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山間の城の物語」
第二章 千の目

10.落日によせて (2)

2011.01.01  *Edit 

 それにしても、副伯の出征や大公軍の駐留については、少し領民と話せば分かることだろうが、副伯夫人や侍女が司令官の寝室に上げられていること、イブの失踪など、城内の人間でしか知りえないことまでも、エドワードは知っていた。誰かが彼に話したのだ。今のところ、それはマイラしか考えられない。
 しかしレジーナは、マイラを正面から問い詰めていないようだった。
『もう、エドワードは、ここには来ないわよ。あそこまで恥をかかせれば、城下の領民は誰も彼に従わないでしょうしね』
 そう言ったレジーナは、楽観的すぎるとシェリルには思えた。
 エドワードは野心家だ。まだ若く、向こうみずなところもあるが、言動からして頭も悪くはなさそうだ。山地や麓の町で、畑を耕して慎ましく生きていくことなど、彼には考えられないに違いない。
 世の中にはそういう種類の男たちがいる。型にはまらず、膨れ上がって上昇していきたい人間たち。自分がどこまで、何ができるか常に試さずにはいられない輩だ。権力を取るのは、大抵そういった男たちなので、世には貴族同士、国同士の争いが絶えない。多くの民は、毎日地道に畑を耕し、天地と共に生きる器量のない男たちの暇潰しに付き合わされている。それが戦争だ。
 掌に納まるものを慈しみ、足ることを知っている稀有な君主、この領地の副伯もそれに否応なく巻き込まれてしまった。
 
 レジーナをよろしく頼む。彼女は自分から助けて欲しいと言えない人だから、君が様子を見てあげて、力になって欲しい。
 出征前、副伯はこの場所で、シェリルにそう告げた。
 野心も功名心もない副伯にとって、今回の出征はさぞかし気が重かっただろう。できれば戦争、しかも異国への遠征など、参加したくなかったに違いない。だが王の勅命とあれば、軍を出さないわけにはいくまい。
 ただこの小さな山間の城と、そこに住む人々の幸せだけを望んできた副伯は、魂を引き裂かれる思いで出発していったに違いない。
 彼と彼が率いていった騎士、兵士たちはどうしているのだろう。副伯から手紙が届いたのは一度きり、約ひと月前のことだ。
 副伯にシェリルが渡したインクには、粉薬と彼女の血が混ぜてある。そのインクによる手紙が麓の町くらいまで近づけば、集中して気配を探ることができる。かつてシェリルが学んだ、簡単なまじないだ。
 万一に備えての細工が幸いした。現在、領地に届く書簡の類は、全て大公軍に一度改められてしまう。だが副伯からの手紙だけは、シェリルが先に気配を察知し、麓の町の行商のギルドに鳥を飛ばして、大公軍に内密に手に入れることができる。
 既に魔術師のギルドを離れた身で魔術を使うのは気が引けるが、簡単な術であれば、ギルドの人間に気配を辿られることもないだろう。魔術の力は強大だ。精神の世界に介入し、肉と物質の世界の理を折り曲げる。いち個人が私利私欲の為に行使して良いものではない。
 シェリルも若い頃は、その原則をいい加減に解釈して、魔術を使って結構都合のいいこともしたものだが、師の元を離れ、ギルドを抜けた今は、逆に魔術を使うことが恐ろしい。
 ギルドを抜けた魔術師が暴走すれば、かつて盗賊団を率いていたような、凶悪な犯罪者にもなり得る。魔術を使って盗賊たちを操り、人々を苦しめていた盗賊団の頭目は、恐らくシェリルがこの地に来なければ、もっと倒すのに時間がかかっただろう。
 事態がさらに大きくなれば、魔術師ギルドが制裁を加えただろうが、それまでにはこの小さな城など乗っ取られていたに違いない。
 シェリルが救った土地。彼女を受け入れてくれた山間の城。
 だが副伯が出征してからというもの、この地も姿を変えつつある。大公軍に城は占領され、城下から離れた地方の領民は、夫人に不満の種を植え付けられてしまった。年若いイブは行方不明になり、その父親である鍛冶屋は、副伯の従兄弟について、城下を出奔してしまった。副伯が無事に戻ったところで、もう昔の姿は帰るまい。
 不変のものなんてない。すべては静かに、時には劇的に移り変わってゆく。人の心は無論のことだ。
 レジーナは夫を愛していた。副伯もレジーナを愛していた。ふたりは互いを必要としていた。
 彼が言っていた通り、レジーナは夫以外に弱さを見せられない。それこそが彼女の脆さだ。副伯に万一のことがあれば、彼女はどうなるのだろう。シェリルや他の召使い、領民全員が束になっても、レジーナの中の副伯一人分の空隙も埋められないだろう。
『もし私に万一のことがあったとして、レジーナが一人で苦しんでいるようだったら、ここを出て自由になるように、君からも勧めて欲しい。彼女は一人で自由な世界で、新しい幸せを探せるひとだ』
 副伯はシェリルに向かってそうも言った。副伯は一つだけ、妻について思い違いをしていると彼女は思ったが、その場では口には出さなかった。
 愛する夫を失って、ひとりで広い世界に戻ったところで、レジーナが簡単に新しい幸せを探せるだろうか。苛烈で誇り高く、そして脆いレジーナを受け止められる男が、副伯の他に存在するとは思えない。
 だが。
 
 入城した直後は、グレンは毎夜のように寝室でレジーナを陵辱していた。
 肌を触れ合わせ、体を繋げておいて、無心でいられるわけはない。サラのように器用に割り切れる女もいるだろうが、シェリルはそうではないし、レジーナも恐らく違うだろう。
 肌どころか粘膜まで触れ合えば、否が応でも相手の男に関心が向く。好意か、嫌悪か、あるいは両方とも。あのサラでさえも、弱っている時に気に入った男に抱かれれば、心が動くと言っていた。
 潔癖なレジーナは今まで嫌悪と屈辱をもって、グレンの仕打ちを受け止め、さぞかし彼を憎んでいるだろう。シェリルはずっとそう思ってきた。
 だがもしかしたら、違う感情も混ざっているのかもしれない。レジーナがグレンに対して、例えばシェリルが陵辱された兵士に対して抱いているような、恐怖と嫌悪しか持っていないなら、今朝の事態はまた変わっていたはずだ。レジーナはグレンを決闘の立会人として認めなかったに違いない。
 二人の間にうっすらと流れていたのは、信頼という言葉が最も近い気がする。
 今までシェリルが考えていた以上に、レジーナはグレンを心の底で頼っているのかもしれない。シェリルたちはレジーナにとって、守るべき召使いたちだ。
 だがグレンは違う。レジーナが助けたり庇ったりする必要が無い。彼女にとって夫を除いて、この領地で唯一対等以上の立場の人間である。それがかつての知己ともなれば、心ならずも親しみは湧くだろう。停戦の会談の前、レジーナはかつてのグレンを忌々しそうに語っていたが、かといって蛇蝎のように嫌っていたわけでもないようだ。
 そんな男と肌を重ねたりすれば、レジーナの心に何か不可解な感情が生まれても不思議はない。それを愛などと呼ぶのは短絡過ぎるだろうが、レジーナが嫌悪や煩わしさと共に、ある種の好意や信頼を彼に抱いているのは間違いない気がする。今まで信じられなかったが、シェリル自身があの男と肌を合わせ、おぼろげながらレジーナの心情を想像できると感じた。
 もともと人の感情に形や定義などない。感情を言葉で表そうというのが、どだい無謀なのだ。
 恋人同士が互いに愛していると囁いたところで、男が女に持っている感情と、女が男に持っている感情が同じだとは限らない。それを愛とひとくくりにすることで、彼らは相手も自分と同じ思いだと錯覚している。それが幸せなのか不幸の始まりなのかは、時と場合によるだろう。

 シェリルを陵辱した兵士──サラから名前を聞いたはずだが、忘れてしまった──は、欲望のまま彼女を抱いただけだ。女という性を持っていれば、そしてつけいる隙があれば、相手は誰でもよかったのだ。彼が組み伏せたのが、たとえばマイラでも、他の侍女でも、彼は同じことを言い、同じことをしただろう。彼女の人格や感情など、どうでもよかったのだ。シェリルにはそう思える。
 相手が誰でもよかったという点では、グレンも同じだろう。陵辱されて、心に傷を負っていたシェリルをグレンが慰めるように抱いたのは、彼女だけに対する特別な計らいであるとは考えられない。相手がどの侍女でも、彼はそうしたに違いない。
 ただグレンは、快楽を感じ取る自分の体を疎み、涙するシェリルの話を聞いた。彼女が語ることについて、彼なりの答えをくれた。そこには互いをひとつの人格として認めた意思の疎通があった。ただ乳房を握られるのと、名前を呼ばれながらそうされるのでは、天と地ほどの違いがあるとシェリルは感じた。
 兵士を憎みながら自らを苛むシェリルに、何も悪くないと告げたグレンの言葉は、彼女の心の奥底に届いた。いくら彼女が自分で自分に言い聞かせても、何の慰めにもならない言葉、他人に言われて初めて温度を持つ言葉だった。触れ合う肌と肌の隙間に、互いの意識が挟まっていた。相手が何を考えているか、どう感じているか、それが常に二人の念頭にあった気がする。噛み砕いてあえて分かりやすく呼べば、それは思いやりの一種だった。兵士に陵辱された時には、全く感じなかったものだ。
 愛されているなどと自惚れていないし、シェリルも一晩寝ただけの男を簡単に愛するほど、もう迂闊ではないつもりだ。無論あの夜グレンが告げた、愛しているなどという言葉は、中身の無い虚言に過ぎないと承知している。
 しかし一組の男女の間の特別な愛という定義ではなく、他人に対する思いやり、気遣いという意味での愛だと思えば、彼の告げたことも偽りとまでは呼べないのかもしれない。シェリルとグレンの『愛』という言葉の使い方が違うだけだ。彼の定義に則れば、恐らく彼は世界中の女を愛することができるのだろう。
 心が広くて羨ましい話である。真似したいとは思わないが。
 レジーナを抱いた時も、グレンは愛していると囁いたのだろうか。もしそうなら、レジーナはその言葉をどう受け止めたのだろう。

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