑稽でもいい、害意や悪意でもいい、寝室に満ちる雰囲気が甘く、暖かくなりさえしなければいい。二人の間の空気を冷たく乾いたものに変えたい。いっそ、目の前の男にただ欲望のままに陵辱された方がまだましだ。それならこの男を憎むだけで事足りる。
「知ってる。お前が重大な情報を持ってると思うほど、俺もめでたくないよ」
 嘲笑されて、さすがにレジーナはむっとした。事実だが、あからさまに見下げられると腹立たしい。
「分かってんなら、さっさとほどきなさい。こんなことしなくたって答えてやるわよ。どうせ大した情報じゃありませんからね」
「聞きたいことは、そう多くない」
 レジーナの言葉を無視してグレンは話し始めた。「副伯に出兵要請が来た時、国王から勅書が届いたな?」
 レジーナは黙って頷いた。出兵要請の為に勅書を持った使者が訪れたことは、隠し立てする必要も無いし、普通のことだ。
「読んだか?」
「まさか。いくら夫婦でも、勅書は読まないわよ」
 これも本当のことだった。国王より臣下である副伯のみに宛てられた勅書を妻とはいえ、王の許しもなしに閲覧するわけにいかない。レジーナも読みたがらなかったし、夫も読ませようとはしなかった。
「勅書は、ダンナが持っていったのか?」
「決まってるでしょ。勅書無しでどうやってノコノコ陛下の前に軍隊連れて行けるのよ」
「写しも取っていないのか」
「無いわ。それこそ無用心じゃない」
 嘘だった。万一に備え、夫は自ら勅書の写しを取り、レジーナに託した。無論、レジーナは夫の身に何かあるまでそれを開封してはいない。
「なるほどね。つまんねー女」
 グレンは興味を失ったようにレジーナの元から離れると、再び寝台に腰掛け、腕組みしながら何事か考えている。その視線の先に、他ならぬ勅書の写しを隠した物入れがあった。感づかれているとは思えないが、ひやひやする。
「失礼ね。何がつまんないのよ」
「旦那に届いた手紙くらい、盗み見とけよ。愛人からの手紙だったらどうすんだ」
「バカじゃないの? 手紙届けるのにわざわざ王からの勅書を騙る愛人がどこにいんのよ」
 グレンはレジーナの言葉に返さず、再び何か考えているようだった。
 内容を知らないから判断がつかないが、国王からの勅書が、大公に取ってそれほど重大なものとは思えなかった。ただの出兵要請だと夫も話していた。
 レジーナは迷う。咄嗟に嘘をついたが、この寝室はしばらくグレンが使うのだ。その気になって彼が家捜しすれば、勅書は簡単に見つかるだろう。そうなってから痛くもない腹を探られるよりは、今素直に話しておいた方がいいかもしれない。
 しかし写しがあることを知れば、グレンが勝手に開封するかもしれない。いや、彼のこの口調からすれば間違いないだろう。グレンが直接読むかどうかはともかく、大公は勅書の内容を確認したがっている。
 明日にでもグレンが部屋を空けている間、そっと持ち出して客室に隠しておけば、見つからずにすむかもしれない。
「その勅書に何があるってのよ?」
 悶々と考え込むより、レジーナは直接疑問をグレンにぶつけてみた。彼はレジーナを振り返り、面白くもなさそうに答える。
「それが分かんないから聞いてんだろが。……お前の旦那が王位継承権を持つことは知ってるよな?」
 妻なのだから当たり前だ。頷きながら、レジーナは胸騒ぎを覚えた。
 夫は確かに王家の血を継いでいるが、遠縁だ。継承権を持っているとは言っても、両手の指に入るか入らないかというほどで、もとより夫も王位に対する野心など欠片ほども無い。
「まさか主人が、勅命で王位を譲られるかもしれないとか考えてるの? 何の後ろ盾も無く、こんな田舎城主が、血の繋がりだけで収まれるはずないじゃないよ」
 万が一、考えられないことではあるが、大公がそれを疑って、夫に刺客でも差し向けはしないか。遠い戦地にいる夫の身が心配で、レジーナは言い募った。現大公は継承権を持たないはずだ。
「そりゃそうだ。後ろ盾がなくちゃな」
 意味ありげなグレンの言葉をレジーナは訝った。
 そして夜明けの光が差し込むように、鮮やかに彼の言いたいことを捕らえた。反対なのだ。継承権を持たない大公が、簡単に傘下に納められ、傀儡とできる王位継承者こそ、大公領と隣り合った、小さな領主である夫なのだ。
 夫を完全な傀儡とすることができなくても、たくさんいる大公の娘の一人を娶らせれば、生まれた子供が次期の王となり、外戚となる大公には強大な権力が転がり込んでくる。
 その為に邪魔なのはレジーナだ。副伯の正妻。
 
 視界が揺れ、めまいがしたような気がした。
 わざわざ二千の工兵が間道を掘りにくる山脈だけではなく、他ならぬレジーナ自身の存在が、大公の野望の妨げになっているかもしれない。そう気づいて、かつて感じたことのない、恐ろしいほどの戦慄が駆け抜けた。
「何となく言いたいこと分かった? 勘のいいヤツだな」
 心の動揺を見透かすように、グレンは笑った。背筋がぞっとする。この男は確かに城内の人間や領民に狼藉を働いたり、略奪をする気は無いようだ。だが、場合によってはレジーナだけは始末する理由があるのだ。
 すっかり強張ったレジーナの顔を見て、さすがに哀れに思ったのか、グレンは立ち上がって歩み寄ると、彼女の頭を軽く叩いた。
「まあまあ、そう固くなるなって。俺は今のとこお前をどうこうしろって命令は受けてないわけだし。とりあえず勅書があるなら探せって言われただけだからね」
 グレンの言葉に無表情を装うのに苦心した。絶対に、勅書はグレンに渡せない。自分で内容を確かめるまでは。
「そんな重大なことが書いてあるとは思えないけど」
 やや落ち着きを取り戻したレジーナは、やっと口を開くことができた。
「読んだ後の夫の様子にも、何も変わったことは無かったし。大公はどこからそんな話を仕入れてきたのよ?」
「そりゃ、こっちの話だ。俺もよくは知らないし、知ってたとしてもお前に話して聞かせる義理は無い」
 鎌をかけたレジーナの言葉を無愛想にかわし、グレンは正面から彼女を睨んだ。
「もう一回聞いておくけど、本当に読んでいないんだな。勅書も写しもないな」
「無い。……こんなことになるんだったら、あんたの言う通り、読んでおくんだったわ」
 睨み合ったまま、ほんの数瞬、沈黙が落ちた。

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