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魔女とコヨーテ」
第五話 山の端に陽が沈むまでに

第五話: 山の端に陽が沈むまでに 17

2009.08.16  *Edit 


  *****


 空が恐ろしいほど赤かった。天空全体に朱色が広がり、西に広がる雲は、燃え尽きる太陽の光を照り返して、血のように真紅に染まっている。
 同じ空でも、日によって見せる表情は全く違う。こんな狂ったように赤く染まる空を見たのは久しぶりだ。まるで世界の終わりのようだと思った。この赤い空は太陽の最後の輝きであり、後は永遠に夜が続くのではないか。
 シェリルは目を閉じ、目の前の背中に強くしがみついて、頬を寄せた。彼の肩甲骨の間にすっぽりと自分の頭が納まると、何故だか安心する。
「だいじょぶ? もう少しで川だから」
 コヨーテの声が、耳を押し付けた背中から直接響いてくる。空気を隔てずに伝わってくるその声は、今までに知らなかったような深い響きを持っていた。それに酔ったまま、彼女は呟く。
「うん、大丈夫」
「やばかったら言ってよ。そのままゲロ吐かないでね」
「……」
 必死にこらえて忘れようとしていた吐き気が、僅かな怒りと共にぶり返してきた。むしろ背中に向かって吐きかけてやろうかと思ったが、彼のことだ。実際にそんなことをすれば、容赦なくシェリルを蹴落とすかもしれない。
 速歩の馬から伝わってくる振動は、彼女の体の平衡感覚を揺さぶっていたが、どうにかこのぐらいの速さなら我慢ができるようになった。 
 しかし予定よりやはり遅れてしまった。今夜町に入るのは無理だろう。

 今朝ほど、シェリルが男爵から借りた、男爵夫人のスカーフを使い、魔術で彼女の居所を探り当てた。
 方角と距離から考えて、伯爵家より三日ほど歩いた、領内の小さな町にいるようだ。馬を使えば一日で着けるはずだったが、シェリルの馬酔いのせいで、やはりそれほど距離を稼げなかった。町までまだ距離はあるが、日が暮れてしまおうとしている。
 一刻も早く男爵夫人にあって、指輪を取り戻したい。
「ねえ、もう少し進んでみない? 今日中に町に入れないかな」
 今夜町に入るのを諦め、早々と川近くの野営向きの場所で馬の足を緩めたコヨーテにそう告げたが、彼は首を振った。
「気持ちは分かるけど、もうすぐ町の門も閉じる。無理に馬を走らせたって、町の外で寝るだけだよ。それより早く寝て、明日早くに出発しよう」
 街道沿いの小川の側、背の高い木が疎らに立つ辺りでコヨーテは馬を止め、身軽に地面に下りた。鐙に足が届かず、いまだにおっかなびっくり馬の背から下りようとしているシェリルの手を取る。
「つかまって」
 彼女の両手を自分の肩に回し、背中を抱きかかえるようにして、馬から下ろしてくれる。体格が屈強でもない彼は、小柄とはいえ、シェリルの全体重を支える時に、多少足元が危うくなる。しかしその一瞬こそ、コヨーテが今までにないほど頼もしく感じられた。
「ごめんね、重くて」
「ほんとだよ。もう少しお尻ちっちゃくしたら?」
 素直に言ったつもりなのに、憎たらく返され、彼女は渋面になった。彼は馬を手近な木に繋ぎ、鞍を外してやりながら続けた。
「それにね、重いのにありがとうって言われた方が嬉しいんだけど」
「だって、どう言うかはあたしの自由じゃん」
 むっつりと言い返したものの、確かに彼の言う通り、ありがとうと言うべきだったかもと思い始めていた。
「君のお尻が重いから馬も疲れてるんじゃないの。可哀相に」
 改めて礼を言おうとした矢先に、コヨーテが背を向けて馬の首を撫でながらそんなことを呟くものだから、感謝の気持ちもすっかり失せた。むしろ背中を蹴り飛ばしてやりたい。
「そんなことないよ。そいつ、昨日伯爵んちでたくさん飼い葉食べたでしょ」
「君ね、そういう態度、馬にも伝わるよ。毎日でっかいお尻乗っけてもらってるのに、一度も撫でてやったことないでしょ。二人乗りで走り続けだから、こいつマジで疲れてるよ」
 コヨーテに言われ、彼が馬にくくりつけた二人の荷物を外している間に、シェリルは恐る恐る馬に近づいた。馴染みが薄い動物なので、どうも怖い。
 だがそっと鬣を撫でてやると、馬はおとなしくしている。コヨーテを真似て首筋をさすってやると、僅かに頭を動かしたが、不快そうではなかった。
「可愛い……」
「でしょ?」シェリルの呟きに、立ち上がったコヨーテが答える。「たまにはそうやって撫でて話しかけてやってよ」
「よしよし、今日もありがとう、アルフォンス」
「何? アルフォンスって」
「馬の名前。今つけたの」
「……ふーん」
 馬はアルフォンスで、僕はカバなんだ、などと背後で彼が呟いていたが、穏やかにシェリルを見つめる馬にすっかり夢中になっていた彼女には聞こえていなかった。  
「ほらほら、暗くなるから、先に水浴びしといで。火は焚いておくから」
 荷物から取り出した石鹸を手渡され、コヨーテに追い立てられるようにして、シェリルは近くを穏やかに流れる小川に向かった。
 馬を走らせながらも、彼はしきりに水浴びがしたいと言い続けてきたのだ。王都を出て三日経つ。シェリルはその前、赤毛の男に拉致される前から風呂に入っていないので、そろそろ髪や皮脂の匂いが気にはなってきていた。昨日伯爵に頼んで風呂を借りる手もあったが、客人の身分でそれを言い出すのは、少々気が引けた。伯爵領のある辺りでは、そう頻繁に入浴はしない。
 一応、コヨーテの方を気にしながら、服を脱ぎ捨てる。今日はまた妙に暖かい。昼時などは汗ばむほどだった。
 太陽は既にその姿を街道の向こうの森の彼方に半ばまで隠し、一面真紅に染まっていた空も、夜の冷たい青さを含んだ紫色がまだらに混じり始めている。しかし風も無く、空気はまだしっとりと暖かかった。
 一跨ぎにできそうな、ささやかな流れに足を浸し、体を沈める。軽く指先で肩をこすると、垢がぼろぼろと出た。確かに汚れている。
 不思議なもので、そう気づくと今まで気にならなかったところまで汚いような気がしてくる。よくこんな体で毎晩コヨーテと肌を重ねていたものだ。昨日会った伯爵も、匂いが気にならなかっただろうか。
 シェリルはコヨーテから借りた石鹸で丹念に肌と髪を洗い、下着を洗濯した。急ぎの旅立ちだったので、石鹸など用意する時間は無かったのだが、周到なコヨーテはしっかりと手に入れておいたらしい。
 どこで買ったのか、泡立てると薄荷の香りがしんなりと立ち上がった。わざわざ香り付けしているらしい。動物の脂を使った安い石鹸は臭いので、シェリルはいつも植物の油を使って海辺で作られる、もう少しいい石鹸を買っている。しかし香りをつけたものは、さらに高価だ。
 もしかすると、コヨーテの金の使い道は、こうした香りのついた石鹸や、卵を使った髪の艶出しなど、貴婦人顔負けの高級美容方面なのだろうか。ふと考えると笑いがこみ上げた。
 離れたところで、集めてきた薪を積んで火を起こしている彼を眺める。野営の準備から馬の扱いまで、彼は何でも一通りのことができる。シェリルも火の起こし方くらいは知っているが、料理も繕い物も苦手だ。馬にも乗れないし、自分の身を守るのも容易ではない。
 もし彼がいなければ、あるいは赤毛の男が別の人間を見張りにつけていたら、こんなにすぐに指輪の行方が分かっただろうか。何より気持ちに余裕があるのは、彼が共にいるからだという理由は決して小さくないはずだ。
 結局彼に頼っている。
 彼女の視線に気づかず、立ち働いているコヨーテを見ていると、俄かに愛しさがこみ上げてきた。それは彼女が最近彼に対して感じるようになった、触れたいという欲情が混じらない気持ちだ。ただ温かく優しく切ないその気持ちを、何と呼ぶのか知らなかった。愛か、恋か。そんな言葉ではくくれないような気がする。
 澄んだ流れに視線を落とす。小さな魚が何匹か通り過ぎていった。

  
 夕食は伯爵が持たせてくれたチーズとパン、ハムに、新鮮な焼き魚がついた。
 水浴びの際に、小魚を捕まえようと四苦八苦したが、結局シェリルは一匹も捕まえられなかった。しかしシェリルと交替で川に浸かったコヨーテは、幾分時間はかけたものの、三匹ほど魚を素手で捕まえてきた。
「あなたって器用だよね。何やっても食べていけそう」
 人一倍不器用で、魔術の他にはこれと言って取り柄の無いシェリルは、やっかみ混じりに彼に向かって呟いた。
「そう? そんなことないけど」
 早々と食事を終え、伯爵家から分けてもらった葡萄酒をちびちびと飲んでいた彼は、穏やかに笑った。
「だって、できないことないじゃん。魚を素手で取れるし、涼しい顔で嘘つけるし、女装もできるし」
「……その辺、褒められてる気がしないなー」
「でも、馬に乗れるし、目くらましだって使えるし、リュートだって弾けるでしょ」
「まあ、一通りできるよ。でもだからって、それで食べていけるほどの技術は無いよ。逆に言えば、何やったって半端なんだよ」
 コヨーテの口調に、どこか自嘲するような響きが混ざった。謙遜しているのではなく、本当にそう思っているのだろうか。
「いいな。あたしも才能持って生まれてきたかったな。何も取り柄が無いんだもん」
 シェリルは普段と同じく、酒ではなく水しか飲んでいなかった。だから酔っていたわけではない。ただ、焚き火に当てられて温まった、コヨーテが持っている皮の水筒から、葡萄酒の香りが漂ってきて、微かに鼻の奥に入り込んでくる。
「誰だってそんなもんじゃない? 僕だって大した取り柄なんかないよ」
「でも、昔あなたが一緒にいた踊り子みたいに、あんな風に綺麗だったら、こんなむきになって努力して、それでも足りなくて、誰かに頼って生きていく必要なんか無いじゃない」
 二年前、赤い屋根が美しい谷の村で、コヨーテと共に現れた踊り子のことを、今になって何故思い出したのか、シェリルにも分からなかった。
 口に出した途端、後悔する。あの蒸し暑い宿屋の中、シェリルの背後で、美しい踊り子と彼が交わっている声を延々と聞かされたことは、忘れられないだろう。
「それ、マルタのこと言ってるの? あの子だって、誰かに頼りっぱなしだったじゃない。それこそ独りじゃ生きていけない女の子だったよ」
「けど、助けてくれる人が一杯いたよ。あんな美人だったら、何もしなくても男の人がこぞって助けてくれるけど、私みたいなちんちくりんじゃ、何か一生懸命やらないと、誰も助けてもくれない……」
 突然溢れてきた他人に対する妬みを自分で制御できない。一体何がこんなに不満なのだろう。彼に何を伝えたくて、こんな話をしているのか、自分で分からなかった。
 予想通り、コヨーテは呆れ顔で彼女を見つめていた。
「私みたいなって言い方、やめなよ。……それに、君から見たら、マルタはへらへら笑って、男に媚売って、それだけで生きてるように見えるかもしれないけど、あの子はあの子で、君にはできないような努力してたんだよ。昼から夕方までは踊りの練習して、食べ物だって、太りやすいものとか肌が汚くなるようなものは避けてたし」
 シェリルは唇を噛んだまま、彼の言葉を聞いていた。それは事実なのだろう。しかし今聞きたいのは、そんな話ではなかった。彼は全く悪くないのは分かっているが、不機嫌に言い返す。
「それだって、生まれ持っての美貌があったからでしょ。あたしじゃ、いくら努力したって、あんな風にはならないもん」
「そりゃ、手足の長さだの、肌の色だのはどうにもならないけどね。……確かに手足が短くてお尻が大きい君には、踊り子は無理かもね」
 このままでは喧嘩になると思ったのか、彼は口調を変えて冗談混じりに言い、僅かに笑顔を見せた。しかし笑い返す気にもならず、返事もしなかった。
「でも君だって魔術が使えるじゃない。何ヶ国語も読めるし、喋れる。それだって取り柄の一つでしょ?」
「だって、それはあたしが一生懸命努力したんだもん。小さな頃から、碌に恋愛も遊びもしないで、眠る時間削って……」
「自分が今できること全部、努力の結果だって思ってる? それはちょっと傲慢じゃない?」
 シェリルを見つめるコヨーテの視線が幾分冷えた。
「君がどう頑張ってもマルタみたいになれないように、彼女が小さな頃からどうやったって、君みたいにはなれなかったと思うよ。全ての努力が実るとは限らないんだ。君には魔術を学ぶ才能があったんだよ。
 もっと言えば、君は手足が自由に動いて、目も見えるし、耳も聞こえる。口もきける。生まれつき、こういうことができない人間もいるんだ。それができるのは、君の努力のおかげ? 違うだろ」
 言い返す言葉も無く、シェリルは焚き火の炎を見つめ続けた。
 確かに彼の言う通りだ。シェリルにできないことは多いが、他人にできないようなこともできる。それが全て努力によるものではない。親から受け継ぎ、生まれ持った才能が、学んだことを吸収させてくれた。
 世の中は公平ではない。他人を羨むより、自分の持っているものに感謝し、活かしていけばいい。
 それは解った。しかし彼女が彼に伝え、彼に返して欲しいことは、そんなことではない。
 黙りこむシェリルに、言い過ぎたと思ったのだろうか、コヨーテはやや口調を和らげて続ける。
「それに僕に言わせれば、何もかも一人でできる必要なんて無いじゃん。君みたいにお友達がいて、助け合っていけるんだったら、それでいいんだし。逆に僕は他人と長く一緒にいられないから、君が羨ましい気もするよ」
 この男に羨ましいなどと、皮肉でも冗談でもなく言われたのは、全く初めてだ。
 しかし胸の奥底に澱んで固まった、劣等感に似たものは、彼の言葉を聞いても全く溶けない。
 自分が渇望しているものが分からず、そばにいる彼に子供のように、思っていることを並べ立てるだけなんて。もどかしさと情けなさに、涙がにじみそうになった。唇を強く噛んでこらえる。この上泣き出して、彼に面倒をかけたくない。
 きっと仲間たちが側にいない不安のまま旅を続けて、情緒不安定になっているのだ。
 しばらくの沈黙の後、彼は腰を上げてシェリルに微笑みかけた。
「ほら、もう寝よ。獣よけの結界と、火が燃え広がらないように術をかけといてよ。それこそ、君にしかできないんだから」
 手早く食事の後片付けをするコヨーテの横顔を見ていて、言いようのない淋しさが押し寄せた。彼の動作は素早くて確実だ。何をするにもおぼつかず、見かねたマライアが手伝ってくれるようなシェリルの動きとは違う。
 だから彼には、他人が手を差し伸べる隙が無い。隣に誰も必要としていない。この場にシェリルがいてもいなくても、彼の動作は全く変わらないのだ。
 呆然と彼を見つめながら、形を成してきた自分の願いを、どうにか噛み潰そうとした。もっと必要として欲しい。側に寄り添うことを許して欲しい。彼は彼女の肉体的渇望に関しては、彼女自身より早く読み取ってしまう。しかしこの骨まで溶けかねないような、心の最も純粋な部分の飢えについては、全く気がつかないようだった。
 何故レナードの扮装をしていた彼が忘れられないのか。分かった気がする。
 公子の姿の彼は、容色も冴えず、知識以外に取り柄の無い、勢いを失った貴族の令嬢を装ったシェリルを、世界でただひとつのかけがえのないもののように扱ってくれた。彼に何も与えられない彼女を愛してくれたように思えた。何が何でも妻にすると言ってくれた。
 ここのところ、彼に対して覚えていた渇望は、とても単純なことだったのだ。彼女が今までに恋した男たちに、当たり前のように望んでいたことで、しかしコヨーテに対しては考えたことが無かったことだ。
 愛して欲しい。
 でも死んでも口に出せない。

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