FC2ブログ

ココナッツ図書館 夜間書庫

魔女とコヨーテ」
第三話 道連れ

第三話: 道連れ 4

2009.04.30  *Edit 

 大部屋で寝転がり、隣のマライアの静かな寝息と、前方のスタンリーの盛大な鼾を聞きながら、シェリルはなかなか眠れなかった。寝つきはいい方だが、このところは考え事ばかりでなかなか眠れない。
 もうひとつの理由は、締め切ったこの部屋の暑さだ。寒さに強いシェリルだが、暑さには弱い。じっとりと背中を汗が流れ落ち、寝苦しい。
 安宿にありがちだが、客の逃亡を防ぐ為か、鎧戸は板を打ち付けてあって開かない。思い切って廊下に面する扉を開けて風を入れようかと思った。無用心この上ないが、他に泊り客もいないはずだ。
 シェリルが起き上がろうとすると、背後で衣擦れの音が聞こえた。敷布の下の藁がかさかさと乾いた音を立てる。
「暑くない?」
 囁く男の声に、心臓が跳ね上がった。耳の奥に刻まれて離れない、通りのいい涼やかな声。コヨーテという通り名の男の声を彼女は忘れたことがない。
 シェリルが振り返ろうか逡巡している間、忍び笑いを含んだ女の声が答えた。
「暑いよ。眠れない……」
 マルタだ。
 少し離れた場所で聞こえた彼の声は、シェリルではなく、マルタに向かってかけられたものだった。深い失望が広がる。せめて振り返って恥をかかずに済んでよかったと思った。
「だよなあ」
 コヨーテ──ユージンの囁きが聞こえる。再び衣擦れと藁が動く音がした。
「ちょっと……何してるの。だめだよ、今日は。こんなとこで」
 マルタの声は湿った甘みを帯びていた。
 心臓がどくどくと脈打ち始める。背後で恋人たちが何をしているのだろう。
 いや、寝なければ。これ以上聞いていてはいけない。
 そう思うと尚更目が冴え、背後の気配を探るのに、神経を集中させてしまう。
「だって暑いじゃん。脱いじゃいなよ」
「他の人もいるんだから……ダメ。こら」
「皆寝てるぜ。目覚まさないよ」
 滑りのいい生地の帯を解く音が聞こえる。シェリルは身を固くした。
 続く衣擦れの音に、溜め息が混ざった。どちらのものかは分からない。
「ユージン、駄目……あ」
 掠れた女の声。弾む息遣いまでもが耳に届いた。濡れた音が続く。
 何をしているんだろう。
 体が増々強張る。かつて彼と睦み合った記憶が鮮やかに蘇ってきた。溢れるものを断ち切ろうと、シェリルは固く目を閉じて唇を噛んだ。
「嫌? やめる?」
 荒い息の合間に、男の囁きが聞こえた。それはシェリルの肌を撫でながら、かつて彼が囁いたのと全く同じ声で、否応なしに彼女の頭の中に入り込み、記憶の蓋をこじ開ける。
 ユージンが今熱っぽく話しかけているのは、美しいマルタだ。だがまるで、自分に囁きかけられているような錯覚に襲われた。
「ん……やだ」
 鼻にかかった甘い女の声が答える。
「やだって、どっち? 止めて欲しいの?」
「違うの。……止めちゃ嫌」
 もうこれ以上聞いていられない。
 咳払いでもして、起き上がって厠に行こう。そう思ったが、なかなか行動に移せなかった。ためらっている間にも、背後の男女が交わす吐息は、さらに熱く、荒くなる。
「ひゃんっ」
「しっ……。これも脱いで」
「だって、皆そばにいるのに……」
「じゃ、早くしなよ。モタモタしてると、誰か目ぇ覚ましちまうよ。いいの? あいつらなんか、今のお前のこんな格好見たら、涎垂らして喜ぶぞ」
「いやだよぅ」
 どこまでもぬるい、マルタの甘えるような声に、鳥肌が立った。情事の最中の痴態を端で聞いているのは、他人の排泄を盗み見るようなものだ。背徳感と、生理的とも言える嫌悪が溢れかえる。
 あいつらとは、シェリルの仲間たちのことだろう。マルタにめろめろだった彼らの態度を考えれば、そう言われても仕方ないかもしれないが、仲間たちを情事の味付けに使われたことは、嫉妬と合間って、シェリルの胸の奥に激しい怒りを呼び起こした。
「ああんっ」
 マルタのひときわ高い喘ぎが響いた。思わず隣のマライアの様子を伺うが、彼女が目を覚ます様子は無かった。
 シェリルよりもっと彼らの近くにいる、太鼓叩きや笛吹きたちは、恋人たちの嬌声が聞こえていないのだろうか。それとも自分のように寝た振りをして黙って聞いているのか。
 暫く乱れた息遣いが聞こえてくる。
 ユージンがマルタの体を愛撫しているのは間違いない。昔、同じ部屋に泊まった彼が、同じように寝入るシェリルの体をこっそり撫でていたように。
 あれは自分だけじゃない。彼は女に対してなら、誰にでも同じようなことをするのだ。
 頭では彼がそういう人間だと何となく分かっていても、実際に耳にすると、崩れていく自尊心と惨めな悲しみに、胸の奥がきりきりと痛んだ。
 もう忘れよう。眠らなければ。
 高ぶる感情で乱れる呼吸を整え、瞑想するように無心になろうとした。
「あー、こんなになってる……」
「しーっ。やだ。言っちゃやだ」
 しかし無視しようと思えばできるほどの囁き声は、どうしても耳に届いてしまう。光景が見えないだけに、想像力が刺激された。
 ユージンが優美なマルタの体のどこに触れているのか。上向きで形のいい乳房。なだらかな腰と尻。日に焼けてほっそりとした脚。彼の愛撫に熱くなっているだろう、その両脚の間。そしてどんな風に触れているのか。掌で。唇で。リュートを爪弾く繊細な指で。南国の娘の肌を撫で、優しくつねり、舌で味わっているのかもしれない。
 何度もシェリルの髪を撫でた指が、マルタの体の中に入り込んでいるのかもしれない。
 動悸が激しい。息が詰まる。もうやめて。
 自分で自分の想像が止められず、嫉妬の嵐はさらに激しく荒れ狂った。
 さらに惨めなことに、背後のユージンとマルタの喘ぎと頭の中で想像する光景、そしてかつて彼と睦み合った思い出が混ぜ合わさり、シェリルの体を熱くさせた。静かに腿をこすり合わせる。その両脚の間が切なく潤っているのが分かった。

「ダメだよ、やっぱり。そこまではダメ。ね……ユージン……あ! あっ!」
 マルタの深い声が響くと同時に、寝藁と敷布が規則的にがさがさと音を立て始めた。
 あまりの虚しさと惨めさに、涙も流れない。嗚咽も漏れなかった。先ほどまで荒れ狂っていた感情も、今は凪のように落ち着いている。もう限界を超えてしまって、麻痺したのかもしれない。ただ鼓動だけがいつまでもどくどくと、うるさく耳の後ろで聞こえた。
「は……あ……ああん……ユージン……」
「マルタ、マルタ……綺麗だよ。愛してるよ」
「私もっ……! 愛してる。愛してる。……ああっ! ユージン……いいっ。いいよぅ」
 視界の前方では、寝相の悪いスタンリーが仰向けに転がり、イーミルの背中に足を乗せて、はだけた腹をぼりぼりと掻いている。
 格子の入った、ごく小さな天窓から差し込む星明りが照らすのは、そんな光景だった。スタンリーの鼾を聞きながら、笑いたくなった。
 背後で恋人たちが睦み合う物音と喘ぎを聞きながら、目の前では寝相を崩して鼾を掻いている仲間の姿が見える。この滑稽であまりに人間的な光景に、笑うしかなかった。ユージンがこの情景を歌にするなら、どんな歌になるだろうか。さぞかし大衆には受けるだろう。
 二人とも、よくこのスタンリーの大きな鼾を聞きながら、行為に没頭できるものだ。雰囲気など問題にならない程、互いを強く求めているのだろうか。
 まさかスタンリーのうるさい鼾が救いになるとは思わなかった。そのおかげで、ユージンとマルタをせめて滑稽だと笑える余裕ができる。もし全くの静寂の中で、二人の喘ぎを聞いていたなら、惨めさのあまり涙を堪え切れなかっただろう。
「マルタ……いいよ……いくよ」
「はあっ、あっ……! ユージン……いって……私の中で……!」
「あ……ああっ……!」
 奇妙にこみ上げる笑いの衝動をこらえながら、ユージンは誰と寝る時も、最後にはああして声を漏らすのだろうかと思った。  
 
 マルタとユージンが暫く荒い息をつき、熱い口づけを交わす濡れた音が聞こえた。
 だが二人の含み笑いと息遣いも徐々に静かになり、やがて寝息に変わった。
 その頃にはスタンリーの鼾も一段落を迎えて小さくなっていた。寝苦しい大部屋には、若者たちの寝息だけが聞こえている。
 シェリルはそっと身を起こす。
 全身が汗ばみ、髪も服も肌に張り付いて気持ち悪かった。部屋に女しかいなければ、この季節は下着で寝るのだが、男性がいてはそうもいかない。しかしやはり、服を着たままだと、暑かった。腹をはだけられるスタンリーたちが羨ましい。
 静かに立ち上がる。部屋の様子を伺うが、誰かが起きている気配は無かった。後ろを振り返っても、天窓の明かりはそこまで届かず、横たわるいくつかの濃い影が見えるだけだ。
 シェリルはそのまま忍び歩きで部屋を出た。
 階段を下りて、厠に入る。湿った空気が匂いを含み、不快だった。
 暑がりのシェリルだが、草花も動物も陽光も輝きを増す夏は、嫌いではない。しかし今年は湿気が多く、特に蒸し暑い。早く終わって欲しいと思った。
 用を足して後始末をすると、股間がぬるりと湿っていることに気づく。まだ体の芯が熱い。
 涙が零れた。
 色々な思いをしてきたが、こんな惨めな夜は無い。恋した男が背後で別の美しい女を抱く物音を、息を殺して聞きながら、自分はひとりで脚の間を濡らしているなんて。さらにこんな厠でそれを嘆いて泣いているのが、増々情けなかった。
 両手で額を覆い、せめて声を殺しながら、彼女は少しの間黙って涙を流し続けた。
(忘れなきゃ)
 大体、自分の心に住んでいるのが誰なのか、よく分からないのだ。『彼』のことがふと頭に浮かぶ時、いつもシェリルの瞼の奥に蘇るのは、常に彼女を気遣って優しく微笑む貴公子の姿だった。 
 だがそんな男は実在しない。
 それでは一体自分は誰に恋焦がれているのだろう。
 あのコヨーテがレナード公子を演じていたのは確かだが、彼の本当の姿は全く違う。コヨーテは彼女にとって、レナードの抜け殻に過ぎないはずだ。レナードに対する想いが強すぎて、コヨーテの姿かたちや声に惹かれているだけだ。
 それならもう忘れた方がいい。
 繰り返し自分に言い聞かせる。
 流れていた涙が落ち着くのを待って、厠を出た。
 部屋に戻り、静かに扉を開ける。締め切った部屋の蒸し暑い空気が流れてきた。
 中は出てきた時と同じように、一行の寝息が聞こえるだけで、動くものも無かった。天窓からの明かりは相変わらず小さく、スタンリーたちが寝ている場所をまっすぐに照らしているだけだ。寝相の悪い彼らが折り重なるようにして転がっているのを見ると、ほんの少し心が和んだ。
 つい視線をマルタたちの方に向けるが、光の届かないそこは、やはりよく見えなかった。
 シェリルはマライアの隣に元通り横になると、マルタたちに背を向けて目を閉じた。

BackNext

ネット小説ランキング>【R18部門】>魔女とコヨーテに投票
 ↑ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。


登録させていただいているサイト様
「山間の城の物語」に投票
 ↑現在連載中の「山間の城の物語」が気に入ったら、クリックして投票してください。
「乙女の裏路地」へ 「にほんブログ村 小説ブログ」へ
fc2ブログランキングへ投票 「十八禁恋愛私花集」へ
*Edit TB(0) | CO(4)

~ Comment ~

管理人のみ閲覧できます 

このコメントは管理人のみ閲覧できます

こんばんは 

フクロモモンガさん、初めまして。ロビンです♪
『小説家になろう』ですでに読了済みなのですが
ブログも開設されているとのことで遊びに来てしまいました(●´ω`●)ゞエヘヘ
やっぱりシェリルはえっちでめんこいですね♥
コヨーテ、シーマス、ミクエルなど、フクロモモンガさんの描く男の子は
ダメなところも含めてとても魅力的だと思います。
実際、付き合うとなると心身ともに疲労困憊しそうですが笑
『小説家になろう』の方の更新も楽しみにしています♪

シークレットコメントへのお返事 

>Rさん(Lさん?)へ

読了&ご感想、ありがとうございます!
最終話、そんなに入れ込んで読んでいただいて、ありがとうございます。
こちらこそ感涙ものです…(>_<。)。。。
私が拙い文章でツラツラ書いたものをキャッチしていただいて、本当に嬉しいです。

最終話を読んで、さらにコヨーテ君を好きになっていただいたなんて…ありがとうございます。
心に残るものがあれば、毎週ぐるぐるイス回しながら書いた方としては、こんなに嬉しいことはないです。これこそ言葉に尽くせません~~!

感極まって、文章がまとまらないことって、よくありますよね(笑)
私もがががーっと興奮のままに感想文書いて、作者さんに送ってしまうことがあります。

こちらこそ、長いお話を最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!

Re: ロビンさん 

こんばんは、初めまして!

ご訪問&コメント、ありがとうございます。
ロビンさんって、「レモンケーキ」(キレイなブログ…)のロビンさんでしょうか?
わ~、ありがとうございます!
RUMYさんのところからリンク辿って、何度か遊びに行かせてもらってます。
読むのが遅いので、なかなか更新に追いつけないのですが…^^;
エリが、今までの恋愛小説にはあまりない感じの人物で、大好きです♪
あと、皆楽しそう~~! 読んでいると、もいっかい大学行きたい~とか思います!

私の方のお話も読んでいただいて、ありがとうございます!
私の理想の男はミクエルなのですが、実際にいたら逃げますね(笑)
「なろう」の方でも頑張りま~す。
管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


⇒ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 ◆Home  ◆Novel List  ◆All  ◆通常ブログ画面  ▲PageTop