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山間の城の物語」
第二章 千の目

5.静寂は地の底へ (1)

2010.10.28  *Edit 

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5.静寂は地の底へ

 十日ほど前のことである。
 二人連れの年老いた男たちが、領主夫人への面会を求めてやってきた。大公国の軍隊が無血入城してから、丁度ひと月後くらいのことだった。
 西の放牧地の集落に住んでいるという彼らに、レジーナは快く謁見した。言われてみれば、見覚えのある老人たちだ。
 彼らはそこでためらい、顔を見合わせながら、驚くようなことを語った。
 西の集落の領民たちが、農具や古い武器を集めて、領主の居城である、この城に集団で行進する計画を練っているというのだ。話は若者たちを中心に広がったらしいが、いつしか近隣の集落や女たちまで巻き込んで、集落の長老にあたる老人たちが止めることもできないほどの勢いになっているという。
 危機感を覚えた彼らは、村人たちに内密に村を抜け出し、領主夫人に警告しに来たのだ。
「一体、何故?」
 話を聞いたレジーナは、戦慄するよりぽかんとしてしまった。何故なら、大公国の軍が入ってきてすぐ、彼女は不安に怯えているだろう領民を落ち着かせるため、自ら領地の集落を訪ねて回ったのだ。西の放牧地の集落も、二十日ばかり前に訪れて、領民たちに事態の説明をしたばかりだった。その時は特に変わった様子も無かったのだ。
 武装して城へ行進してくるのだから、こちらに不満があるのだろうが、先日は誰も不平や疑問など告げず、むしろレジーナの身を案じてくれる村人が多かったほどだというのに。
 老人二人は再び顔を見合わせた。
「私に気を遣っていただくことはありません。ここには大公国の人間はおりませんし、率直におっしゃってください」
 レジーナが老人たちを丁寧な口調で促すと、一人がためらいがちに話し始めた。
「若者たちが申すには……今回の大公の進軍は……その……奥方様が手引きしたのではないかと」
 レジーナは椅子から飛び上がりそうになった。
 瞬時に形相を変えた副伯夫人を見て、老人たちは蒼白になって口を噤む。
「なんですって」老人を責めても仕方ないと思いつつ、声が高くなるのを止められなかった。「私が彼らを手引きした? 何故そういう話になるの」
 領主が領民との謁見に使う簡素な小広間には、樫の木でできた重厚な椅子があるだけだ。レジーナがそこに腰掛け、老人たちは用意された丸椅子に腰掛けている。室内には執事と老役人が三人、侍女が一人いるきりで、大公国の軍人の姿はない。
「それが……」老人は平伏せんばかりに頭を垂れた。「奥方様と大公国の将軍が懇意だという噂が流れておりまして……いや、噂です! 私はこれっぽっちも信じておりませんです」
 悪鬼のような顔つきになった領主夫人に向かって、善良な領民はひたすら平身低頭した。
 なるほど。
 大公国軍の司令官とレジーナが予め通じており、彼女がわざと無抵抗降伏して、彼らを呼び入れたという噂が流れているのだろう。
(どこのどいつよ。首ねっこへし折って、川に流してやる)
 レジーナの苦労も知らず、無責任な噂に興じている連中に対する怒りが沸いたが、まさか実際に領主夫人が領民の首の骨を折って、遺体を川に放流するわけにはいかない。
 噂の出所は集落の若者らしい。
 彼らは、副伯夫人が夫の留守に昔の情夫である大公国の将軍を呼び入れ、この城を売り渡そうとしていると疑っているらしい。そしてことの真偽を確かめ、夫人の返答次第によっては戦いも辞さない覚悟で、武装しての行進を計画しているのだという。

「もう~、許せない! 何が誰の情夫だって? だったらこんなに苦労しないわよ」
 旅を続けてきた老人たちが、執事に連れられて別室へ去った直後、レジーナは椅子を蹴る勢いで立ち上がった。傭兵時代の副伯夫人の気質を知っている役人と侍女は、特に慌てもせず、レジーナが激高から冷めるのを待った。
「どうされますか?」
 腕組みしたレジーナが再び椅子に腰を下ろしてから、シェリルは女主人に声をかけた。椅子の後ろに控えていた役人たちも、レジーナの目の前に移動する。
「どうしようかしらねえ……」
 怒りが落ち着くと、頭が痛かった。どこから流れた噂かは分からないが、考えてみれば、そう誤解を受けても不自然ではないかもしれない。グレンとレジーナが、かつて面識があったのは事実なのだ。田舎では、結婚前の男女の関係というのは特に注視される。人の交流が少ないので、男女が二人でいれば、何かしら関係があったと勘繰られることもあるのだ。
 結婚するまで傭兵として自由に生きてきたレジーナは、当然ほとんどの知り合いが男である。グレンもその一人に過ぎないのだが、それをこの閉鎖された山間の村の人間に理解してもらうのは難しい話なのかもしれない。 
「鎮圧させるなら、駐留軍の協力を仰ぐしかないと思います」
 冷静に語る侍女に、レジーナは真っ先に首を振った。これ以上グレンに頼みごとをして、恩に着せられるのはごめんだ。見返りに何を要求してくるか分かったものではない。
 怪我を負ってからしばらく寝込んでいた司令官は、最近ではもう寝台から起きて、軽い訓練に参加しているらしい。一生寝込んでいればよかったものを。
「そんな大仰にはしたくないわ。だいいちそれじゃ、噂を裏付けるようなものじゃない」
「そうですね。レジーナ様の潔白を証明するには、大公国軍の力を借りることはできません。そうなると、方法は限られてくると思います」
 身分としては侍女だが、実質は副伯夫妻の相談役としての顔も持つ聡明なシェリルは淡々と話し続ける。
 集落の若者たちが、城下に押し寄せてきてからでは遅い。事態を収拾するのに、大公国軍の手を借りざるをえなくなるだろう。先にこちらから出向いて、彼らを説得するしかない。
 無論、危険はある。
 彼らが疑いを持っているのは、他ならぬレジーナ自身だ。
 この山間の領地の人間は、概ね大らかでのんびりとした気質である。由緒ある古い家柄の領主によって、長く善政が敷かれてきたこともあって、領民の領主への忠誠心も厚い。
 だがレジーナは領主が娶った外の女である。脈々と続いてきた夫の家の血は引いておらず、領地内の出身でもない。
 そんな彼女が領民からの人気が高いのは、数年前、近隣の林に棲みついた大きな盗賊団を討伐した英雄だからだ。神出鬼没の戦術を使う、厄介な盗賊たちは、領主の手勢だけでは手に負えなかった。そこで副伯は、レジーナのような傭兵や冒険者たちを募り、討伐隊を結成した。
 完全に盗賊団を壊滅させるには二年の時を要した。犠牲者も多かった。レジーナはたまたま最後の攻勢で生き残っただけで、自らを英雄だとは思っていない。本当の英雄は、その戦いで散っていった彼女の仲間たちだ。
 しかし領民たちはレジーナたち生き残った討伐隊を称え、そして彼女が領主の求婚を受けて副伯夫人となった時、熱狂的にそれを歓迎した。
 それから二年。城下から離れた集落では、『英雄』を称える目も曇ってきたということだろうか。
 レジーナが供を連れて、彼女に疑いを持っている集落を訪れた時点で、冷静な話し合いができればいいが、彼らが興奮すればレジーナの身に危険が無いとも言えない。
 だからと言って、護衛をぞろぞろ連れていては、却って領民たちの反感を買うかもしれない。やはりまずは最低限の人数で集落を訪れ、真摯に彼らに説明することが大切だろう。
「私もご一緒します」
 侍女のシェリルが申し出たが、レジーナは首を横に振った。知識が深く、薬学やまじないに長けた彼女が同行してくれるのは心強いが、レジーナとしては、留守にしなければならない領地のことも心配だった。
 結局役人たちと護衛として侍女を数人、最も年長の小姓を連れていくことになった。集落の領民との争いになったとしたら甚だ心もとないが、人材がいないので仕方ない。
「大公国の方にはどのように伝えますか?」
 役人の一人がレジーナに尋ねた。彼女は再び額を片手で押さえる。西の集落までは一日で行けるが、老人たちの話が本当なら、その周囲の集落もいくつか回らなければならないだろう。日帰りはどう考えても無理だ。二、三日、あるいはもっと日数がかかるかもしれない。グレンに黙ってレジーナが留守をするわけにいかない。
「そうねえ……正直に伝えていいものかしら」
 領地の問題をグレンにそのまま伝えるのは、気が進まない。表面上は平和だが、この不安定な状況で、あまり弱みを見せたくはない。
「そのまま伝えていいと思いますよ」 
 逡巡する副伯夫人に、シェリルは静かに告げた。
「彼らから弱みを隠すことに、あまり意味は無いと思います。彼らは口実など無くても、その気になればいつでも、ここを完全に制圧できるのです。
 隠さなければならないのは、ご領主様に万一のことがあった場合を除けば、むしろ有利な点の方です。大公国に対する切り札になりえるような要素は、内密に育てておくべきだと思います」
 冷静に話し続けるシェリルの声を聞きながら、レジーナは後悔に襲われた。
 侍女の発言は的確だ。しかしレジーナはその切り札になり得るかもしれない、国王からの勅書をグレンに奪われてしまったのだ。ほんの一時の油断だった。そのことが尚更彼女を苛む。
 彼らに対してたったひとつ隠しおおせており、有利になりうる要素は、夫の従兄弟だと名乗るエドワードという少年だ。長く城勤めをしている侍女が彼を知っているし、エドワードがレジーナにとって義理の親戚にあたるのは間違いないようだ。
 彼とその供たちはこの山地を知り尽くしていて、大公国の目的地である伯爵領に下りる道も知っているという。エドワードの協力を得て伯爵側と手を結べば、グレンたちを追い出せるかもしれない。伯爵は夫と同じく遠征に出ているようだが、留守を預かっている夫人がいるはずである。レジーナと全く同じ立場だ。
 しかしそれは、大公国を完全に敵に回すということでもある。
 大公の目的は伯爵領だ。この城は足がかりに過ぎない。だがレジーナたちが反抗するなら、彼らは何のためらいもなく、この小さな城を叩き潰しにかかるだろう。細々と暮らしている領民たちの生活が、戦にさらされることになる。
 エドワードはいつでも協力すると告げ、連絡方法も知らせてくれたが、情けないことにレジーナはまだ決心がつかなかった。
 彼のことはグレンにはもちろん、役人やシェリルにも話していない。レジーナと共にエドワードに出会った侍女や役人には、固く口止めしてある。
「レジーナ様」
 役人の声で、考え込んでいたレジーナは我に返った。
「ごめんなさい、何?」
「いかが致しますか? 司令官殿にはどのように伝えましょう?」
 レジーナはその場にいる人間の顔をひととおり見渡すと、溜め息を落とした。
「そうね、私からそのまま伝えるわ」

 侍女のシェリルは、そう言ったきり再び考え込んだレジーナを見下ろしながら、彼女は随分悩むことが多くなったと思っていた。このような状況下で、悩みもなくへらへら笑っている方がおかしいが、シェリルと違って、レジーナは物事を深く考え込むことは苦手だ。思索が好きな夫の副伯とは正反対である。
 副伯が出征してからは、シェリルが専らそうしたレジーナの相談に乗ることが多かった。
 レジーナはどちらかといえば、単純で隠し事の苦手な性格だが、警戒心も強く、誰にでもあけすけになれるわけではない。ただ、城に来るまで似たような境遇であり、同じような経験をしているシェリルに対しては、大きな信頼を寄せているらしい。レジーナが夫にも話せないようなことを、いくつかシェリルに打ち明けたことがある。
 レジーナに信頼されているのは嬉しい。シェリルは心身ともに強靭なレジーナを尊敬している。その彼女に足りない部分を自分が支えられるのは、シェリルにとっても光栄なことだ。
 レジーナにも脆い部分もある。自尊心の高い彼女は努力家で負けず嫌いの一方で、他人を頼るのが苦手だ。人間が一人でできることなど、たかが知れているので、傭兵時代は独立独歩で済んでいたかもしれないが、副伯夫人という立場にもなれば、上手に周囲の者に仕事や采配を任せる度量も必要である。
 自分から助けを求めることができないレジーナにシェリルがそっと口添えすると、彼女の表情は大きく綻ぶ。
 レジーナから頭を下げて頼んだり声高に命令しなくても、それとなく察して手を差し伸べてくれる。レジーナの周囲には、そういった人間が必要だ。執事も侍女頭も時間はかかったが、今ではそんな女主人の性質を理解している。
 だが大公の軍隊が入城してからは、事態は大きく変わった。レジーナの心労は格段に増えたようだ。ことに司令官の寝室に侍女を送ることになった後は、目に見えて憔悴していた。
 シェリルはことあるごとにレジーナを案じて声をかけたが、彼女は大丈夫と繰り返すばかりだった。
 幸いと言っていいのか、訓練の際に誤って負傷した為、司令官は寝室に侍女を呼び寄せることをしばらく前から止めていたが、レジーナの表情は晴れなかった。むしろ沈んでいくばかりに見える。

 シェリルにはひとつの予感があった。
 司令官の負傷と前後して、侍女の一人が城から姿を消した。逃げ出したらしい。
 しかしシェリルには、彼女が逃げ出したとは俄かに信じられなかった。イブというまだ若い少女であったが、市井の出身でレジーナをとても慕っていた。
 そそっかしい彼女は、城内に昔から勤めている侍女たちからしばしば小言をもらってはしょげていたので、同じ市井の出身であるシェリルは、たまに話を聞いてやっていたものだ。
 慣れぬ城勤めは楽ではなかっただろうに、女主人の役に立ちたいと若い侍女は必死だった。
 そのイブが、レジーナにも誰にも何も告げずに姿をくらますことがあるだろうか。
 恐らく外に秘密の恋人がいたイブは、大公国軍の占領を嫌い、勇気を振り絞って駆け落ちしたのだろうと女官たちは囁き合った。
 司令官が怪我を理由に寝込むようになったのは、その前後だ。
 レジーナは何も語らないし、シェリルからも何も尋ねなかったが、胸の奥で不吉な想像が膨らんだ。敢えて形にはしなかったが、それは溶けない根雪のように、彼女の胸にわだかまりとなって残っていた。

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