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山間の城の物語」
第二章 千の目

2.初夏に咲く紫の花 (2)

2010.09.27  *Edit 

 風呂を使わせてもらって、幾分頭も体もすっきりした。
 シェリルは部屋の寝台に寝転んだ。時刻は夕方前。初夏の長い昼の光がやっと色づこうとしている頃である。
 侍女頭の気遣いにより、午後の勤めは休みをもらうことができた。ありがたくもあったが、今は何も考えず、日々の雑事に没頭したい気もする。
 しかし強い避妊薬を飲んだせいで、頭がぼうっとして体がだるい。やはり今日一日は部屋でゆっくりしていよう。
 身分や位によるが、侍女たちは大抵、複数人で一つの寝室を使っている。シェリルはこの城に仕えるようになってから、まだ二年ほどだが、個室を与えられていた。ほぼ特別待遇と言ってよい。
 というのも、彼女は薬や医療の知識に詳しいので、薬草や書物などの私物を保管する必要があり、時には城内の人間の簡単な診察をすることもあるからだ。従って彼女の部屋には、書物や薬のほか、不可思議な植物や他人から見たら正体不明の、奇抜な色の粉薬や蛇の抜け殻などもあり、若い娘の私室としては、かなり異様な雰囲気を見せている。
 身分としては侍女であるが、シェリルは副伯夫妻の身の回りの世話よりも、天候の予測や医療、まじないなど、一風変わった仕事を受け持っていた。特に城仕えの医師が、軍について遠征に出てからは、城内の人間が体調を崩したときなど、彼女が診察するしかない。忙しい日々が続いていた。
 散らかった自分の部屋は落ち着く。
 だが静かな無人の部屋に、ひとりで横たわっていると、思考が音も無く流れ出す。どうしても昨夜のことを思い出してしまう。
 屈辱であった。暴行されたことそのものより、陵辱と呼ばれるべき行為に、快楽を覚えてしまった自分自身が、何より衝撃だった。
 気のいい顔見知りだったはずの兵士が、増長してシェリルを陵辱したのも、自分の体が少しでも喜ぶような反応を見せたからではないか。
 彼の行為は様々な意味で許せなかったが、表だってあの兵士を糾弾したところで、何が変わるのだろう。シェリルも快楽を感じていたのは、間違いのない事実だ。そう切り返されれば、ぐうの音も出ない。陵辱だなどと声高に叫ぶことはできない。
 だいいち、大公国の軍に無視され、揉み消されればそれで終わりだ。
 しかし、ただ泣き寝入りするのも、悔しかった。快楽を覚えた行為とはいえ、シェリルの中で何かが踏みにじられたのも、間違いがない。それを無かったことにするのは、あまりに惨めだ。
 午前中は、迷いながらぼんやり仕事をしているうち、情けなくなり涙が滲んできた。
 シェリルは無表情を保っていたつもりだが、様子がおかしいのに同僚の侍女が気づいたらしい。昼食時に侍女頭に呼び出され、何かあったのかと問われた。副伯夫人がいない為、侍女頭は以前よりも侍女たちの様子に気を配っていたようだ。
 他の人間と違う仕事を持ち、どことなく近寄りがたい雰囲気を見せているシェリルに対しては、侍女頭も他の侍女たちへのように、頭ごなしに叱るようなことはしない。そしてその分、二人の間にはよそよそしい距離感があった。シェリルにとって、侍女頭のモニカは、尊敬できる人間ではあっても、心を許せる女性ではなかった。
 しかし自分で思っていたより、昨夜の出来事によって追い詰められていたのだろう。いつになく優しい声で、モニカに諭されるように尋ねられ、喉の淵まで溜まっていた感情が溢れ出した。有能な侍女頭の前で、シェリルは初めて涙を零しながら、昨夜の出来事を打ち明けた。
 話を聞いたモニカは、同じく瞳に涙を溜め、小柄なシェリルの体を優しく抱き締めた。それ以上は何も言わず、ただ午後は勤めを休んで、部屋で寝ているように告げただけだった。

 扉がこつこつと叩かれる。
 シェリルは目を開けた。いつの間にか寝台でうとうとしていたらしい。窓から差し込む日差しは、さらに赤みを帯びている。もう夕暮れだ。
 誰かが夕食のために呼びに来てくれたのだろうか。
 シェリルは身を起こし、口の端の涎の跡を拭うと、扉を開けた。
 その向こうにいたのは、侍女頭のモニカである。様子を見に来てくれたのかと、シェリルは安堵に体を緩めたが、彼女の重苦しい表情に気づき、口を噤んだ。
「シェリル……。あなたが受けたことについて、大公国の方がお話を聞きたいそうよ」
 眉を顰めながら、モニカは抑揚の少ない声で言った。
「どういうことですか?」
「司令官様は、城内や城下の者に、軍の方が乱暴をすることを禁じていらっしゃいます。ですから、あなたが昨夜受けたような被害があれば、調査して、犯人を裁かなければならないそうです」
 重い声音で語りながら、目の前の若い娘が徐々に表情を失っていくのを見て、モニカの胸に後悔が満ちた。
 侍女が陵辱されたことは、彼女としても許せない。だが何もこんな大仰に騒ぎ立てたくはなかった。被害にあったばかりのシェリルを、さらに傷つけるだけだ。
 すぐにシェリルに事情を聞くのは待って欲しいと、何度も司令官付の副官に訴えたが、彼は司令官からの命令を繰り返すばかりだった。
 副伯が不在のこの城内では、表向きはどうあれ、実質大公国軍の司令官は、最高権力者である。彼の命令を拒絶できる者はいない。その気になれば、彼はいつでも軍を動員することができるのだ。
 侍女が暴行されたことで頭に血が上り、すぐに副官に訴え出たことを、モニカは深く後悔していた。彼女は大公国の人間を、もう少し理性的で公平な人間だと考えていたのだ。買いかぶっていた。
「結構です」予想通り、シェリルは首を振った。「もう忘れてください。無かったことにしていただいて……」
「お話し中、失礼します」
 若い侍女の震える声を遮って、平坦な男の声が割り込んだ。
 シェリルはそこで、侍女頭の背後に別の二人の人間が控えていたことに気づいた。
 心臓が大きく弾む。
 モニカが僅かに体をどけて振り返る。その向こうから、司令官付の副官が進み出た。
「お気持ちはお察しします。まだ混乱されていると思いますが、こういった件は、我々としてもできるだけ早く対応したいのです。誠に恐れ入りますが、夕餉の後に、我々の司令官殿に、直接事情をお話しいただけますでしょうか」
 副官は慇懃ながら無表情に、用件を淡々と語る。シェリルとは視線も合わせなかった。
「それはご命令ですの?」
 敵意にも似た、同じく慇懃ながら硬い声でモニカが尋ねる。副官は伏し目がちに頷いた。
「そう取っていただいて結構です。司令官殿からのご命令です」
 モニカは怒りと嘆きを込めた長い溜め息を吐く。僅かに弁解するような声音で、副官は続けた。
「申し訳ございませんが、ご協力をお願いします。我らとしても、規則を破った兵がいるなら、裁かないわけにまいりません。侍女殿が沈黙されて、それで終わる話ではないのです。我々の問題でもあります」
 馬鹿丁寧な副官の口上を聞いている内、シェリルは皮肉っぽい気持ちになった。それでは昨夜の出来事は、あの兵士と彼女の合意の上で行われた、愛の営みだったと告げればいいのだろうか。それなら乱暴されたことにはならず、これ以上大公国の人間に、ことをほじくり返されずに済む。
 だが、さすがに皮肉だけでそう告げることはためらわれた。
「情けない……」
 シェリルの傍らで、モニカが片手で額を覆い、小声で嘆くのが聞こえた。侍女たちを司令官に差し出すと決めた時の副伯夫人も、同じ気持ちだったのだろう。部下を庇うこともできない自分に、モニカも無力感を感じているに違いない。
 シェリルは、かつて彼女が恋していた男によく似た副官を、正面から見据えた。視線が合うと、彼の瞳の光が僅かにたじろいだ気がする。
「ご命令なら、致し方ありません。司令官様の元へお伺いします」
 抑えた声で告げると、副官は目を伏せて、軽く頭を下げた。
「ご理解いただき、ありがとうございます。司令官殿は寝室でお待ちしていますので、夜半までにおいでください」
 寝室。
 思わずシェリルは目を見張る。モニカが再び深い溜め息を漏らすのが聞こえた。
 陵辱されたと訴える娘の話を聞くために、夜半に寝室に呼びつけるとは、一体どういう神経をしているのだ。
 再び屈辱に小さく体を震わせる彼女の前で、副官は話を続けた。
「おいでになる前に、こちらの者にお声がけください。身支度を手伝わせていただきます」
 彼が軽く振り向くと、ずっと黙って控えていた、小柄な人影が進み出る。
 女であった。この城の人間ではない。
 年頃はシェリルとあまり変わらないだろう。二十歳前後に見える。夕陽の光のような見事な赤毛を、肩の上でばっさり切り落としている。美女というほどでもないが、細身ながら艶かしい体つきといい、細めた目に漂う色香といい、どこか蠱惑的な娘だ。
 直感で、軍付の娼婦ではないかと思った。町中にいる街娼のように、爛れた雰囲気は無く、むしろある種の知性と清潔感すら感じさせる女だが、間違いないだろう。
「身支度でしたら、本人ができます。必要があれば、私が手伝います」
 モニカが毅然と言い張ったが、副官は無表情のままかぶりを振る。
「城内の方を疑っているわけではございませんが、司令官殿は、我々の軍の最高責任者です。万が一のことがあってはいけませんので、我々の方の人間を付けまして、寝室までお送りします」
 シェリルにも合点がいった。
 寝室で二人になることで、司令官の暗殺を警戒しているのだろう。武器などを隠し持つことができないように、軍付の娼婦が、シェリルの身支度を整え、司令官の元へ送り込むというわけだ。
 馬鹿にしている。
「はっきりおっしゃってください」シェリルは再び挑戦的に、娼婦と副官の顔を見渡した。「司令官のご命令は、同衾しろということなのですか?」
「そうは伺っておりません。司令官殿のご命令は、昨夜の件について事情を聞きたいので、あなたを寝室へ呼ぶようにということだけです」
 挑発するような、彼女の硬い声を、副官は静かに受け流した。       
「結構です。夕食は取りませんので、すぐに伺います」
「シェリル……」
 引き続き震える声で言ったシェリルに、宥めるようにモニカが声を掛ける。彼女は侍女頭の方を振り向き、小声で「大丈夫です」と告げた。
 所詮は大国の軍隊に占領された民なのだ。それは昨夜思い知った。だったら無駄な誇りや自尊心など投げ捨てて、連中の言うことに、人形のように従ってやるまでだ。こんなことで傷つきたくない。あんな下劣な連中に傷つけられてはたまらない。ただ水が低いところに流れるように、彼らの思惑に追随する。それこそが、彼女にできる、彼らに対する僅かな抵抗だった。
「そうですか」
 頷いた副官は、相変わらず無表情であったが、その瞳に初めて、哀れみのようなものが見えた気がした。彼はすぐに一歩後ろに控える娼婦を振り向いた。
「ではサラ、早速シェリル様のお支度を手伝って差し上げなさい」
「かしこまりました」
 副官の前に進み出た娘は、両手に籠を抱えていた。小さな壷がいくつか納められ、手触りの良さそうな、綿の大きな手ぬぐいがその上に乗せられている。
「私もご一緒して構いませんわね?」
 抑えた声でモニカが副官に尋ねたが、彼は再び目を伏せて首を振る。
「恐れながら……。安全の為の措置ですので、ここはこのサラに任せていただけませんか」
「なんて、図々しい」
 気丈なモニカは、司令官付の副官に向かって、吐き捨てるように呟いた。鷹揚なのか、それとも皮肉も通じないほど冷徹なのか、副官はそれには答えなかった。
「大丈夫です、モニカ様。ご心配なく」
 顔を上げたシェリルが、僅かに微笑みを見せると、モニカは痛々しそうに彼女を見つめ返した。
「ではお部屋へどうぞ」
 こんなこと、なんでもない。副伯夫人や、シェリルより前に司令官の寝室に呼びつけられた侍女たちが受けてきた屈辱に比べれば、なんでもないはずだ。
 そう言い聞かせ、サラと呼ばれた娼婦を部屋の中に招くと、悲痛な表情のモニカの前で扉を静かに閉めた。

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