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山間の城の物語」
第二章 千の目

13.沈黙の食卓 (3)

2011.02.13  *Edit 

「あんたのところの兵士が、私の侍女に乱暴したって聞いたわ」
 何度か言いあぐね、唾を飲み込んだ後、結局レジーナは率直に言った。
「そうらしいな」
 杯をテーブルに置いたグレンは、口元を引き締めたものの、それまでと変わらない口調で答えた。彼の声には同情や反省の響きはない。
「……知ってたの?」
「そりゃね」
 一段低くなったレジーナの問いにも、グレンは軽く頷いただけだった。無表情に近いグレンの顔を見ていて、彼女の腹の底に苛立ちが溜まる。
「話が違うじゃない。兵士に乱暴はさせないって約束じゃなかったの?」
「そうだよ。確かにお前にはそう約束したし、奴らにも命令した」グレンは肩を竦めた。「それに違反した奴が出たのは悪かったよ」
「悪かったよ? なによ、それ。それで終わり?」
 低く押し殺していたレジーナの声が、甲高く跳ね上がった。
 レジーナ自身は、放浪している傭兵という人生を送りながら、幸運なことに強姦の被害にあったことはない。だが陵辱された女たち──時には幼い少年──を多く見てきた。
 力ずくで肉体を蹂躙され、傷つけられ、魂を汚される。想像するだけで腹立たしい所業だ。傭兵であったレジーナは、女が乱暴されている現場に遭遇したことも多い。ほとんどの場合、女を組み敷いている男を容赦なく叩き斬った。
 レジーナたちによって助け出された女たちは、恐怖と屈辱に震え、多くの場合は、言葉さえ出ない有り様だった。
 修道院で育った上に、そんな光景をしばしば間近にしてきたレジーナは、異性としての男性に対して、常に嫌悪を覚えていた気がする。それは決して克服できない恐怖の裏返しでもあった。男に殺されるのは怖い。だが犯されるのは、もっと根本的な恐ろしさを孕んでいた。
 夫と初夜を迎えた時でさえ、心臓が弾け飛びそうになるほどの高鳴りを覚えながら、その裏側には男性に触れられること、彼の体の一部を自分の中に受け入れることへの、淡く甘い恐怖があった。
 彼女の脚の間に触れた夫のからだは硬く、入り込もうとする際に、軋むような痛みを伝えてきた。レジーナは格別痛みに弱い方ではない。しかし皮膚に覆われていない、脚の間の女性の部分は、同じような目や耳、口の中以上に無防備な場所なのだと、その時自覚した。そこに触れられる、他人の体の一部が入り込んでくるということは、理屈にはならない恐ろしさをもたらした。
 気丈なレジーナが、顔を強張らせ、涙を浮かべているのを見て、夫は初夜の営みを諦めた。ふたりが身も心も結ばれたのは、同じことを何度か繰り返した後、それから四日目の夜のことであった。
 愛する人間とでさえ、幸福と高揚の後ろ側に恐ろしさが寄り添う行為なのだ。愛情の欠片も感じていない男に受けた屈辱は計り知れない。
 シェリルの心情を思い、そんなことを考えたレジーナは、グレンを見つめながら複雑な気持ちに彩られた。
 愛情の欠片もない男。
 彼から受けた仕打ちは、恐怖と屈辱、そして快楽に満ちている。

「終わりってことはないけどさ」
 愕然と見つめていた男の唇が動く。レジーナは思考から引き戻された。
「乱暴した兵士は、侍女が望むように始末する。あとは同じことが起こらないようにするしかないだろ」
 グレンの表情は冷めてはいたが、レジーナや被害者である侍女を揶揄するような眼差しでもなかった。
 杯に手をかけながら、唇に運ぶことも忘れて、レジーナは答える。
「犯人は分かってるの?」
「大体見当はついてる。あとはシェリルの話次第だ」
 グレンは早くこの話を打ち切りたいようだった。抑揚の少ない声で言い、レジーナから視線を外すと、皿の上の野菜に手を伸ばす。その動作を虚ろな視線で追いながら、レジーナは心がじわりと冷えていくのを感じた。
 シェリルという侍女の名前を、今グレンは一片のぎこちなさもなく呼んだ。第三者として、彼女の名前を聞いたことがあるだけという響きではない。間違いなく本人を知っていて、何度かその名前を呼びかけたことがあるのだ。
「知ってるの?」
 形にならない疑惑と不審が一気に膨らんだ。
 グレンが今夜、夕食──そしてその後の共寝のために、シェリルを呼びつけたのは知っている。
 レジーナが、放牧地の村の視察から戻った日の朝、庭園でシェリルはグレンにまとわりつかれていた。てっきり庭園を散歩していたグレンが、一人で草摘みをしていたシェリルを見つけ、例によって変質的行為に及ぼうとしていたのだろうと思っていた。今夜シェリルを呼び出したのも、あの時目をつけたからではないかと考えていた。
 しかしあの日の朝も、ごく自然な調子でグレンはシェリルを呼んだ気がする。当時感じた微かな違和感は、グレンへの怒りの前に消し飛んでしまっていた。
「知ってるって、何を? なんか遠回しだな」
「シェリルのことよ。あんた、そもそも彼女が乱暴されたって話は、誰から聞いたの? その後、彼女と話したの?」
 早口で問い掛けると、グレンは頷いた。
「最初に誰から聞いたかってことは言えないけど、そのあと直接シェリルから話を聞いた」
「なんで、そんな勝手なことするのよ」
 新鮮なオリーブの油で和えた萵苣をつまみながら、グレンはのんびりと答えた。その態度が癇に障り、レジーナの声音はますますきつくなる。
「そんなこと言ったって、事件が起こった時は、お前は留守だったんだから、しょうがないだろ」 
「何がしょうがないの。男に襲われた女の子が、いきなり当の男の上官に話を聞かせるなんて、できるわけないでしょ」
「実際できたんだから、いーじゃねーか。もう終わったことだし、今更お前にごちゃごちゃ怒られてもねえ……」
「終わってないわよ! なんで私にそれを言わなかったの?」
「だって聞かれなかったし。俺から言うことでもないだろ。必要があるなら、シェリルからお前に話すんじゃないの?」
 棒か何かで胸を突かれた気がした。
 必要があるなら、本人が女主人であるレジーナに話すはずだ。確かにそうだ。
 だが彼女はレジーナには何も語らなかった。
 放牧地から戻った日、何か変わったことはあったかと、レジーナが召使いたちに尋ねた時、シェリルは何かおかしな素振りを見せただろうか。思い出せない。
 ──いや、確かあの日、午後になってから、改築の相談のために兵舎に向かったはずだ。シェリルも誘ったが、具合が悪いからと断った。シェリル本人ではない、侍女頭のモニカが断ってきたのだ。それも珍しいことだと思った。
 もしかしたらモニカは既に知っているのかもしれない。
 モニカやマイラは既に知っていて、何故レジーナには知らされていないのだろう。
 心配をかけたくないからだとシェリルは言っていた。マイラはそう語った。
 多分、欺瞞などではなく事実だろう。エドワードが起こした騒乱や、その他のことでレジーナは考えることが多い。彼女の負担にならない為に、シェリルは己の身に起こった災難について、レジーナに語らなかったに違いない。彼女の気遣いなのだ。
 それはシェリルの優しさだ。彼女はレジーナの為に、自分の気持ちや不安を押し殺してくれている。
 なのにそのことが、どうしてこんなにもレジーナを打ちのめすのだろう。そんな優しさは要らなかった。
 イブも、シェリルも、苦しいなら、何故自分に打ち明けてくれなかったのだろう。
 そんなに脆く、頼りなく見えただろうか。夫がそばにいないレジーナは、やはりただの無力な女に見えたのだろうか。
 胸の奥から色の無い、ただ錆びついた不安が立ち上ってくる。
 以前にグレンの副官が、侍女の中には、彼の情を受けることで愛されていると錯覚し、現在、レジーナ以上の権力を持つグレンに取り入ったり、彼に心の拠り所を移す者が出てくるかもしれないと彼女に忠告した。侍女たちを信じてはいたが、レジーナはその可能性を冷静に受け止めたつもりだった。しかし、まさか。
「侍女がお前に何も言わなかったってことは、その必要がないと思ったんだよ。本人の問題だし、お前が気にすることじゃない」
 慰めるようなグレンの声音が、レジーナの自尊心を逆撫でした。
「勝手に決めつけないでよ。言いたくても言えないってこともあるでしょ。あんたみたいな男に、乱暴された娘の気持ちを解れとは言わないけど、偉そうなこと言わないで」
「偉そうってなんだよ」
 攻撃的なレジーナの声に、のんびりと答えていたグレンもむっとしたようだった。
「あたしや侍女のことにご意見くれる前に、自分がするべきことをしてよ。当の兵士はまだ処分してないってことでしょ。放っておくつもり?」
「そんな気ねえよ。さっきも言ったみたいに、被害を受けたシェリルに奴の処分は決めさせる。あいつが考えさせてくれって言ってんだから、それを待ってるんだ」
 腹心の侍女をあいつなどと馴れ馴れしく差され、レジーナの腹の底に、また苦く焼けるような液体が滴った。
 グレンは元々礼儀知らずだ。現在の地位についてからは、表面上の作法は見につけたようだが、本来は他人を尊重しない男である。大体において、いくら昔の知り合いだからといって、いまや人妻であり、副伯夫人でもあるレジーナをお前呼ばわりすることからして、礼儀を欠いている。
 そんなグレンのことだ。シェリルのことも、彼のいつもの無礼によって、ぞんざいに呼んだに過ぎないのだろう。
 だがまるで彼女を引き寄せ、自分の手元に置いたかのような呼び方が、レジーナには気に入らなかった。彼女は食事や酒に手をつけるのも忘れて、グレンを睨みながら言った。
「あんたが彼女に何をどうやって聞いたか分からないけど、男に襲われたばかりの女の子が、考えていることをちゃんと話せるわけがないじゃない。ショックで動揺してるに決まってるでしょ。なんでそう無神経なのよ」
 話している間にも感情が高ぶり、早口になる。溜まった苛立ちが音を立てて沸騰しそうだった。
 グレンの方は口を挟まず、徐々に怒りを露わにするレジーナを冷めた目で見つめ返していた。
「それにあんた……そんな事件があったことを知ってて、今日あの子をここに呼んだわけ? 司令官がそんな不埒なことしておいて、乱暴した兵士を処分するだなんて、笑わせるわ」
 彼女の言葉を聞き、男は苦笑のような小さな笑い声をあげた。
「なんだ、俺が今日、シェリルを呼んでたことも知ってたのか」
「……夕食を食べるだけだったなんて、口先だけの言い訳は聞きたくない。なんで彼女を呼びつけたりしたのよ。下心が無かったとは言わせないわよ」
「下心」レジーナの言葉を繰り返すと、グレンは小さく吹き出した。「ははは。お前も面白いこと言うね」
 一人で朗らかに笑っているグレンの声は、当然ながらレジーナの苛立ちをさらに煽った。怒るまいと思ったが、彼女の怒りは既に全身に表れている。それはレジーナも自覚していた。腹立たしいのは、それが全くグレンに対して脅しにもなっておらず、彼の動揺すら誘わないからだった。
「何もおかしくない!」
 熱くなったら負けだと分かっているが、気の短いレジーナは一度冷静を失うと感情の制御がしづらい。ついに声を荒げて、テーブルを平手で叩いた。
「ワリ、ワリ。なんか、下心って単語がツボにはまっちゃった」
 グレンは相変わらずにやついている。レジーナは苦々しく彼を睨み返した。丈夫な樫の木を叩いた手の平が痛い。
 再びのんびりと野菜に手を伸ばしながら、グレンは口を開いた。
「下心っつーと変でしょ。もちろんメシはついでで、侍女を呼びつけてるのは、一緒に寝るためだもん。そんなの、お前も侍女たちも承知してるだろ?」
 開き直ったグレンは、ふざけた口調で言いながら音を立てて野菜を齧っている。
「じゃあ何? あんたはシェリルが、あんたのとこの兵士に乱暴されたのを承知で、彼女を呼びつけたの? 何のためなのよ。女を傷つけて、弄んで、そんなに面白い!?」
「面白いよ。最高の暇つぶしだ」
 レジーナの唇が震えた。面白がって、挑発されているだけだ。それは分かっていたが、唇だけでなく指先までもが小刻みに震え始めた。
 怒鳴り声をこらえる彼女の前で、グレンは厚顔にも話を続ける。
「それに、傷つけてるつもりはないよ。男どもが留守にしてて、お城のご婦人方も退屈だろうから、俺も丁寧にしてるつもり。……お前だって声上げて楽しんでたじゃないか」
 レジーナの顔にかあっと血が上った。
 今、二人の間にどっしりと横たわるテーブルの上で押さえ込まれ、体を弄ばれたのは、ほんの数日前のことだ。肌を這い回った甘い感覚がまざまざと思い出される。背中に触れたテーブルの固さ。舌を焼くように甘かった口づけ。たちこめた葡萄酒の香り。五感全てが記憶を探って、レジーナの頭の中に再現しようとしていた。
 しかし沈黙したら負けだ。恥と動揺を抑えて、レジーナは口を開いた。言うべきことを言ったら、早く立ち去ろう。
「あたしのことなんか、どうでもいいの。シェリルのことを聞いているのよ。二度と彼女を呼びつけたりしないで。これ以上傷つけないでよ」
「だから、なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないの。傷つくかどうかなんて、本人に聞いてみなきゃ分からないだろ」
 グレンは答えながら、行儀悪く椅子に背を預けて腕を組んだ。
「聞かなくても分かるでしょ。男に襲われた後、別の男に抱かれて嬉しい女がどこにいるのよ」
「いるじゃん、実際。自分が女だからって、世界中の女が考えてることが分かってるつもりか?」
「そんな女と私の侍女たちを一緒にしないで!」
 激高しかけたレジーナの声を聞いたグレンは、目をすがめた。瞳から熱が抜けて、ひどく冷めた視線が彼女に向けられる。レジーナは再び、胸の奥がひんやりとする感触に捕らわれた。
「そういう言い方はないんじゃない」
 皮肉のこもった声で言いながらグレンは笑った。嘲笑だった。
「シェリルが可哀相だろ。お前の侍女として失格ってことかよ」
 怒りに高まっていたレジーナの鼓動が、重くなった。彼はシェリルについて、レジーナの知らないことを知っている。
「そんなこと言ってないわ。なんでそういうことになるの」
「だってそうだろ。男に襲われた後、別の男に抱かれて嬉しがっているような下品な女は、お前のお上品な侍女の中にはいないんだろ」
 椅子に腰掛けたレジーナの全身が緊張した。動悸が激しくなる。
「何が言いたいの」一転して、感情を押し殺した低い声で、レジーナは唸るように言った。「……もう、あの子と寝たの?」
「やったよ」
 レジーナを取り巻く空気が変わったことに、彼も気づいているだろう。だが締まらない表情のまま、飄々とグレンは答えた。
「いつ?」
「あいつが兵士に犯されたあと。詳しい話を聞くついでにね」
 腹の中でこらえていた物が、一挙に膨れ上がった。
 レジーナは自分の杯をつかむと、中身を目の前の男に浴びせかけた。
「この、下種!」
 空の銀杯を、乱暴に食卓に叩きつける。無論、そんなことでは怒りは収まらず、レジーナは全身を小さく震わせていた。顔が耳まで熱くなり、まるで脳そのものが脈打っているようだった。
 兵士に乱暴された娘をその話を聞いた後に組み伏せるなどと、シェリルの気持ちを考えれば絶対に許せない。グレンの立場が何であろうと、同じ女として許せなかった。

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