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魔女とコヨーテ」
第五話 山の端に陽が沈むまでに

第五話: 山の端に陽が沈むまでに 19

2009.08.23  *Edit 

 扉を開けたのは、四十代半ばの巡礼姿の女性だった。彼女は宿の主人の後ろにいるシェリルの姿を認めると、大きく顔を歪めた。
「ああ……神様……」
 首を振りながら、瞳に涙を浮かべる男爵夫人に向かって、シェリルは丁寧に頭を下げる。
「ご無沙汰しております、奥様。ご無事で何よりです」
「まさか、本当にあなたが来るなんて……神のお告げだわ」
 床に膝をつく男爵夫人の様子はただごとではない。シェリルは慌てて戸口に進み出て、屈んで彼女の肩を支えた。
「どうも。あとは我々の方で話があるので、外してもらえませんか」
 シェリルの後ろにいたコヨーテは、部屋まで案内してくれた宿の主人に幾枚か硬貨を渡し、引き取らせた。去り際、彼は好奇心をそそられたように視線を向けてきたが、コヨーテが冷たく一瞥を返すと、すぐに階下に下りていった。
 部屋の中で、シェリルは泣き崩れた夫人をどうにか宥めようとする。
 寝台が二台と、小さな丸椅子が置いてあるだけの、簡素な客室だった。
 寝台の一つには、コヨーテと同い年くらいの若い男が身を起こして、こちらを見ている。腕を痛めたのか、肘を折って肩から布で吊っている。もう一台の方には、十五、六歳の少女が眠っているようだった。男爵の子供たちだろう。
「二、三日前に、あなたがここにやってくる夢を見たのよ。まさか、本当に来るなんて……」
 余程安堵したのだろう。夫人は涙を零しながら、息子と変らない年頃のシェリルの腕に縋りついていた。
 男爵夫人の居所を魔術で探しながら、シェリルは同時に自分の思念を彼女に送り込んでいた。触媒に夫人のスカーフがあったとはいえ、何しろ馴染みの薄い人物だ。うまく念が送れるかどうかは分からなかったが、何度か試みている内に成功したらしい。
 やっと夫人に会えた。
 男爵夫人と子供たちは、やはり伯爵領境にある、小さな町にいた。魔術でおおよその居所は分かるとはいえ、町の中に入ってからは、探すのに少々手間取った。一軒一軒、宿で聞いて回るしかなかったのだ。広場から道を一本奥に入った小奇麗な宿で、やっと見つけ出した。コヨーテと手分けをすればもっと早かっただろうが、二人ともそれを望まなかった。無論、共にいたいからという理由ではない。
 シェリルは顔を覆って嗚咽をこらえる夫人を椅子に腰掛けさせた。立ち上がった男爵の次男が、怪我をしていない方の手でそれを支えて手伝う。かつてシェリルが恋した──時間にして二日ほどだが──、母親似で線の細い男爵子息の顔にも、いくつか痛々しい擦り傷がある。
 男爵に逃がされた後、再び襲撃を受けたのだろうか。寝台に横たわる男爵の娘の方に目をやると、仰向けに眠っている彼女の顔も、頬が腫れ上がっていた。
 夫人にすぐに話を聞くのは難しそうだ。シェリルは男爵子息に向き直ると、挨拶を交わした。
「男爵の使いで参りました」
 短く告げると、彼の表情も安堵に大きく歪んだ。
「父上にお会いしたのか? ご無事だったか?」
「お怪我をされていますが、ご無事です。伯爵に保護されて、今は伯爵のお屋敷にいらっしゃいます。私はあなた方をお迎えに参ったのです」
「そうか。ご無事だったか」
 男爵の次男は、大きく息を吐き出し、片手で額を押さえた。
「男爵から事情は伺いました。あなた方のことをとても案じておられましたよ」
 青年はやや俯いたまま、何度も頷く。母と妹を連れ、旅路の間、ずっと張り詰めていたのだろう。
「よく来てくれた」少しの沈黙の後、男爵の息子は重々しく口を開いた。「私はこの通りで、正直なところ、ここから動く手立てもなかったのだ」
 背後に立っているコヨーテから、無言の催促を感じるが、シェリルは慌てずに、落ち着いた声で告げた。
「何者かに襲われたのですか?」
 若者が頷く。椅子に腰掛けたまま、顔を覆っていた夫人が、弱々しい声を上げた。
「主人と離れ離れになった後、街道でまた盗賊に襲われて……」
 再び語尾が嗚咽に歪んだ母の後を引き取り、男爵子息が話を続けた。
「幸い、隊商が助けに入ってくれて、この町まで連れてきてもらった。しかし、誰かに見張られているようなのだ。昨日、買い物に出た妹が市場の外れで、数人の男に連れ去られようとしたらしい。近くの店の人間が声を上げてくれて、連中は逃げ去ったのだが……」
 隣の寝台で寝込んでいる令嬢に目を向けた。顔の腫れはその時の怪我だろうか。活発な少女で、シェリルたち冒険者にも、非常に興味をそそられていたようだ。もっと小さな頃には、自分も冒険者になると言っては、男爵を呆れさせていた。
「恐ろしくて、外へ出られなかったのよ。お金も無くなってくるし、どうしたらいいか分からなくて……。ああ、でも……あの人が生きていて良かった」
 やっと感情が落ち着いたのか、夫人は涙を拭って顔を上げた。
 シェリルは夫人と子息を交互に見つめ、抑えた声で尋ねた。
「男爵から聞きました。教皇が持っていた、『皇帝の指輪』はまだお持ちですか?」
 夫人は即座に頷いたが、若者は沈黙を保った。
 やっと見つけた。指輪はここにある。
 仲間を救う光を見た気がして、瞳が潤んだ。大きく弾み始める鼓動を抑えて、話を続けた。
「事情を聞いた伯爵が、あなた方と指輪の保護を申し出て下さっています。私と一緒に、一度伯爵のお屋敷に参りましょう」
 夫人は頷き、再び涙を零した。シェリルの知る男爵夫人は、男爵が宮廷に詰めている間に館の留守を守り、穏やかな気質の男爵と比べて、勝ち気な印象を受ける程だった。しかし、襲撃を受け続ける過酷な旅路は、気丈な彼女の神経をすり減らしていたに違いない。

「待ってくれないか」
 立ち上がりかけた夫人を男爵子息の抑えた声が制した。彼はシェリルの背後でおとなしく控えているコヨーテに一瞥をくれ、シェリルに視線を戻した。
「君を疑うわけではないが、君が父上からの使いであるという、証明になるようなものは無いか? 私も母と妹の身を父から預かっている。慎重に行動したいのだ」
 夫人は息子を非難するように見たが、彼は頓着しなかった。おっとりとした長男のアシュケナジー導師より、次男の方にシェリルが惹かれたのは、この疑り深いほど聡いところだった。
 シェリルは男爵から預かった、夫人のスカーフを広げてみせる。夫人は小さな声をあげて、それを受け取った。
「確かに、私が主人に預けていたものだわ」
 美しく染められた綿の布を通して、自らの片割れのことを思い出したのか、彼女はそれを額に押し当てた。すぐに顔を上げて息子を見上げる。彼は小さく頷き返し、シェリルに向き直った。
「失礼した。──父上は別れ際に、必ず山脈を抜けて西へ行くように言っていたので、俄かに戻って来いとおっしゃられるのが、信じられなかったのだ」
「分かります。正直なところ、お父上の本意ではなかったと思います」
 青年に向かって頷きながら続けた。
「しかしアシュケナジー男爵も、お怪我をされた身で、あなた方だけを西に旅立たせるのがご心配だったようです。伯爵の提案もあり、一度お帰りいただくようにとのことでした」
 一度言葉を切り、夫人の目線に合わせて屈んでいた彼女は立ち上がる。
 ほとんど無意識的に、背後にいるコヨーテを振り向きたくなった。だが今、決して男爵子息から視線を逸らしてはいけない。
「それから、指輪をお渡しいただけますか? 敵方に魔術によって探知されているようです。私でしたら、それを防ぐ術をかけることができます」
 道中考え付いた嘘であるが、我ながら説得力があると思う。
 言葉を放ってからの時間が、途方も無く長く感じられる。青年の僅かな瞳の動きが、シェリルを探っているような気がして、体が強張り、熱くなる。
 しかし実際には一瞬の時間だった。彼は目を伏せ、首を振った。
「申し訳ないが、父から責任を持って預かった大切な物だ。いくら君でも預けることはできない。伯爵の家で父に直接お返ししたい」
 彼に信用されなかった落胆が胸に沈んだ。しかし落ち込んでいる場合ではない。
 説得しようかと思ったが、却って疑いを深めかねない。シェリルは頷いた。
「かしこまりました。……術だけでもかけたいのですが、今、出していただけますか?」
 現物を見たい。そしてコヨーテに確認させなければならない。彼女の言葉に青年はためらうような表情を見せた後、小声で言った。
「それは構わないが……彼は誰だ? スタンリーたちはどうしたのだ?」
 ずっと仲間と共に行動していたのだから当然だが、誰しも口を開けばスタンリーはどうしたと訊く。今更ながら、彼がいかに顧客やその他の人間に好印象を与え、信頼されていたか思い知らされた。
「スタンリーは、今は仕事の都合で別行動を取っています。彼はその間、私に協力してくれる方です。信頼できる人です」
 まさか信頼できない人ですとも紹介するわけにもいかない。口の中がこそばゆくなる思いでコヨーテを紹介すると、彼は子息と夫人に丁寧に礼を取った。その美しい洗練された動作は、男爵の家族の警戒を解いたらしい。男爵子息の表情は僅かに緩んだ。
 彼は襟の詰まった服の首元から窮屈そうに手を差し入れ、首から掛けていたらしい細い鎖を引っ張り出した。その先端に銀色の小さな塊がある。

 掌に乗せると、ずしりと重い。魔術師という職業柄、魔よけの力がある銀には馴染みのあるシェリルだが、遥かに稀少で高価な白金には、触れたことさえ、数えるほどしかない。
 想像していたより華奢な作りの指輪は、細工はほとんどなく、貴石も埋め込まれていない。見た目は女性用に見える。しかし内側には古代語の略字で刻印が施されていた。
 『善良なる、至高なる、賢明なる、帝国市民の唯一の司』
 すなわち皇帝だ。
 手が震えた。
 千二百年以上も前に初代の皇帝の為に、当時の教皇が贈った指輪。それから巨大な帝国が滅びるまで、幾人もの皇帝の手を経て、時代を見つめてきた指輪だ。
 指輪自体に魔術的な力など感じなかったが、そこに込められた数多の人々の念を感じた気がして、意識が熱くなる。長い時間を越えてきた物が持つ、独特の純粋な偉大さに圧倒された。涙が浮かぶほどだった。
 そしてこれがあれば、マライアたちは助かる。
 やっと、見つけた。本当に見つけることができた。

 溢れてくる感銘を抑え込み、シェリルはそれに術を施した振りをした。
 彼女が一定の作業を終えると、男爵の次男は、首から下げた鎖を引いて、用心深く指輪を自分の手に取り戻した。シェリルに手渡す間も、鎖を決して首から外そうとはしなかった。
 慎重である。さすがだ。
(素敵……)
 微妙に再燃したときめきに、思わず口元を緩ませるシェリルは、隣に立っている連れの男が、溜め息をこらえた冷めた目を向けていることに気づかない。
 コヨーテと時折会うようになってからも、彼女のこの病気は一向に収まらなかった。彼と一緒に食事をしている時でさえ、近くに見栄えのいい男性が座っていたりすると、そちらにちらちらと視線が向いてしまったりする。
 勘のいい彼は無論それに気づいていて、当初は不機嫌になったりもしたが、最近ではすっかり慣れて、彼女がそわそわしている間、食事を味わうことに専念するようになった。放っておけば落ち着くと学んだのだ。
 シェリルはこの時も、すぐに我に返った。
「探知の術がかかっているかどうかは分かりませんでしたが、かかっていたとしても、少しは分かりづらくなったと思います」
 男爵の息子にまず語り、夫人を振り向いた。
「早速ですが、伯爵家に向けて出発できそうですか? 少しでも早い方がいいと思います」
「明日では駄目かしら? 娘が男たちに襲われた時に……怪我をしているのよ」
 答える夫人の言葉は途中で澱んだ。何か事情があるのだろうかと思ったが、あまりぐずぐずしてはいられない。今日でもう六日目だ。
 しかし言葉に詰まってしまった。伯爵家に滞在している男爵の元に戻るため、彼女たちを急がせる理由が見つからない。
「ここが安全でないなら、少しでも早い方がいいと思いますが……」
 どうにかそれだけ告げると、彼女の後ろから子息が重い口を挟んだ。
「今のところは、宿にいれば安全だ。もう午後も回っているし、明日の出発にしてもらえないだろうか?」
 口を噤むしかなかった。彼にまで頼まれれば、断れる材料がない。それほど男爵令嬢の怪我は重いのだろうか。
「……分かりました。あの、お嬢様のお怪我の具合を看ましょうか?」
「いや、いい」
 シェリルの申し出に、青年は苛立ったように首を鋭く振る。
「ですが、薬草をいくつか持っていますので、治療ができるかもしれません」
「結構だ」
 彼は語調を強めた。親切で言い出したことなので、激しく拒否されると、いささか頭に来る。そうだ、彼のこの短気なところが嫌だったんだなどと、自分の短気は棚に上げ、シェリルは苦々しく考えた。
 しかし感情を高ぶらせたらしく、男爵子息はそのまま吐き捨てるように言った。
「怪我自体は大したことはない。だが男たちに襲われたのだ。今日一日くらい、寝かせておいてやってくれ」
 思わず夫人を見やると、彼女も小さく首を振り、顔を伏せた。彼らの心情を考えれば、それ以上詳しい事情は訊けないが、襲われたというのは、連れ去れようとしたという意味だけでなく、陵辱されたのか、あるいはそれに近い行為が行われたのかもしれない。 
 そうだとすれば、無理に出発させるのも忍びない。焦りをこらえながら、明朝の出発で妥協するしかなかった。

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