FC2ブログ

ココナッツ図書館 夜間書庫

魔女とコヨーテ」
第一話 嫁入り

第一話: 嫁入り 2

2009.02.22  *Edit 

 ずんぐりして冴えない公子レナードが話したところによれば、手段を選ばない辺境伯の脅威は、公爵家も感じているらしい。
「婚約者であるフィリス様お一人を、この薄暗い森を通過させて呼びつけるなどとは、私には考えられません。何度も父に、伯爵も供においでいただけるよう、許可を与えて欲しいと頼んだのですが、面子が立たないと断られてしまいました」
 お互いにはにかみながら簡単な挨拶を交わした後、彼女に椅子を勧め、自分は膝をついたままで、小柄で小太りのレナードは話し続けた。
「致し方ありませんわ。他国の領主をそう気軽にご自分の領地に招くわけにはいきませんもの。父もそう長く領地を留守にはしていられませんし」
 柔らかく微笑みながら彼女がそう答えると、レナードは目を細めた。元々目が細いので、目をつぶってしまったように見える。
「あなたは勇敢な方です。女性の身で、この蛮族に収められた領地を抜けようとお考えとは。──しかし私はどうしてもご心配で、父の許可を得て、あなたをお迎えにあがったのです」
 非常に内向的に見える外見とは裏腹に、婚約者に対して勇敢な気遣いを見せるレナードに、彼女は小さな感動を覚えた。
 レナードも供の者を数人連れているらしいが、この森の中の古びた巡礼路を少人数で抜けるのは、男でも恐ろしいだろう。追いはぎや辺境伯の兵だけでなく、昼なお暗い森には、人外の獣や幽霊がいてもおかしくない、薄気味悪い雰囲気がある。 
 彼女はレナードに向かって花開くように笑ってみせた。
 しかし小柄でころころと太った公子は、人の好い笑みを返しただけで、彼女の手の甲や服の裾に口づけを請うことはなかった。
 やはり女性と縁が少なく、野暮ったいのかと彼女は残念に思った。


 教会では、女性の巡礼者は通常、離れの小屋で食事と寝泊りをすることになっているらしい。
 しかし神父は公子からの多額の寄進を、神への感謝と共に受け取る代わりに、公子と婚約者が同席して夕食を取ることを許可した。
 互いの供の者も同席した、政略結婚の婚約者同士の夕食は、しかしあまり話が弾まなかった。レナードはあまり口数が多くなく、話も楽しいとは言い難かった。
 教養ある彼女が既に知っているような、公爵領の歴史や文化などについて話し続けたレナードは、伯爵令嬢がこれから嫁ぐ、公爵一家の話などはしなかった。彼女を褒めるようなことも口にすることはなかった。
 迎えにきてくれたと知った時には、感動した彼女も、やがて退屈してしまった。
 食事を黙々と取る公子を見つめる。
 伯爵令嬢の婚約者は、彼女の視線に気づくことなく、温かい煮込み料理に息を吹きかけて冷ましていた。
 歴史古い伯爵領のあたりでは、下品とされるその仕草と、すぼめた彼の厚めの唇に、どこか拭えない生理的嫌悪を感じ、彼女はいささか食欲が衰える気すらした。
 簡素な夕食を終え、一同は寝室に引き下がった。
 神父は公子と伯爵令嬢には、離れの個室を与えてくれた。無論、別室である。
 木造りの簡素な寝台に横たわりながら、彼女は風呂に入って身を清めたいと思った。旅に出てから、風呂には入っていない。森の中の教会や巡礼宿には、贅沢な風呂を持っているところは無い。二日前に小川で水浴びをしたきりだ。
 明日も川が見つかれば、水浴びをしようと考えていると、扉がこつこつと叩かれた。

 こんな夜更けに誰だろう。連れならば、外から声をかけるはずだ。
 彼女は不審に思いながらも、寝台から起き上がった。
「どなたですか?」
 粗末な木の扉越しに誰何すると、思いがけない声が返ってきた。
「レナードです。夜分に大変申し訳ございません。失礼なのは承知ですが、ぜひ内密にお話ししたい件がございます」
 彼女の心臓は急速に鼓動を早めた。
 婚約者といえども、この時間に男性を寝室に招き入れるのは、上流階級では考えられない話だ。断るべきだろう。
 しかし扉の外の声には緊迫した響きがあった。
 レナードも失礼を承知で、この時間に訪ねてくるには、それなりの理由があるのかもしれない。
 彼女は自分を見下ろして、服を直し、外套を羽織って扉を開けた。
 顎に脂肪がついたレナードの顔が見える。彼は小さな燭台を手にしていた。
「夜遅くに大変申し訳ございません。実は、父と辺境伯との間で内密のやりとりがあったようなのです。供の者に聞かれては都合が悪いので、こうして密かにお伺いしました」
 彼女の体に緊張が走った。
 伯爵と犬猿の仲である辺境伯と、これから姻戚を結ぶ公爵との間の密談。伯爵家に取っては、あまりいい話ではない予感がする。現在辺境伯領にいる彼女の身に危険を及ぼすような話かもしれない。
「……中に入れていただいてよろしいでしょうか? 他の人間に聞かれては困りますので」
「どうぞ」
 彼女は扉を広く開き、公子を招きいれて、扉を閉めた。
 レナードは寝台脇の小さな机に燭台を置くと、彼女の方を振り返る。
 彼女は、その表情が先刻の憂鬱なものとは一変しているのを、見て取った。
 突然伸ばされた腕を、彼女は後ずさってかわした。
「どうされたのですか?」
 後退しながら、それでもまだ礼儀を保ちつつ、彼女は尋ねた。
 しかし公子の方は、もはや取り繕うものは無いようだ。欲望を剥き出し、下劣な程に顔を歪ませて、彼女に歩み寄る。
「既に婚約をした身です。一緒に寝ても構わないでしょう」
 構わないわけはない。
「レナード様……私たち、まだ結婚したわけではありませんわ」 
 恐怖よりもむしろ嫌悪から、彼女の声は震えた。
「同じことです」
 再びレナードが彼女の腕に手を伸ばす。それを反射的に振り払い、彼女は咄嗟に背を向けて、扉を開けると廊下に飛び出した。廊下に出れば、互いの供の者がいる部屋がある。
 廊下は暗闇に包まれていた。
 僅かに頭上の小窓から、月か星の明かりが差し込んでいたが、足元すら定かではない。廊下を不気味に照らし出しているに過ぎなかった。
「誰か!」彼女は大声で自分たちの護衛を呼んだ。「助けて!」
 しかしすぐ隣にいるはずの、彼女の連れは誰も出てこなかった。
「無駄ですよ」
 室内からぞっとするほど冷えた男の声が響いた。食事中にぼそぼそと甲高い声で喋っていた男と同じ人間だとは思えない。
「私の供も、あなたのお連れも、神父様がうまく言いくるめて、本館に既に移っていらっしゃいます。離れには私とあなたしかいません」
 なんてことだろう。迂闊に扉を開けるのではなかった。
 離れの入り口はひとつしかない。さらに不注意なことに、彼女は廊下を建物の奥に向かって逃げてしまった。
 行き止まりの壁まで追い詰められる。
 彼女は何とかその隙間を通って出口に向かいたかったが、狭い廊下をレナードの体が完全に塞ぐ形になった。
 
 屈辱と怒りを感じた。
 婚約者であっても、結婚前に肉体関係を結ぶようなことは、貴族たちの間ではまず考えられない。
 しかも、関係があった後に、フィリスが公爵に面会し、万一気に入られずに、婚約が破棄されてしまったら、フィリスは未婚のまま傷物ということになってしまう。極めて不名誉なことだ。
 それが力がある公爵家の子息だというだけで、許されると思っているのか。
「どうしました? もう逃げないのですか?」
 男の影は彼女の目の前まで来ると、肩を掴んだ。薄い服の上から、脂肪がたっぷり乗った短い指の感触に、怖気がした。
「どうせあなたの家柄と容姿では、私の家以外に嫁ぎ先などないでしょう。逆らわない方が、お父上の為ですよ」
 言うなり、レナードは彼女の小柄な体を抱き締め、唇を寄せた。慌てて顔をそむけた左頬に、レナードのぬるい唇が押し当てられる。
 彼女は悲鳴をあげて、レナードを振りほどこうとするが、非力な彼女では、小男の体を動かすことすらできなかった。
 濡れた生臭い吐息が顔にかかり、今度こそ唇に男のそれが押しつけられた。唾液の匂いと軟弱な感触に、吐き気がしそうだ。彼女に取って、人生最初の口づけは、甘くも苦くもなく、ただ気色悪かった。
 彼女は必死で口を閉じたが、レナードは唇を押し開き、舌をこじ入れてきた。歯を食いしばると、顎に手がかけられ、口を開かされる。忍び込んできた男の舌は、まるで得体の知れない怪物のようだ。
 心底嫌だった。
 足で蹴りつけてやりたいと思ったが、あまり見苦しい抵抗をして、仮にも公子である彼をあまり怒らせるわけにもいかない。
 自分で選んだことではあったが、己の立場の惨めさに、涙が出そうになった。
 レナードはさらにきつく彼女を抱き寄せる。体が密着し、ふくよかな胸が挟まれて潰れる。レナードにその感触を楽しませるのが悔しかった。
 男の手が背中から尻に下りてきた。
「やめて……やめて下さい!」
 あまりの無礼さに、彼女は大声をあげ、レナードの体を押し返した。このままでは、本当にこの場でこの男のものにされてしまう。
 しかし相変わらず男の体を突き放すことはできなかった。彼女は半ば恐慌し、夢中で男の足を蹴りつけた。
 男は小さな声をあげ、一歩下がる。彼女は男から離れようとしたが、すぐに背中が壁にぶつかった。そう、ここは行き止まりだった。
 暗がりの中、レナードの表情までは分からない。しかし彼の怒りは空気を経て伝わってきた。
 言葉も無く、男が右手を振り上げる。小窓からの僅かな明かりに、その右手の先が光った。いつの間にか短剣が握られている。見下げていた家の女に拒絶されて逆上したのか。刃物をちらつかせて、言うことをきかせようとしているのか。
 だが黙って死ねない。
 彼女も外套の下に隠し下げた、護身用の短剣を抜いた。全てを台無しにしてでも、こんな男に殺されるのは御免だ。

「やめないか」
 男の声が響くと同時に、レナードの影が後ろ向きに倒れた。その後ろに、いつの間にか別の人影があった。
 彼女が事態を把握できない内に、廊下の向こうに明かりが見えた。ランプを持ったもう一人の人間が、離れの入り口から入ってきたようだった。
 明かりを持った人物がこちらに近寄るにつれ、彼女の目の前の様子が分かる。
 レナードは無様に尻餅をつき、その背を外套をかぶった男が後ろから羽交い絞めにしていた。本館に移動してしまった護衛が戻ってきたのかと思ったが、どちらの男にも見覚えはない。
「放せ! 貴様、僕を誰だと思っている……!」
 床に座り込んだまま押さえつけられながら、レナードはわめいた。まるで子供だ。
 しかし、その言葉を聞く限り、男二人は、レナードの連れの者でもないのだろう。
 一体誰なのか。とりあえずの危機は脱したが、彼女は男たちの正体が分かるまで、短剣を握り締めていた。
「ほう。どちら様でしょうか」
 レナードを押さえつけている男が、からかうように言った。
「公爵家の三男、レナードだぞ!」
「ご冗談を」
 男はレナードの言葉を一笑に附すと、彼を無理矢理立ち上がらせ、背後から追いついてきた体格のいい男に腕をつかませた。レナードと交換するように男からランプを受け取る。
 屈強な男は、そのままレナードの体を廊下の奥に引き摺っていき、建物から出て行った。
「危ないところでした。お怪我はありませんか?」
 ランプを手に持ち、男は彼女の目の前に歩み寄った。冷たい暗闇の中、温かい明かりに包まれただけで胸の奥まで安堵が満ちる。
「……大丈夫です」
 気丈にそう答えた瞬間、瞳から涙が溢れ出した。
 恩人とはいえ、見知らぬ男の前で涙を見せたくない。彼女はゆっくり袖で涙を拭い、唇を噛んで嗚咽をこらえた。
「さぞ恐ろしかったでしょう。泣いてもいいのですよ」
 男の優しげな言葉に、彼女は反射的に首を振った。   
「いいえ、大丈夫です。……ありがとうございました」
 まだ微かに震える声で礼を言うと、男は微笑んだ。
「なんて気丈で可愛らしい方だ。間に合って本当によかった」
 男は外套のフードを取り払い、膝をついて屈んだ。
 彼女を見上げる色白の顔は、まだ若い。二十歳前後に見える。
 男はその姿勢のまま、彼女の粗末な夜着の裾を取って、口づけした。その仕草は極めて優雅だった。
 偶然教会に泊まり合わせた、旅の貴公子だろうか。衝撃からやや覚めた彼女は、青年の正体を訝った。
「助けていただいて、本当にありがとうございます。あの、あなたは……?」
 彼は服の裾から唇を離し、改めて深く頭を下げた。
「申し遅れました。伯爵令嬢フィリス様とご婚約の光栄に預かりました、公爵家の第三子、レナードです」

 彼女の頭の中は、一瞬白紙になってしまった。
 彼女に襲い掛かり、強引に口づけをした男はレナードと名乗った。そしてその危機を助けてくれた男も同じ名を名乗った。
「それでは、彼は……?」
 背筋が冷たくなるのを覚えながら、彼女が問うと、若者はそれを継ぐように、厳しい顔で言った。
「無論、偽者です。私の名を騙り、あなたを狙った、辺境伯が放った暗殺者でしょう」
 彼女は飛び上がらんばかりに驚いた。
 偽のレナードが短剣を抜いたのは、彼を拒絶した彼女に激高したのではなく、最初から彼女を始末する気だったのだ。
 本当に危機一髪だった。
 腰から力が抜けそうになり、背後の壁に寄りかかった彼女を、立ち上がった公子が腕を取って支えてくれた。
「辺境伯の元に忍び込ませている者から、暗殺者が雇われたという話を聞き、いてもたってもいられずに、供を連れてお迎えにあがったのです。ご拝謁が遅くなりまして申し訳ございません」
「いいえ、とんでもないことです。本当にありがとうございました……」
 婚約者としては、もう少し気のきいたことを言うべきなのだろうが、胸が詰まって言葉が出ない。 
「それこそとんでもないことです。未来の妻をお助けするのは、当然のことです」
 青年の穏やかな微笑みから目が逸らせなかった。
 その時に生まれた温かく甘い感情は、同時に彼女の胸を虚しく焼き焦がして、爛れさせた。
 彼女がこの青年の妻になることはないからだ。

BackNext

ネット小説ランキング>【R18部門】>魔女とコヨーテに投票
 ↑ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。


登録させていただいているサイト様
「山間の城の物語」に投票
 ↑現在連載中の「山間の城の物語」が気に入ったら、クリックして投票してください。
「乙女の裏路地」へ 「にほんブログ村 小説ブログ」へ
fc2ブログランキングへ投票 「十八禁恋愛私花集」へ
*Edit TB(0) | CO(0)

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


⇒ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 ◆Home  ◆Novel List  ◆All  ◆通常ブログ画面  ▲PageTop