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ココナッツ図書館 夜間書庫

魔女とコヨーテ」
第三話 道連れ

第三話: 道連れ 20

2009.06.10  *Edit 

 広くも豪奢でもないが、小さな趣味の良い寝室だった。
 シェリルが入り込んだ開け放たれた窓から、夏の濃い日差しが差し込んでいる。
 家具はこの辺りでは珍しい、白木で作られていて、どこか清楚な印象がある。同じ白木の本棚には、意外な程の蔵書が詰め込まれていた。
 天蓋付の小振りの寝台に、少女は手足を投げ出すようにして腰掛けていた。丁度食事の後だろうか、誰の姿も無い。
 近づいて、その見事な金髪に改めて驚いた。恐らく立ち上がれば尻のあたりまでの長さになるだろう。月の光を紡いだような白金色の淡い髪は艶やかで、ゆるく巻いている。
 しかしその下の小さな卵型の顔は、疱疹で膨れ上がり、相変わらず目を開けているのかどうかも定かではなかった。シェリルが近づいても、少女は俯いたままだ。
「お嬢様」
 声をかけたが、彼女は顔をあげもしない。
「魔女様」
 もう一度呼びかけると、男爵令嬢は顔をあげて彼女の方を見た。腫れ上がった瞼の為、彼女の目が開かないことにようやく気づいた。鼻の皮膚は皮が剥けて、顔から削げ落ちかけている。そこから覗く顔の肉も紫色に変色していた。唇にもいくつもひびが入り、爛れたような疱疹のせいで膨れ上がっている。
 元は母親似で美しかったという。哀れみが溢れて、やりきれない気持ちになった。
「男爵……あなたのお父様は、今までの所業が明るみに出て、処分されることになるでしょう。あなたはどうされますか?」
 シェリルが静かに語りかけると、令嬢は激しく首を振り、動かない手足の代わりに体を捩った。梳ったばかりの金髪が乱れる。
「うるさい。私は魔女だ! 主が降臨するまで、私の言う通りにしていればいいんじゃ。若い娘を生贄に捧げるんだ!」
「お嬢様」
 シェリルは膝をつき、何かの発作のように激しく体を振って暴れる彼女を正面から見つめた。
「つまらない演技はおやめなさい。男爵が裁かれるのはもう避けようがありません。あなたももう、良くても狂人として修道院で一生を終えるか、悪ければ教会側に異端審問にかけられるのですよ」
 しゃがれた声で喚いていた彼女は不意に声を途切れされた。体の動きも止まる。彼女はシェリルを凝視した。膨れた瞼の僅かな隙間で、瞳が左右に動くのが見えた。
「……気づいていたの?」
 一転して、鈴が鳴るような美しい声が、生きながら腐敗する少女の口から飛び出した。それは全く正気の人間のもので、どころか恐ろしく聡明な印象を持たせた。
「私の友人が」内心コヨーテの読みに感心しながら、シェリルは短く答えた。「司祭様は男爵があなたを操って魔女であるかのような言動を取らせたと思っていらっしゃるけど、逆だったんですね。あなたが父親である男爵に、奇怪な言動で暗示をかけた……」
 令嬢は肩を震わせて小さく笑った。
「暗示だなんて。そんな大層なものではないわ。あの人は元から私が魔女なんじゃないかって幻想を持っていたもの」
 体格からして、少女はまだ十三、四歳に見える。だがその話し方は成熟した、そして確かな教養を窺わせるものだった。
「どうして? あなたのお母様が魔女だからですか?」
 あえて率直に問いかけると、少女は大人びた溜め息を吐く。
「あなた……何でも知っているのね。でもお母様は本物の魔女なんかじゃないわ。私も違う。でも唯一神を信じていなかったお母様を、お父様は魔女だと勝手に思い込んでいただけよ」
「銀鉱のことを誰も知らなかったのは?」
「銀鉱というのは嘘だもの。お母様のご実家の方からの内密な援助よ。外聞が悪いから、外に対しては銀鉱の収入だなんて偽っていただけよ。私も詳しくは知らない。……あのおじいさん司祭の受け売り? あの人も、お母様を魔女だと疑ってたみたいね。信じる神が違うというだけなのに」
 ぼんやりと事態が飲み込めてきた。令嬢の言う通り、司祭は領主夫人を魔女ではないか、そして銀鉱の収入は、魔女がどこからか不正にもたらしたものだと考えていたようだが、何のことはない。夫人は違う宗教を信じる遠方から嫁いで来ただけの話だったのだ。
 異教は邪悪だという、古い急進派の教会の教えは、教会の人間の視野を狭くさせ、無知に陥らせた。急進派が中央で権力を握っていた頃は、真理を探り続ける魔術師たちも随分と迫害されたと聞く。
 領主も司祭も、単に奉じる神が違うという夫人の姿をありのままに受け止めていれば、余計な期待や疑惑を持つこともなかっただろうと思った。
「……ではあなたは、何故そんなことをしたのですか? 魔女の振りをして、悪魔の降臨だの生贄だの、男爵に吹き込んで妙な儀式を行わせたのは何故です?」
 令嬢は声をあげて笑った。その美しい笑い声は、昨夜と同じように不吉な響きを伴っていた。
「あの人はね、ずっとお母様のご実家からの収入で、本を読んだり昔の伝説を調べたりして、領地のことはお金と役人たちに任せて、好きなことをして生きてきたのよ。だからお母様が亡くなった時、自分で何もできなくて焦っちゃったの」
 少女はそこで言葉を切り、再びシェリルを見つめた。瞼の下できょろきょろと動く瞳が異様で、嫌悪感を覚えたが、シェリルはそれを顔に出すまいと、無表情を保った。やがて彼女は口を開いた。
「ねえあなた、あなたが男だとして、私に口づけできる?」
 少女の問いかけに、シェリルは絶句した。答えは瞬時に浮かんだが、それを伝えることはあまりにも無情に思えた。
「手足が動かず、腐っていく私を抱ける? できないわよね。私は十二の頃にこの病気にかかって、長いこと苦しんできたわ」
「お嬢様……今、おいくつですか?」
 失礼と思いながらも、令嬢の微妙な言い回しに答えるようにシェリルは尋ねた。
「いくつに見える?」彼女はまたくすくすと笑う。「……二十歳よ」
 もう一度言葉を失うシェリルに、令嬢は話し続けた。
「病気にかかってから、すっかり成長が止まっちゃったみたいなの。……でも聞いて。初潮は来たわ。月経は毎月来るのよ。子供は産めるの」
 自嘲する少女の姿をした、自分より年上の女に、かける言葉が見つからない。胸の中が虚しく苦しい感情で満たされた。
「最初、私が病気にかかった時、あの人、それはもう悲しんだわ。でも治る見込みが無いと分かると、私をお母様の生まれ変わり、魔女だと言って喜ぶようになったの。私の腐った顔や手足に口づけしてくれるのも、あの人だけだった」
 窓から夏の乾いた空気が入り込んで、天蓋の布を揺らした。不意に日が翳って、部屋は薄暗くなる。
「……私を抱いてくれたのも」
 女の呟きに、かすかに眩暈と吐き気を覚えた。

「誰も私に近寄らないし、動くこともできなくて、ただ父親の言いなりになるしかなかったのよ。私、誰もが憎かった。あの人しか愛する人がいなくて、あの人も憎かった」
 理知的に言葉を紡いできた令嬢の声が乱れる。初めて冷たい虚無以外の感情が混じるのが聞き取れた。
「あなた……自分の姿に不満はある?」
 不意にそんなことを尋ねられ、シェリルは答えに詰まった。
 不満はたくさんある。癖の多すぎる髪。色も黒より金髪が良かった。顔はもう少し頬が落ちた卵型がいい。唇も厚めだし、鼻も大きい。豊満な胸と尻は彼女が最も嫌うものだったし、背も高い方がいい。肌も半端に黒い。不満だらけだ。しかし目の前の彼女に並べ立てるには、いずれもあまりに小さな不満だ。
「私の姿を見れば、自分の不満なんて大したことないって思うでしょ?」 
 心に浮かんだことをずばりと言い当てられ、シェリルは頷くこともできずにいた。特に気にした様子もなく、令嬢は続ける。
「城勤めの女の子たちもそう思っていたのよ。病気にかかる前は、私を羨んでいた侍女や女中も、病気にかかった私の姿を見て、涙を流しながら目の奥で、自分はこの爛れた姿よりはましなのだと、皆そう言っていたわ。
 それで皆が、私の姿と比べることで、女たちが自信を持って喜ぶなら、それもいいと思ってた。せめて役に立てると思ってた。……お父様に抱かれるまでは」
 嗚咽が漏れた。しかし彼女は涙を流さなかった。
「どうして男爵はそんなことを?」
 語りかけた自分の声が震えている。そう思った瞬間、逆にシェリルの目から涙が流れた。
「知らないわ。魔女と交わりたかったのかもしれない。お母様を抱くような気持ちで抱きたかったのかもしれない。その時から、私は女たちに優しくできなくなったのよ。父親に守られて、どんな醜い女も美しく装って、自分を愛している男と恋をする彼女たちが羨ましくて仕方なかった。だから、あの人が悪魔を降臨させたいと言い出した時、私は伝説通り、若い娘を生贄に捧げろと言ってやったわ」
 令嬢に対する哀れみは変わらなかったが、その言葉にはさすがに怒りを覚えた。役人や司祭が何人か内密に逃がしたと言っていたが、それまでに本当に殺されてしまった娘たちもいるはずだ。
「どうしてそんなことを? そんなことをしてもあなたの病気は治らないし、何が変わるわけでもないじゃないですか。自分が不幸だから、他人も不幸になればいいなんて、あまりにも醜い考えです」
「そう? あなたは本当に、そんなこと考えたこともない?」
 令嬢の嘲笑に、シェリルは即座に首を振ることができなかった。
 ないわけはない。多分自分が苦しい時に他人を妬むのは自然な感情だ。だがそれを認めて開き直ってしまっては、本当に軽蔑するような人間に落ちてしまう。
「まあ、いいわ。私も自分を正当化するつもりなんてない。この病と父からの仕打ちが、私がしたことへの言い訳になるとは思っていないわ。
 私だって最初は、もしも本当に悪魔が降臨して、この病を治してくれるならって、そんな気持ちであの人に持ちかけてみたのよ。病気が治るなら、神にでも悪魔にでも何だって捧げたわ。
 ……もちろん、成功しなかったけどね。悪魔は狡猾だから、人間の知性を遥かに上回るそうよ。人間の先の先を読んで目的を遂げるんですって。私たちの手に負えるようなものじゃないのよね」
「そんなの、最初から分かっていたことじゃないですか」
「そうね。多分、私知っていた。……でも、忘れないで。私は世迷言を叫んでいただけで、実行したのは男爵よ。私を誰が裁けるの?」
 シェリルは一度目を伏せ、令嬢の膨れ上がった顔を見つめた。
 恐らくスタンリーたちに呼ばれて、彼女たちの依頼主であるジョン卿がやってきた後、この村は彼の元で一度統治されるだろう。
 そして恐らくジョン卿はこの令嬢を娶り、男爵の跡を継いだ彼女の夫として、実質この村の新しい領主となるだろう。誰に取ってもそれは理想的な結末のはずだ。
 だが令嬢の罪を知ってしまった今、何人もの罪の無い娘を、生きたまま火あぶりに追い込んだこの女が、人の良い騎士の妻に納まるのを黙って見ていられない。竈で危うく焼き殺されかけたシェリルは、彼女たちの恐怖と絶望の一端を垣間見た。令嬢の境遇には大いに同情するが、他人への妬みの為に、相手を苦しめて殺すなど、許せることではない。
 しかし、令嬢を裁く方法があるとは思えなかった。彼女はずっと狂人を装ってきたし、これからも必要があれば続けるだろう。
 先ほど彼女に、修道院に送られるか、異端審問にかけられると告げたのは、シェリルのはったりだ。実際は彼女にそういった手を打つことは難しいだろう。跡継ぎを失えば、領地は混乱に陥る。司祭や役人、村人、そしてジョン卿もそれを望んでいないはずだ。シェリルが令嬢の罪を公に暴いて、裁きを受けさせようとすれば、誰もがそれを止めようとするはずだ。
 だから今、彼女は一人でこの部屋に来た。

「そうね。それがいいわ」
 シェリルが静かに短剣を抜き放った時、令嬢は頷いた。シェリルは震える声で問う。
「どこか、修道院に入る気はありませんか? 神にこれまでの罪を悔やみながら、一生祈りと奉仕の日々を過ごすというのなら……」
「もうたくさんよ。この病気をくれたのが神なら、祈る気など起きないわ。私、薬を使ってないのに、病気の進行が遅くて、なかなか死ねないのよ。このまま無意味にご飯だけ食べて無駄に生きていても仕方ないもの」
 それでも生きるべきだ。
 何故シェリルにそう言えただろう。
 昨夜コヨーテが、妹が令嬢と同じ病気に罹っていると語った時、何故即座に嘘を見抜けなかったのだろうと思った。彼に妹がいたとして、こんな状態であったなら、彼なら無駄に苦しみを長引かせるような、慈悲深く残酷な真似はしないだろう。ありもしない希望に縋るような男ではない。
 自分はまだまだ彼のことを分かっていなかった。既に去ってしまった男の姿をもう一度惜しんだ。 
「悲鳴はあげないわ。安心して」 
 令嬢は引き攣った唇を吊り上げた。自分から短剣を抜いたというのに、ためらってしまうのが情けない。
「……もう一度考え直す気はありませんか?」
「悔い改めろっていう意味? 無いわ。少しでも私を哀れだと思うなら、もう終わりにして。男爵の処刑が見られないのが心残りかしらね」
 でも近い内に地獄で会えるわね。
 そんなうそ寒いような言葉を令嬢の最期の言葉にしたくなかった。知らず涙を流しながら、尚もシェリルが躊躇していると、もう一度呟いた。
「お願いよ。あなたが私の立場だったら望むことをしてちょうだい」
 彼女の鈴を鳴らすような美声は、男爵譲りなのだと今気がついた。
 
 約束通り、令嬢は悲鳴をあげなかった。 
 ひとしきり涙を零しながら、その亡骸を見つめていたシェリルは、二十歳とは思えない小さな体を横たえ、毛布をかけてやった。病の為に膨れた顔のせいで、彼女が永遠の沈黙と虚無を迎えるにあたって、安堵していたのか恐怖していたのか、分からなかった。
 窓から術を使って入り込んだシェリルの姿は、誰にも気づかれていないはずだ。首を裂かれた令嬢の遺体が見つかれば大騒ぎになるだろう。
 だから遺体は持ち帰り、どこかにひっそりと埋めてやるつもりだった。遺体が見つからなければ、令嬢は行方不明となる。生きている人間に都合のいいように処理ができるので、混乱も少なくて済む。工作次第では、本人不在のままジョン卿と結婚させることもできるはずだ。
 令嬢を抱えて部屋を出る前に、彼女はそっと部屋の蔵書を探った。
 できれば蔵書を全て持ち帰って研究したいが、さすがにこれだけ大量の本を内密に持ち出すことは不可能だ。
 まだいくつか疑問が残っている。
 昨日スタンリーたちが苦戦して倒した異形の怪物。あれはなんだったのか。男爵は儀式の成果だと言っていたが、マライアに聖油をぶつけられても怯みもしなかった。悪魔の類ではないなら、どこから出てきたものなのだろう。
 そして男爵本人は、何故シェリルを魔術師だと見破り、そして彼女が竈で焼き殺されずに生きていることを知っていたのだろう。
 そういえばコヨーテも同じようなことを言っていた。
 男爵を尋問することではっきりすることもあるだろうが、あの状態の彼がまともに受け答えをできるかどうかは分かったものではない。
 村人を狂気に巻き込み、病に冒された実の娘を魔女だとまつり上げ、あまつさえその娘を犯した彼に対しては、憎しみすら麻痺してしまっている。哀れだとも思わなかった。
 しかし蔵書の数は多すぎた。全て調べている内に、誰かが部屋に入ってきてしまうかもしれない。
 諦めて本棚から離れ、令嬢を抱き上げて部屋を出ようとしていたシェリルは、寝台の横に開かれたままの本が置いてあるのを見つけた。
 令嬢自身は身動きできないはずだが、侍女が開いて読ませてでもいたのだろうか。つい今しがたまで令嬢が読んでいたような位置にある。
 何気なくシェリルはその本を取り上げた。
 ある魔術師による、悪魔に関する記述のようだった。相当古い本で、羊皮紙と牛の皮で作られた高価そうな本だ。
 立ったまま、本を抱えてぱらぱらとめくってみる。
 悪魔についての概論、魔女について、満月の魔女の宴、そして悪魔の降臨の儀式についても長々と書かれていた。コヨーテが読んだというのも、この類の本なのだろうか。それにしても彼は本当に、どこでそんな知識を身につけたのだろう。
『生贄を焼き殺した後、降臨の儀を執り行うべし。注意するべきは、悪魔が宿るのは生贄ではなく、依り代の肉体であること。依り代は魔女であるのが望ましい。
 依り代の肉体は降臨の儀の際には生きていなければならない。死体に悪魔を喚ぶことはできないので、この点にも注意すべし』
 生贄を捧げ、魔女を依り代として悪魔を受肉させる。昨夜コヨーテが語ったのと同じことが書かれていた。彼女はその行に目を止め、何かにつられるように続きを読んだ。
『依り代の肉体の主が死して魂が離れた時、降臨した悪魔は依り代に受肉する』  
 視界の隅で何かがもぞりと動いた。

 令嬢が起き上がってこちらを見つめている。
 その喉には今しがたシェリルが引き裂いた短剣の傷が口を開け、いまだ濁った血液が流れ出していた。膨れて開かなかったはずの瞼はめくれ上がるように大きく開き、瞳の代わりに暗黒のような果てしなく暗い眼窩だけが見える。
 全身が総毛立った。
 これは敵だ。決して自分たちとは相容れない、生まれながらにしての恐るべき敵。

 どこからそんな勇気が湧いたのかも分からない。あるいは並外れた恐怖がそうさせたのかもしれなかった。
 本を放り出し、短剣を抜き放って令嬢に飛び掛ったシェリルは何かに弾かれて、床に仰向けに倒れ込んだ。
 幸い頭を打たなかった。腰の痛みをこらえながら上半身を起こす。手足をぶらりと垂らし、黒い眼窩でこちらを見つめている令嬢の姿をした何かが見えた。立ち上がることのできないはずの令嬢の体は、天井近くまで浮き上がり、シェリルを見下ろしていた。
 震えが止まらない。今度こそ動けない。
『娘、今の無礼は、俺を受肉させた礼に忘れてやろう』
 令嬢の口が動き、底知れない深い沼の奥から響くような、しゃがれて冷たい声が響いた。古代語だった。
 男爵はあの狂気じみた宴の中、生贄を捧げて何度も降臨の儀式を行っていたという。一度も悪魔が現れたことがないことを、誰もが失敗した為だと思っていた。シェリルも。この瞬間まで。
 異教の神を奉じていた夫人。だが彼女がどこの出身なのか、具体的にどんな神を奉じていたのか。援助をしてくれるという実家はどこなのか。ついに令嬢も語らなかった。一体誰が知っているのだろう。
 司祭の祈祷が始まってから、体調を崩していった夫人が魔女だというのは、迷信と偏見だとシェリルは思っていた。役人も、娘である令嬢すらそう言っていた。
 だが、それが事実だったとしたら。
 疑いを持っていたのは司祭だけだ。司祭が奥方に執り行っていたのが祈祷などではなく、悪魔祓いの儀式だったとしたら。
 かつて経験したことのない、意識が遠のきそうになるほどの圧倒的な恐怖の中、シェリルの頭に断片的にそんなことが浮かんだ。
 目の前にいる存在は、死や危機を連想させるような生ぬるいものではなく、純然たる恐怖そのものだった。
『安心しろ。お前のような小娘にも、こんな小さな村にももう興味は無い。ただ、奴にだけは礼をしておかないとな』
 耳の奥を鈎針で引っ掻くような声で、令嬢の姿のものは告げると、シェリルが入り込んだ窓から体を浮かせたまま出て行った。

「おい、何事だ?」
 突然、男の声がかけられ、肩を大きく揺さぶられる。
 振り向いた彼女は、緊迫した役人の顔を見つけた。
「何て声を出すんだ。何があったんだ? お前、いつの間にこの部屋に?」
 役人に続けざまに質問され、ひりひりと痛む喉に気づいた。知らない内に絶叫していたらしい。
 声が出ない。
 何からどう説明していいのか分からず、らしくもなく彼女は肩に置かれた役人の手を、子供のように握り返すのが精一杯だった。
 とんでもないことをしてしまったのかもしれない。
 悪魔は極めて狡猾。知能が高く、人間の先の先を読む。
 司祭や令嬢の言葉が甦った。
 すべて。
 全て一つの目的の為に繋がっていたのか。シェリルが自らの手で令嬢の喉を裂くに至った、薄っぺらい正義感も。そのシェリルに、令嬢の偽りの狂気を仄めかしたコヨーテの洞察も。令嬢を自暴自棄に追い込んだ病と、男爵の実の娘への恐るべき暴挙も。その男爵と令嬢に黒魔術の知識をもたらした夫人。村人を堕落させて、簡単に悪魔崇拝に傾倒させた、外部からの収入も。すべて。
 一体、どこからどこまで。誰に、何によって。
 尋常でない彼女の様子に、役人は後からついてきた侍女に、温かい酒を用意するように告げると、彼女を支えて立ち上がらせた。
「立てるか? とにかく、落ち着け。お嬢様はどこへ行ったのだ?」
 役人の問いに答えなければと思いつつ、シェリルは震えながらただ首を振り続けた。
 そんな彼女を哀れに思ったのか、それ以上役人は問い詰めようとしなかった。シェリルを床に座らせ、部屋を見て回る。寝台の上には、シェリルが令嬢を手にかけた時、彼女の首から流れ落ちた鮮血の跡だけがあった。役人は顔を顰めてそれを認めたが、黙ったままだった。
「とにかく、ここを出るぞ。仲間の女を呼んできてやるから、応接間で待っていろ」
 役人は、絶叫したシェリルが、令嬢をどうにかしたとは、全く疑っていないようだった。
 シェリルは頷きながら、彼に支えられ、震える足取りで廊下を歩き出した。
 だが応接間に入る前に、役人が呼びに行こうとしていたマライアが、イーミルに支えられながら、蒼白な顔で近づいてくるのが見えた。彼女は城の礼拝堂で、司祭と修復の計画などを話していたはずだ。
「シェリル……」 
 滅多にないことに、マライアは涙を浮かべて、口元を押さえている。その体が小刻みに震えていた。イーミルが気遣うように彼女の肩を支え直す。
 自分とほぼ同じ状態のマライアが持ってきたのが、司祭の死の知らせでないことを彼女は祈った。だが同時に恐らくその予感は正しいだろうと、虚しく確信していた。

<第三話 終わり>


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~ Comment ~

re:拍手お返事 >6/13に拍手くださった方 

拍手、ありがとうございます~!

最後、ちょっとホラーでどかんと落としたかったのですが…うまくいったかどうか。
三話はご覧の通り、破綻して、半分未完です。すみません~。
四話からは別の話になりますが、三話の後始末は外伝でつける予定です。

管理人のみ閲覧できます 

このコメントは管理人のみ閲覧できます

RE: シークレットコメントへのお返事 >Kさん 

ああ~、こちらの方にも。ありがとうございます~!

多分、じいちゃんは一番気の毒な人です。いい人なのに…。
すみません、三話はここでぶつっと切れます。
「結局、奥様は?」「あの大男たちは?」「アレはその後どうなった?」「で、地毛なの?」というあたりに関しては、外伝で…!
今話練ってますが、ムズカシーですねー。
いっそお嬢様を中心に据えてしまえば、全部上手に解けるんですが、それだともうこの話とは関係なくなっちゃうので、なんとか上手に絡めたいです。
四話はまた時間が経って、別のお話になります。

いやー、こちらこそ、ハッキリ「救いはないです」って断言されてるのを見つけたので、ぱーんと膝を打って、がちゃがちゃコメントしちゃいました。
私も読み手としてはワガママな方なんで、予想の範囲を超える方に話が進んじゃうと、もやもやしちゃいます。
だから、まあ、気持ちは分かるんですけどねー。
話を読んで、どう思うかは自由ですが、それを他の人や書き手にどう伝えるかってところに、その人の理性というか、分別みたいなもんが出てくると思います。

ああ、あのご意見、読んでいただいていたんですか~。
私もちょっとびっくりしました。
しかし、そちらに寄せられた感想もスゴイですね。
私ではないんですが、別の作品にも似たような感想が入っているのを見て、驚いたことがあります。
所詮、自己満足で書いているものですからねー。
そんなこと言われても、困っちゃう♪って感じですよね。
誠に遺憾です。ではさようなら、っつーか…。他に返しようがないですね。
…う、これ以上はまたエンジンかかちゃいそうなので、別の機会に(笑)

本当に、アマチュアだからこそ、売り上げを気にしないで書けて、しかも手軽に読んでもらえるなんて、本当に幸せな時代です。
昔はプロ志向あったのですが、印税で生きていくには、どれだけ売らないといけないか、具体的に計算して諦めました(笑)
「どうしたら読者に受けるか」を考えて、一生自分的にハンパなもの書き続けていくより、好きなこと書いて、こうしてコメント一件いただけるだけで、嬉しいですー。

今後も頑張ります。
そちらも頑張ってくださいー。応援してます。
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