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ココナッツ図書館 夜間書庫

魔女とコヨーテ」
第五話 山の端に陽が沈むまでに

第五話: 山の端に陽が沈むまでに 6

2009.07.13  *Edit 

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 広大な街のほぼ中心を蛇行しながら川が流れている。かつては渡し舟で川を渡るしかなかったが、戦乱が収まり、国が豊かになり始めた頃に、都中の石工が集められて、美しく大きな石の橋がかけられた。
 商店や職人街、宿屋などが集まるのは川の東。橋を渡った西には、大聖堂や大きなギルドホール、そして重厚な石造りの大学がある。王城はそれらを見下ろすように小高い丘の上に鎮座していた。
 仕事によっては、数ヶ月留守にすることも珍しくはないが、シェリルたちは普段は王都の宿にいる。ここが一番仕事が見つかりやすいからだ。
 随分と名前があがった今では、常宿も決めておいた方が、彼女たちを指名してくる依頼主も連絡が取りやすい。
 今回はそれがあだになってしまった。常宿があった為、赤毛の男たちが彼女たちの居所を探るのもたやすかったに違いない。
 同じ王都に大学もあるので、仕事が無い時は以前と同じように、師匠の元で教えを請い、修行や調べ物をすることもあった。しかし、ギルドを出る前と決定的に違うのは、帰る場所だった。ギルドを出る前は、彼女は寮に住んでいたが、今は、例え連日ギルドに通う必要があっても、毎日宿へと帰っていた。仲間の元へと。

「あら、お久しぶりね」
 シェリルの顔を見ると、師匠はいつものように穏やかな微笑みを浮かべて、ふっくらとした頬に笑い皺を刻んだ。
 ギルドを出て冒険者を始めたばかりの頃は、荷運びなどの安い仕事を頻繁に引き受けなければ生活できなかった。結果、常に王都を留守にすることが多く、なかなか大学内に来ることができなかったものだ。それに仲間とぎこちなかった当時は、師匠の顔を見たらまた外に出られなくなるのではと思い、敢えて学内には近づかないようにしていた。
 仕事も選べるようになり、報酬の額も上がって、そう頻繁に王都を空ける必要が無くなった最近、やっと大学にたまに入り、調べ物や新しい術の研究をする余裕ができた。
 師匠は今でも大切だ。ある意味、実の両親より近しい存在である。だが、今や、彼女の生家と同じく、そこはかけがえのない場所ではあるものの、もはや帰るべきところではない。
 しかしその帰るべき元の仲間たちが危機に晒されている今、師匠がとてつもなく頼りに見える。
 全て事情を話して、後事を師とギルドに託せたら、どんなに気分が楽だろう。
 しかし赤毛の男の組織や、問題の指輪の詳細が分からないままでは、その決断を下すには早すぎる。魔術師ギルドは力ある大きな組織ではあるが、必ずしもシェリルと仲間たちの味方ではない。事情によっては仲間たちを見捨てるという選択肢を取ることだってありえる。
『念の為言っておくけど、ギルドの中でも余計なことは喋らない方がいいよ。万一、動きを嗅ぎつけられたら、奴らは君のお友達を始末して姿を消すだけだからね。おまけにあとあとまで、僕らも命を狙われることになる』
 結局、シェリルがついていてもやはり学内への立ち入りが許されず、外で待っているのも退屈だからと風呂に向かったコヨーテも、別れ際にそう言った。
 探し物をするのに彼がいるのは心強いが、かと言って信用して頼りきりになるわけにもいかない。彼とは利害が一致しているだけで、味方ではないのだ。それは今までと同じだ。
 どんな時でもほぼ絶対的に味方であった仲間たちの有難さ、かけがえのなさをひしひしと感じる。
 ほんの一瞬、考えに耽ったシェリルは、意識を目の前の師匠に戻した。
 六十を越える彼女は既に高齢と言えたが、背筋の伸びた小柄な姿は、あまり年齢を感じさせない。すっかり色を失った白髪もまだ豊かで、それを撫でつけて後ろで纏めている姿はとても上品に見える。色白の肌には、残念なことにいくつかシミが見えたが、彼女によれば、若い頃の日焼けの為だという。彼女もかつてはシェリルと同じく、冒険者稼業に手を染めていた。
「お久しぶりとは言っても、先月も伺ったと思いますが」
 微笑を混ぜて言うと、師もおっとりと微笑み返した。
「そうだったかしら? ここしばらくよく通ってきていたから、一月会わなかっただけでも、随分と間が空いた気がするわ」
 薬草をすり潰していた彼女は、話しながらも一度手を止めていた作業を再開した。
 師の部屋は他の多くの研究者、魔術師と同じく、本だらけだ。壁の三方に本棚が備え付けられ、革張りの重厚な本が隙間なく詰め込まれている。続き部屋にも同様に棚がしつらえてあり、さらに本が詰め込まれていた。他に、薬草や薬を調合する為の鉢、濾過器、純水や酒の入った壷など、がらくたにしか見えない道具も多々置かれている。シェリルも相当大雑把だが、師のずぼらさときたらそれ以上で、続き部屋の整理は常にシェリルの役目だった。十日も放っておくと、薬や薬草が散らばった混沌とした魔窟になる。
 シェリルがいない今では、恐ろしくて続き部屋を開ける気にもならない。別の弟子が掃除をしていてくれることを祈るばかりだ。
「今日は何の用事?」
 乳鉢と乳棒が触れ合う音の合間から、師の声が聞こえる。そう言われると、まるで用事が無ければ顔を出してはいけないような気がして、少々淋しくなった。だが、その通りだ。既にシェリルは師の元を離れて独立した。師弟関係は変わることはないが、もう無条件に頼ることができる相手ではない。
「お聞きしたいことがありまして……。アシュケナジー師を最近お見かけになりましたか?」
 色々言い訳も考えたが、長いつきあいの師には、簡単な嘘などすぐに見破られてしまう。結局あまり偽りを交えずに尋ねることにした。  
 男爵の長男は、大学で修辞学を教えている。シェリルの師とも知り合いで、男爵との繋がりを持てたのも、彼がきっかけだった。
 師は手を止めて、シェリルを見上げた。思いがけない反応に、知らずシェリルは顔を強張らせる。
「……何か知っているの?」
 質問で応じた師に、すぐには答えられなかった。師もまた、何か知っている。
 どこまで話すか、考えなければ。
 コヨーテがそうであるように、師もまた彼女の絶対的な味方ではない。ギルドの方針とシェリルの意志が反する方向に動いた時、彼女がどう出るかは分からない。
 よく考えれば仲間だってそうではないか。彼らの考えとシェリルの考えがいつも一致するとは限らない。絶対的な味方など、この世にいるのだろうか。
 ふと、うそ寒いような孤独に襲われた。

「アシュケナジー師のお父上の男爵が行方不明なのです」
 少し考えた末、率直にそれだけ告げた。師は特に驚きを見せない。
 やはり男爵はギルドに匿われている。
 確信したシェリルは、床に膝をついて、師と視線を合わせた。
「お願いです。男爵の行方をご存知でしたら、一目会わせていただけませんか?」
 彼女は道具から手を離し、肩に羽織ったストールを掛け直すと、息をついてシェリルの瞳を覗き込んだ。
 ややかさついた、しかし温かい手に包まれる。
 若い頃には剣を握り、様々な触媒や薬品に触れて荒れた手は、シェリルがギルドに来たばかりの頃には、無口で内気な彼女の頭をやはり黙ってよく撫でてくれた。
 小さな子供を弟子として預かる導師は他にもいたが、彼らは弟子達の頭を撫でるのを嫌った。子供扱いしたままでは、精神の成長が遅れるからだという。自らを律する精神力が育たねば、奥義を使いこなすことなどできはしない。
 確かにそれは正しかった。同じくらいの年の子供に比べ、利発ではあっても、精神の安定が遅かったシェリルは、奥義を授かるのも一番遅かった。
 しかし繊細なまま育まれた彼女の感性は、数多くの精霊と容易に同調することができ、ひとたび奥義を授かって精霊と契約を交わした後には、めざましい成長を遂げた。ギルドは優秀な術師としてのシェリルに相応の期待を寄せていたが、彼女は師と同じく、一度ギルドを出る道を取った。
 ギルドの外の人間とも触れ合うことが少ないシェリルの知識の多くは、書物から吸収されたが、いつしかそれらを自分の目で見て、音を聞き、匂いを嗅いでみたいと思うようになった。生来の内気を押しのけて育つ彼女の逞しい好奇心を、師は微笑ましく誇り、独立を認めた。
 それからもう四年以上になる。師の懐かしい、記憶にあるより幾分小さく見える手に包まれたのは本当に久し振りだ。
「シェリル……何を調べているの?」
 師はもう一度シェリルに問い掛けた。灰青色の瞳が翳る。
 この人は心から私を案じてくれている。
 涙が出そうになった。変わらぬ師の優しさに包まれて、張り詰めていたものがほどけそうになる。
「事情があって、詳しくはお話しできません。でも、どうしても男爵にお会いしたいのです」
 師に偽りを話すことはやはりできない。自分の事情をそのままぶつけることしかできない未熟さが、情けなかった。
 彼女はしばしシェリルを見つめ、落ち着いた口調で語った。
「アシュケナジー師のお父上である男爵については、私達も知らないの。ただ、王都のお屋敷は完全に引き払ってしまったわ。使用人も全て暇を出されて、ご家族の行方も分からない」
「ご長男のアシュケナジー師もですか?」
 この質問に、師の視線は微かに揺れた。敬愛する彼女を、一瞬も目を逸らさずに見つめ返す。
「師はまだ王都にいるわ。でも私も居所は知らないし、当分は教鞭を取ることもないでしょう」
 それが何を意味するのか、師の顔を見つめたが、そこから読み取れる物は無かった。
「どういうことなのでしょう。男爵のご家族は、何かから姿を隠しているということですか?」
「私も知らないのよ。アシュケナジー師が何故姿を隠しているのか、どこにいるのか」
「ギルドの長老の決定ということですか?」
 師は沈黙をもってシェリルの問いに答えた。
 長老とはギルドの長を含めた評議会の会員であり、実質は大学の運営の決定権も握っている。シェリルの師のような、弟子を取ることを許された導師の中でも、特に優秀で会員歴の長い人間が選抜される。
「長老のどなたかに会わせていただくことはできませんか? 先ほど話したように、事情は説明できませんが、どうしても男爵にお会いしたいのです。アシュケナジー師なら男爵の居所をご存知かもしれません」
 焦って早口で言い募るシェリルを抑えるように、師はシェリルの手を包み込んだ掌に力を込めた。
「長老のどなたかに取り次ぐのは、できないことではないわ。でも、あなたの事情を話せないのでは、あちらもアシュケナジー師の行方など教えてくれないでしょう。自分の要求を一方的につきつけるだけではだめよ」
「分かっています。でも話せないんです。友達の命に関わることで……」
 顔を強張らせていた師は、痛ましそうに眉を寄せて、愛弟子を見つめた。
「シェリル、ギルドは組織よ。何百人という思惑が絡んでいる。残念だけど、あなたが友人を思いやるようには、彼らを思いやってはくれないわ。その上で、あなたが事情を打ち明けてギルドを頼るか、別の方法を探すかお考えなさい」
 自分で考えて結論を出し、そこに責任を持て。小さな頃から彼女に繰り返し教えられてきたことだった。盲目的に師を頼ることを師は許さなかった。他人を頼る時には、頼るべき人間を選ぶということにおいて、自分の責任を自覚しろと常々言い聞かされてきた。頼った人間が誤ったのなら、彼または彼女が悪いのではなく、その人間を選んだ自分に責があると考えろ。
 骨身に沁みているつもりだったが、こうして実際に誰も頼れない今、師にまで突き放されると、心に穴を穿たれたような気になる。知らず知らずの内に、マライアたちをどれほど頼りにしていたか。 
 自分で考えなければ。
 コヨーテの忠告を無視して、事情を全て師と長老に話し、全面的にギルドの協力を仰ぐか。それなら恐らくアシュケナジー師に面会することができ、男爵の行方を聞き出すこともできるだろう。男爵をむざむざとあの赤毛の男の元へ連れて行かなくても、ギルドの評議会が動くなら、仲間たちを救出することもできるはずだ。
 シェリルのような奥義を身につけた魔術師は、評議会の決定の下の出動要請に従う義務がある。つまり評議会はその気になれば、精霊を使役し、幻術を駆使し、人の精神をも操る王都中の魔術師たちを動かすことができるのだ。
 魔術師ギルドが君主や貴族たちの寄進を受けて協力を仰ぎながらも、根本的には世俗権力から独立しているのは、この為である。アシュケナジー師のように、導師として研究を続ける貴族はいるが、彼らは身分と権力を生涯捨てない限り、奥義を授かって魔術師になることはできない。権力を握る貴族や王族に属してしまうには、魔術はあまりに危険である。
 大きな街には魔術師のギルドがあるが、例えばそこが王族や貴族にでも制圧されたとすれば、王都のギルドは王領内全ての魔術師を動員して、制圧した勢力に制裁を与えるはずだ。その王都のギルドに万が一何かあれば、ここから東、大陸の中央にある魔術の<聖域>の評議会が、大陸中の魔術師を動かす。
 魔術師が忠誠を誓うのは、所属するギルド、その母体となる統括ギルド、そして最終的には魔術が生まれた、全ての中心となる<聖域>のみである。
 複数の魔術師という強大な力を行使できるギルドの評議会が、原則として中立を守るのは当然のことだ。たかだか一魔術師――シェリルの仕事仲間四人の命を救う為に、腰を上げはしないだろう。やはりアシュケナジー親子がどんな役目を担い、何故息子がギルドに保護されているのかが分からなければ、ギルドがどう出るかも判断できない。
 彼らが親子と指輪の保護を優先し、仲間たちを見捨てることを選ぶ可能性も高い。
 指輪。せめてその品物について、もう少し詳細が分かれば。
 結局のらりくらりと話を逸らし続け、何も語らなかったコヨーテが忌々しい。食えない男だ。

 頭が混乱しそうだ。
 息をつき、穏やかに師匠の手をほどいて、シェリルは立ち上がった。
 論理的に考えよう。
 指輪はある高貴な人間の元から盗まれた。
 盗んだ指輪を、組織を裏切って中継ぎの男が、別の人間に渡す。その先にいた男爵は、単純に考えれば、赤毛の男の組織と対立している。
 彼は家屋敷を引き払ったのは、シェリルたちから指輪を受け取ってすぐのことだ。男爵はかなり以前──シェリルたちが騎士から仕事を受ける前から、指輪の素性を知っていたはずだ。指輪運びの本当の依頼人は、騎士ではなく、男爵と考えるのが妥当だろう。彼が騎士とシェリルたちを指輪運びの中継ぎに使ったのだ。
 その高価な指輪を男爵はどうしたのか。
 単純に富を独り占めにしたとは考えにくい。シェリルが知る限り、男爵家の暮らしは質素で、金に困っている様子もない。男爵自身、欲深い方ではないように見える。第一、欲の為に姿をくらました男爵の息子を、公正を重んじる魔術師ギルドが匿う訳はない。
 男爵は何か目的を持って姿を消し、ギルドはそれを容認あるいは協力した上で、息子であるアシュケナジー師を匿っているのだろう。
 もう一つの謎は、騎士が殺されていたことだ。赤毛の男もそれには関与していないらしい。それなら誰が殺したのか。秘密の漏洩を恐れた男爵が手を下したのか、そうでなければ、全く別の勢力がいるということだ。
 アシュケナジー師に会うことができれば、男爵の居所あるいは行き先は分かりそうだが、会えるあてはない。
 コヨーテに頼むか。魔術の知識のある彼なら、魔術師ギルドの中に忍び込むこともできるかもしれない。
 しかし考え直した。あまりに危険だ。彼が万一見つかれば、ギルドは侵入者には容赦しないだろうし、うまく忍び込んだとして、あんな得体の知れない人間を、重要な知識の宝庫であるギルド内に近づけるのも、それはそれで恐ろしい。
 まず指輪だ。
「師匠様」表情の変化を見逃すまいと目を凝らし、シェリルは師に問い掛けた。「とても価値のある指輪と聞いて、思いつく物はありますか?」
 立ち上がっているシェリルから目を逸らし、彼女は考え込むような表情を見せた。
「そうね……」
 呟く師の表情に偽りが混じっているのか。既に師は指輪のことを知っているのか。分からない。
「有名なものはいくつもあるわ。王家に伝わる『奇跡の石』は貴重な指輪だし、ギルドに保管しているものを含めれば、きりがないわね。死を呼ぶ純金の指輪、悪魔がもたらしたルビー、水の精霊を封じた指輪……」
 師がいくつか指輪の名前と簡単な経歴を披露する間、シェリルは思い切って心を固めた。どこかで誰かにある程度手の内を明かさなければ、何も進まない。例え多少の危険を伴ってもだ。
「その、『奇跡の石』や、ギルドの中にある指輪が盗まれたという話は聞きませんか?」
 再び屈みこんで、座っている師匠と視線を合わせて尋ねる。
 僅かに彼女の灰色の瞳が揺れた気がする。いや、気のせいかもしれない。
 盗まれたのは、国宝とも言える『奇跡の石』とは考えられるだろうか。
 赤毛の男やコヨーテの話では、指輪は相当な場所から盗まれた、かなり高価なものであるらしい。丁度国王が持つ『奇跡の石』に当てはまる。
 しかしそれなら、国王に忠実である男爵が指輪を手に入れた後、何故王に返却しないのだろう。いくら赤毛の男の部下が宮廷に入り込んでいるとはいっても、直接国王に謁見できる男爵なら、連中の手に渡すことなく、王に指輪を返せるはずだ。
 凄まじい速度でそこまで考えた時、師の静かな声が響いた。
「『奇跡の石』が盗まれたという話は聞かないわね。もし、そんなことがあるなら、王は魔術師ギルドに捜索を頼んでくるはずよ」
 シェリルが返事をしようとするのを遮り、彼女は早口で続けた。
「シェリル、聞いて。他言は無用よ。アシュケナジー師は、ここのところ、図書館で何か調べていたらしいわ。でも、誰もそれが何かを知らないの。私も彼とは交流がある方だけど、私に何か直接尋ねてくることはなかった。……恐らく彼は、独力でそれを探し当てたのだと思うわ。それはとても重要なことだったはずよ」
「アシュケナジー師はそれを、評議会に相談して、結果として彼が匿われることになったのですね」
「恐らくね」
 順当に考えれば、アシュケナジー師は、父である男爵が手に入れた指輪について調べていたのだろう。
 家屋敷を処分したことからして、男爵は自らの手で姿を消したのだと思っていたが、逃げようとして既に、赤毛の男とも違う別の勢力によって連れ去られた、あるいは始末された可能性もある。息子である師だけ、辛うじて評議会によって匿われているのかもしれない。
 その勢力とは、他ならぬ指輪の持ち主である可能性が最も高い。そうだとすれば、騎士を殺したのも、彼らの仕業だろう。人殺しも厭わない危険な人物、あるいは組織から、指輪は盗み出されたのだ。
「ありがとうございます」
 シェリルは師に礼を述べて立ち上がった。アシュケナジー師が図書館で独力で指輪の正体を調べ上げたのだ。自分にだってできるかもしれない。
「私から話せるのは、今はこれぐらいだわ」
 愛弟子を眩しそうに見上げ、師は微笑んだ。どこか淋しそうにも見える。
「危ないことに首を突っ込まないで。……とは言っても、そうもいかないのでしょうね。私としては、あなたの無事の為にギルドを信じて頼って欲しいけれど、あなたにはあなたの大切なものがあるものね」
 ギルドを出てから、彼女は時々そんな眼差しでシェリルを見つめることがあった。一人前と認められているのだという誇りと共に、一方でいつまでも彼女を頼れないという、微かに高揚するような不安も覚えた。
「少し考えます」
 短く答えたシェリルに、師は穏やかに頷いてみせた。
「そうなさい。迷っても考え抜いて、その時に最善と思われる選択をしなさい。あなたがどんな判断をしようとも、私はいつでもあなたの幸せを祈っているわ」
 もう大きく育ったシェリルは、師匠の腕に包まれて保護されているわけにいかない。
 非力な少女に過ぎない彼女は、独りで何もかも背負うことはできないが、誰かに頼るにしても、頼るべき人間もシェリル自身が選ばなければならない。
 それでも師が彼女を思いやるその心の一部は、永久に彼女と共にある。
 絶対的な味方である生身の人間などいはしない。しかし師の心の一部が常に寄り添ってくれている。世の人はそれを愛と呼ぶのだろうか。
 押し寄せてくる孤独をほんのひととき、忘れさせてくれるもの。酒よりも遥かに浅い、花の香りのような儚い酩酊に導くもの。
 師の愛の馨しさに、一瞬だけ孤独も不安も忘れた。シェリルは胸に満ちた温かい感情を返すように、師匠に微笑み返す。
「ありがとうございます」
「困ったらまたおいでなさい」
 もはや師の元は帰る場所ではないが、そう言ってくれる人がこの世界のどこかにいるというだけで、ひ弱な心がなんと落ち着くことか。師の愛はいつもそうだ。縋って守られていないと不安になるようなものではなく、それを糧に外に飛び出していけるような力をくれる。それは師が彼女を愛しながらも依存を許さず、そして師もまた弟子を愛することに依存していないからだろう。
 彼女の弟子であることを心から誇りながら、シェリルは部屋の出口に向かった。

 後ろ手に扉を閉めようとして、打たれたように振り返える。何故だかもう二度と師に会えないような気がした。
 室内にいる師は、既に再び薬草をすり潰す作業に没頭し始めたらしく、俯いた彼女の美しい白髪が見える。出口で振り向いたシェリルに気づく様子も無かった。そのことに彼女は非常に安堵した。
 気のせいだ。師はいつでもここにいるし、シェリルもまたいつでもここに来ることができる。
 師に教えられた通り、静かに扉を閉めた。

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~ Comment ~

 

こんばんは!
最新話読了しました。
不穏な空気が流れていますね。
マライア達だけではなく、師匠の命も危ない?
第五話の冒頭の会話が、今生の別れのような感じがしていましたが、もしかしてコヨーテ君以外に彼女の身内はいなくなる…?皆さん冥府へ直行便♪と言った感じなのですが。
気のせい?

続きも楽しみにしております!フライングしないようにしなければっ(汗

RE:可芳さん 

こんにちは~~!
読了ありがとうございます&お返事遅れてごめんなさいm(_ _)m
なんか、一時期「うっしゃ、遊ぶぞ」と思ったんですが、がけ崩れのように再び…。
またもやカロリーメイト&豆乳生活に戻ってます(泣)

不吉な感じで始まった五話ですが…。
コヨーテ君以外に親しい人がいなくなったら悲しいですねえ…。元々知り合いが少ないのに。
シリアスなお話ですが、アホ二人なんで、相変わらず要所要所でアホなやりとりはありますね。

ちゃっちゃか推敲終えて、ちゃっちゃか続きを更新したいと思います!
…ちゃっちゃか…仕事も…。うう。
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