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魔女とコヨーテ」
第一話 嫁入り

第一話: 嫁入り 3

2009.02.22  *Edit 

 彼女の名はシェリル。
 伯爵家とは縁もゆかりも無い、金で雇われただけの人間だ。 
 護衛や荷運び、宝探し、怪物退治などを請け負う便利屋──冒険者と呼ばれている。
 シェリルと仲間たちは既に二年の経験を積み、確かな実績と信用から、最近は中流商人や貴族相手の仕事も多かった。
 彼女たちの顧客の一人である男爵は、愛娘の輿入れに頭を悩ませる伯爵の話を聞いた時、令嬢によく似た冒険者がいると告げたのが、ことの発端だった。
 男爵を通じて伯爵に呼び出され、仲間と共に伯爵と面会した時、彼はシェリルを見てしきりに感心していた。
 そのまま令嬢のフィリスと引き合わされた時、シェリルも驚いた。
 確かにフィリスとシェリルはよく似ていた。
 小柄な体格、ふっくらとした体つき、くせのある豊かな黒い髪と同じ色の大きな瞳。小さな耳と口。優しげな丸い顔。瓜二つというほどではなかったが、遠目から見れば、ほとんど分からない。
 姿絵を交換する習慣の無いこの辺りでは、フィリスの外見は言葉で周辺諸侯に伝わっているのみだ。これなら、十分に伯爵令嬢と身代わりとして通用する。
 しかし流れの冒険者風情に、生まれながらにして貴族育ちで、教養高いことを売り物にしているフィリスの代わりが務まるだろうか。不安に思った伯爵は、シェリルにいくつか質問をし、フィリスと議論をさせ、貴族娘の扮装をさせて、食事をともにした。
 結果、全く申し分無かった。
 シェリルは魔術師ギルドで育った。その教育はフィリス以上に高度で専門的だ。貴族の礼儀作法、受け答えから立ち居振る舞いまで、彼女はほぼ完璧にこなしてみせた。フィリスとの王国の歴史についての議論も、留まるところなく話は進んだ。端で聞いている伯爵がついていけないほどであった。
 伯爵はフィリス嬢に選りすぐりの少数の護衛をつけ、旅芸人の扮装をさせて、主街道を取って公爵領へ出発させた。
 そしてシェリルと仲間たち、加えて伯爵家から出した二人の護衛には、巡礼者の格好をさせ、遠回りの古い巡礼路を向かわせた。そしてわざわざ辺境伯には、令嬢が巡礼の旅に出る旨をしたためて送ったのだ。
 つまりシェリルたちは、辺境伯に対するおとりであった。

 危険な仕事ではあった。
 だが、伯爵は王家から領地を授かった、正真正銘の名家だ。フィリスが無事に公爵領に到着した暁に支払われる報酬は、楽に半年は暮らせるほどの額だったし、その内少なくない額を気前よく前払いしてくれた。この仕事がうまくいけば、伯爵家のお抱えになることも夢ではない。流れの冒険者たちには、またとない好機だった。
 それに何度かフィリスと話したシェリルは、自分とよく似た一つ年下の伯爵令嬢を気に入ってしまった。
 シェリルの生まれたあたりでは、女は小柄な方がいいとされていたが、この辺りでは、女性は背が高く、ほっそりとしている方が好まれた。フィリスもシェリルから見れば、愛らしいほどであったが、周囲から容色が冴えないと言われていたし、実際、いくつかの家から縁談を断られている。
 容姿に対する劣等感を持ちながら、足りない部分を教養を身につけることで補おうとする、前向き彼女の姿勢に好意と共感を覚えた。
 実際、高い教養と客観的な視点を持つ彼女との議論は、時を忘れるほど楽しかった。フィリスもシェリルに好感を持ってくれたようだった。
 この娘を安全に輿入れさせてあげたい。シェリル個人的には、仕事を引き受けるにあたって、利害のからまない理由もあった。そうでなければ、いくら大金を積まれたところで、慎重で誇り高い彼女が、ここまで自分の命を危険に曝すことはない。


 偽者のレナードが襲ってきた夜は、騒然となった。
 衝撃のあまりシェリルはよく覚えていないのだが、本物のレナードが、彼女たちの供と神父を起こし、自らの身分を名乗って、その夜の出来事を説明した。
 暗殺者の情報を聞いた後、レナードは父である公爵の許しもそこそこに、最も屈強な従者を連れて領地を出発した。
 辺境伯領に入り、巡礼路を下っていた公子たちは、今日の夜遅くに、この教会を見つけたという。
 野宿を避けられると思って、喜んで戸を叩いたが、既に寝静まっていた教会の入り口は固く閉ざされていた。諦めきれずに、どこかせめて軒先でも借りられないかと、周囲を歩いていて、離れの建物に気づいたらしい。その時、彼らはシェリルの悲鳴を耳にし、何事かと離れに踏み込んできたという。
 顛末を聞いた哀れな神父は真っ青になった。
 彼にしてみれば、公子に多額の金と共に頼まれたことを行っただけで、公爵家の子息が婚約者に婚前交渉を求めることに目をつぶればいいだけだった。暗殺の片棒を担ぐ気などさらさらなかったに違いない。
 騙された怒りで、シェリルに代わって神父に詰め寄る、彼女の仲間たち──無論、公子と神父には、伯爵令嬢の名誉ある護衛に見えるはずだ──を、レナードはそっと押しとどめた。
「神父様はご存知なかったのですから、仕方ありません。それに公子を名乗る人間の頼みを無下には断れないでしょう」
 仲間たちは言いたいことがありそうだったが、シェリルがその言葉に頷くのを見て、それ以上言い募るのは諦めたようだ。
 偽者のレナードとその供を名乗っていた数人の男の末路については、シェリルは公子に聞いていない。
 神父には寛大さを見せた公子も、自らの名を騙り、婚約者の命を狙った暗殺者をそのままにはしておかないだろう。誰も何も口にしないというのは、そういうことだと思った。

 翌朝、神父からお詫びとして大量の食料と水を分けてもらったシェリルと仲間たちは、公子とその従者と共に、公爵領への旅を再開した。
 レナードの供は、屈強な壮年の従者一人だけのようだった。たった二人で、公爵領からこの巡礼路を下ってきたのかと、シェリルは感嘆した。それは自分の為ではない、フィリスの為だと言い聞かせなければならない程、鼓動が高まった。
 昼頃に道沿いに小川がぶつかったあたりで、休憩を取った。
 シェリルは侍女を名乗る仲間の女と共に、公子と他の仲間たちに断って、水浴びに行った。
「あーもー、サイテー」
 三日ぶりに体を清めることができ、寛ぐ仲間の女に、シェリルは顔を顰めて愚痴った。
「静かにしなよ。聞こえるよ」
 伯爵令嬢の振りを捨てたシェリルの口調を、仲間がたしなめる。
「大丈夫だよ。公子には聞こえないもん」
 言い返しながら、それでもシェリルはやや小声になる。
「公子には聞こえなくても。どこで誰が見てるか分からないでしょ」
 侍女に扮した仲間の女は、シェリル以上に生真面目な修道女くずれだ。
 曖昧に肩を竦めるシェリルに向かって、しかし彼女もややくだけた口調で囁き続けた。
「最低ってことないじゃない。あのもっさりした人が婚約者じゃなくてよかったでしょ」
「そうだけど……」
 仲間の女とは友人と呼んでも差し支えない関係だが、昨夜のことを全て彼女に話すのは、恥ずかしい気がしてためらわれた。
 シェリルは片想いでない恋愛をしたことがない。当然男性と交渉を持ったこともなければ、口づけをしたこともなかった。
 流れ者の商売だ。恋愛などに夢を見てないつもりだったが、それでも昨夜、全く見知らぬ、しかも見苦しい程の男に唇を奪われ、舌まで入れられたのは、すこぶる不愉快で屈辱的だった。
 もし、あの場で本物のレナードが助けに入らなければと思うと、今でも体が震えそうになる。
「本物の公子は素敵な人ね。よかったわね」
 仲間の言葉に照れ笑いを浮かべようとしたが、その『よかった』という言葉は、シェリルにとってではなく、本物の伯爵令嬢フィリスにとって、という意味であることに気づく。
「ちょっと、大丈夫?」
 シェリルの心を見抜いたように、仲間は水に浸かりながら、シェリルを軽く睨んだ。
「何が?」
「あなた、惚れっぽいから……。公子はあくまでフィリス様だと思って、あなたに礼儀を尽くしてるんだからね」
「分かってるってば」
 仲間の言う通り、シェリルに対する公子の礼儀作法と心配りはほぼ完璧だった。
 慣れない旅に出ているであろう伯爵令嬢を気遣い──実際は、冒険者であるシェリルはかなり長旅にも慣れているのだが──、休憩をまめに取り、疲れた足に塗る薬草を渡してくれた。岩や木切れが転がる悪路では、シェリルに断った上で、彼女の手を取ってくれた。シェリルに向ける公子の表情は、常に穏やかな笑みを絶やさなかった。
 そうだ。あの自分の容姿に劣等感を持っている、勇敢で賢いフィリスの婚約者が、レナードのような男で本当によかった。幸福な結婚になるに違いない。
 心から祝福したかった。


 その後の三日の旅は野宿を挟んだが、順調に進んだ。
 来た道を戻る形になる公子が、旅の主導権を取った。悪路や休憩に向いた木陰などをその都度教えてくれ、長い旅はいくらか楽になった。
 朝晩は多少冷えるが、長時間歩かなければならない日中は、柔らかい日差しの為に、暑過ぎることもない。初秋はこの辺りの旅には最適の時期だ。
 寂れかけて下草が生え始めた街道を歩きながら、夏の盛りの勢いを失い、秋へと色づこうとしている木々に目を留めることが増えた。いつ暗殺者が襲ってくるかと、緊張し続けていたが、森の景色に目を向ける余裕ができたのだ。
 辺境伯は次の手を考えているかもしれない。脅威が消えたわけではない。だが、公子と従者、二人が加わっただけだというのに、こんなにも心強いのは不思議だった。 
 相変わらず公子の婚約者への気遣いも申し分なかった。仲間と対等の立場で長い時間を過ごしてきたシェリルは、貴婦人として丁重に扱われ、公子があらゆる物から彼女を守ろうとするのが新鮮だった。
 古びた狭い巡礼路を、大抵シェリルとレナードは横に並んで歩いた。前後にシェリルの護衛は散らばり、すぐ後ろに公子の従者と、シェリルの侍女が続いた。
 公子は偽者と同じく、やはり口数は少なかった。自分の話よりも、婚約者に質問をすることが多く、伯爵領のことやフィリスの小さな頃の話を聞きたがった。一通り伯爵領のことや、その家族についての情報は頭の中に入れてきたが、やはり何か勘繰られているのではと、シェリルは内心冷や汗をかいた。
 影武者と言っても、あくまでおとりに過ぎない。まさか当の婚約者と話すことになる事態は想定していなかった。
 シェリルの仲間たちも大いに慌てた。慎重に身代わりを探し、何が起こるか分からないと、服装から言葉遣いまで徹底的に準備させた伯爵の読みに彼らは感心した。仲間たちもまた、伯爵令嬢の護衛として、服や言動などの指導を逐一受けてきたのだ。
 彼らは何より聡明なシェリルの機転に感謝し、誇りに思った。彼女でなければ、公子の前で、フィリスの身代わりなど務まらないだろう。
 仲間たちは、自分たちの正体を公子に告げるかどうか、一度相談した。しかし、シェリルと、伯爵家直属の護衛たちは反対した。伯爵から与えられた仕事は、フィリスの身代わりを内密に務めながら、公爵領に辿り着くことだ。その仕事の内容を、例え婚約者と言えど、公子に暴露してしまうのは、雇い主である伯爵との約束に反するし、万一、公子か従者を通じて、彼女たちが身代わりであると辺境伯などに伝わるのは、最も避けたいところだ。暗殺者から助けてもらったとは言っても、公子がどのような人間なのかは、まだ分からないのだ。
 身代わりを後生大事に公爵領まで連れてくれる公子には申し訳ないが、無事に公爵領に着き、主街道を取って先に到着しているはずの本物のフィリスに面会するまでは、仕事を続行することにした。
 フィリスが無事に公爵家に到着した時点で、シェリルたちの仕事は完了だ。順調に進めば、馬車を使っている彼女の方が、シェリルより先に到着しているだろう。
 替え玉として、のこのこ公爵家に公子と共に到着した後のことを考えると、やや不安はある。偽者の婚約者を守って、危険な巡礼路を下ってきたと知った公子は、少なからず怒りを覚えるだろう。だがそこはフィリスがうまく口添えをして、公子をとりなしてくれるはずだ。彼が見た目通り穏やかな人間であることを祈った。
 できることなら自分の正体を諭られず、良い折りを見て、本物のフィリスと上手に入れ替わることができれば、波風立たず、理想的だ。
 可能性は少ないが、その機会が訪れる時に備えて、シェリルはできる限り本物のフィリスに近い演技を続けた。
 フィリスの安全と伯爵との契約を最優先にする気持ちは本物だ。
 だが、正体を隠したまま旅を続けることで、少しでも長く、婚約者として公子の側にいる為の口実でもあることは、分かっていた。


「レナード様は今までどんなことをされてきたんですか?」
 レナードの名を呼んで、斜め上にある彼の顔を見上げる時、シェリルは薄い罪悪感を感じる。最近は彼に質問される前に、シェリルの方から彼について尋ねることが多くなった。
「どんなこととは……?」
 レナードは質問の意味を図りかねたらしく、少々困惑した声で問い返す。相変わらず口元は柔らかい笑みを浮かべたままだった。
「ご趣味でも、お父様のお手伝いとしてしてきたことでも、お好きなことでも……」
「そうですね……」公子は首を傾げた。「趣味と言える程のことは無いですね。元々体が丈夫な方ではないので、狩りも剣技も、あまり父が熱心に教えたがらなかったのですよ。私も興味はありませんでしたし。どちらかと言うと、古語や詩作の方が好きでしたね。子供の頃は笛の演奏などもなかなかだったのですが、すぐに飽きてしまって……。練習を積んでいないので、今は素人以下です」
 確かにこの色白の青年は、そう痩せているようには見えないが、あまり頑丈な体格でもなさそうだ。がっしりとして強い男性が好ましいとされるこの地方では、この体格で損をしてきたことだろう。
 彼女の同情に気づいてはいないだろうが、青年は微かに自嘲するような表情で続けた。
「幸い二人の兄は優秀です。存分に父を助けていますので、三男の私は宴会や軍事演習に引っ張り出されることもなく、好き勝手をやらせてもらっています」
 その言葉の裏に、深い劣等感を嗅いだ気がした。それは、貴族女性にとって重要な要素である、容貌に対するフィリスのそれと通じるものがあるだろう。まだまみえてもいない二人に、繋がりができたような気がして、シェリルの胸を悲しく窪ませた。 
「小さな頃は、本ばかり読んでいて、外に出なかった私は、父によく叱られました。それを母がかばってくれたものです。でも今は、母の方が『もう少し体を鍛えないと、嫁に逃げられる』と小言が多いのですよ」
 公子は苦笑いを交えてそう語った。シェリルは彼に首を振ってみせる。
「私も体が弱い方ですので、古語や詩作は小さな頃から好きでした。生まれもった性質や体質というものがありますし、あまりお気になさらない方がよろしいのではございませんか? 私は、公子は今のままで素敵だと思います」
 貴族の令嬢らしく優雅に微笑みながら彼女は言ったが、その実、心臓はどきどきと弾み続けていた。「可愛らしい」と彼女を褒めてくれた公子へのお返しのつもりだった。
「ありがとうございます」
 目を細めてシェリルを見下ろした彼の表情に、礼儀以外のものがあったのかは分からなかった。

 やがて道沿いに小川を見つけ、一行はやや遅めの昼食と休憩を取ることにした。
 例によって交替で水浴びをする。
 シェリルたち女性が先に済ませた後、公子と従者が小川に浸かった。その間一同は離れた場所で昼食の準備をしていた。
「仲良さそうじゃないですか、フィリス様」
 パンとチーズを切り分けながら、仲間の男が、からかい混じりに小声で話しかけてくる。
「婚約者ですからね」
 シェリルは素っ気無く答えた。
「いい男だもんなあ。惚れないように気をつけなさいよ」
「ちょっと、二人で同じこと言わないでよ」
 シェリルは笑いながら、先日同じことを忠告した仲間の女の方を見た。しかし、いつもまめに働いている彼女は、微かに俯いて、仕事の手を止めていた。
「どうしたの?」
 シェリルが声をかけると、振り向いた彼女は首を振る。
「少し吐き気がして、お腹が痛いの……。ちょっと休んでていい? 私、お昼ご飯はいらない」
 彼女は仲間の輪から少し離れた、木の根元に腰掛け、幹にもたれかかってしばらく目を閉じていた。
 体力のある彼女が体調を崩すことは珍しかったが、すぐに治るだろうと思っていた。

 しかし、休憩の後、再び移動を再開してからも、彼女の顔色はすぐれなかった。
 辛抱強い彼女はそれでも歩き続けたが、夕方を前にして、休憩の際に座り込んでしまった。
「熱があがってきています」
 彼女の額に手を当てた、別の仲間の男は、シェリルに向かって言うと、水筒で冷やした手ぬぐいを仲間の女の額にあてがった。
「これ以上歩かせるのは……」
 仲間が静かに首を振る。今日はここで野宿かと、シェリルが覚悟を決めた時、レナードが進み出た。
「もう少し歩けば、巡礼宿があるはずです。そこで侍女の方の具合も見ていただけるでしょう」
「しかし公子、これ以上侍女に無理をさせるわけにはいきません」
 仲間が口を開く前に、シェリルがレナードに訴える。
 青年は微笑んだ。
「大丈夫です。夜になる前には着けるはずですから。私の従者に侍女殿を背負わせましょう」
 言うが早いか、レナードは従者を呼びつけ、仲間の女を背負うように命じた。そして自ら、従者がそれまで担いでいた、彼らの旅の荷物を取った。
 仮にも公子とあろうものが、背嚢を背負って歩くなんて。シェリルはその姿に、若干の滑稽さを覚えつつ、彼を心の内で称賛した。伯爵家の護衛が飛び上がって、公子から荷物を受け取り、自分たちが運ぼうと申し出たが、公子は首を振った。
「結構です。あなた方のお荷物に比べれば大した量ではありません。身の回りのものだけですので、これくらい運べなくては、ご令嬢の夫になる資格もございませんよ」
 公爵より身分の低い伯爵家の、しかも護衛風情にまで、レナードは丁寧な口調を崩すことはなかった。
 そうしたレナードの振る舞いに感銘を受けるほどに、シェリルは胸の奥が疼くように痛む気がした。


 レナードの言葉通り、太陽の端が隠れようとする頃、森の奥に素朴な煉瓦造りの宿が見つかった。
 修道士風の姿をした主人は、彼らを暖かく迎え入れ、早速発熱している、仲間の女の体調を看てくれた。
「川熱でしょう」
 主人は聞き慣れない言葉を告げた。
 話によれば、この周辺の川で泳いだり、取れた魚を食べた人間が、時折発熱と下痢、嘔吐などの症状を出すことがあるらしい。
 滋養と休息を取れば、直に回復するだろうと彼は続けた。死に至る程衰弱するようなことは滅多にないらしい。
 病の正体が分かり、シェリルも胸を撫で下ろした。
 その晩、三日ぶりのテーブルでの夕餉に、一同は舌鼓を打った。提供されたのは素朴なスープであったが、温かいというだけで、ありがたかった。
 伯爵令嬢だと名乗ると、宿の主人はシェリルに二階の個室を提供してくれた。
 本来なら、辺境伯に狙われる危険がある身で、宿泊先で身分を名乗って回るのは賢明ではない。しかし彼らは囮である。できるだけさりげなく、伯爵令嬢であることを宣伝する必要があった。
 病で熱を出している仲間の女にも、寝台が二台の小部屋を用意してくれ、主人の妻が看病についてくれることになった。
 主人夫婦の親切と、久しぶりの寝台での睡眠に、彼女は心から寛いだ。個室に入って、やっと伯爵令嬢フィリスの仮面を脱ぎ捨て、そして冒険者としての自分も取り払って、自分自身に戻れる。
 それでも万一に備えて、伯爵令嬢として夜着に着替え──普段の彼女は当然夜着など着ずに、下着姿か服を着たまま寝る──、板張りの上に藁と幾枚かの布を敷いた簡素な寝台に横になった。念の為、外套と短剣は枕元に置く。
 燭台の明かりを吹き消し、旅の疲れから、シェリルがあっという間にまどろみ始めた頃、扉が外からこつこつと叩かれた。

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