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魔女とコヨーテ」
第五話 山の端に陽が沈むまでに

第五話: 山の端に陽が沈むまでに 22

2009.09.02  *Edit 

 どっしりとした頑丈な門が開くと同時に、シェリルたちの乗った馬は放たれた矢のように飛び出した。同じように門が開くのを待っていた行商たちが、危ないと抗議の声を上げたが、構ってなどいられない。 
 夜が明けたばかりだ。左手、王都のある方角から、若い光が差し込み、暗かった夜空が徐々に色を失っている。今日で七日目だ。今日の昼、遅くとも夜には、あの郊外の廃屋に向けて出発しないと間に合わない。
 凄烈な朝日が照らし出す石畳の街道をひた走る。南。教皇領に向けて。
 手綱を繰るコヨーテの背中にしっかりと掴まり、時折、不安を鎮めるように、そこに顔を寄せた。 

 教皇庁から来た司祭に、皇帝の指輪を取り返された後、シェリルとコヨーテはすぐに宿を飛び出したが、司祭たちの姿は見当たらなかった。
 彼らが来る直前に襲ってきたごろつきからの話を思い出し、司祭たちが滞在していると思われる教会に向かった。苦労して忍び込んだが、中には客人らしき人間の姿は見当たらず、やむをえず教会の門番に術をかけて教皇庁の司祭の行方を尋ねたところ、既に町を出発したという。
 しかし町の門は閉じているはずだ。町の門番にそれとなく、司祭一向が町を出なかったか尋ねたが、知らないと答えられた。
 それから二人は夜が明けるまで、町中を探し回った。重武装の彼らが徒歩で旅してきた可能性は低い。恐らく全員分の馬があるだろう。町中の宿の厩を見て回ったが、彼らが逗留している様子は無かった。果ては領主の城にまでコヨーテが忍び込んでみたが、中庭や厩の様子からして、客人が逗留している気配は無かったという。
 そこでやっと彼らは、既に司祭たちがやはり町を出ているのではないかと考えた。教皇庁の使いであることを押し出して、門番に門を開けさせ、念の為自分たちの出発を口止めさせたに違いない。
 慌てて宿から馬を持ち出してきて、後を追おうとしたが、頼み込んでも金をちらつかせても、門番は門を開けてはくれなかった。さすがに警戒している複数の門番たちを、術でどうにかすることはできず、シェリルたちは夜明けに門が開かれるのを待つしかなかった。時間を惜しまず、伯爵から紹介状でも貰ってくればよかったと後悔した。
 彼らがどこに向かったかは分からないが、まっすぐに教皇領へ戻ったと考えるしかない。
 でも、もし方角が違ったら。まるっきり見当外れの方に向かっているのだとしたら。
 考えてはだめだ。迷っていても時間の無駄だ。できることをやるしかない。それで及ばなければ仕方ない。
 いつもそう考えてきた。でも今は仕方がないと諦められない、かけがえのないものがかかっている。それがシェリルから冷静さを奪い、いたずらに不安を沸き立たせていた。
 金銭的、肉体的にはもちろんのことだが、仲間たちがいて一番支えられていたのは、精神的な部分だったのだ。魔術師ギルドを出たばかりの頃は、物を買う為に店の人間に話しかけることも及び腰だった彼女は、冒険者生活を経て格段に逞しくなった。そう思っていた。
 だが実際には違う。彼女自身が成長したということも多少はあるだろうが、繊細な彼女の精神を、側にいた仲間たちが支えてくれていたのだ。強くなったのはシェリルの心などではない。仲間たちとの信頼だ。
 何故なら彼らがいない今、現にこうしてコヨーテに縋らなければ、不安で胸が潰れそうだ。
 やや前屈みになり、馬の動きに合わせて上体を動かしている彼に、極力動きを合わせた。彼も速度を緩める気配は無い。鐙に足が届かない彼女は、振り落とされないように必死に馬の胴体を脚で挟み、彼の体にしがみつく。襟足で束ねられたコヨーテの髪が、何度も彼女の額をくすぐった。
 流れていく時間、輝きを増し、動いていく太陽と共に、仲間たちの命もすり減っている。
 仲間たちの誰も、年老いてから、自分の血を継ぐ家族に看取られて、寝台で大往生を迎えられるとは思っていないだろう。道半ば、刃に倒れることも考えていたはずだ。
 だがそれは今ではない。この危険な仕事を続けていれば、いずれ、そう遠くない内に、運命の手が彼女たちの命を摘み取るかもしれないが、それは今ではない。
 こんなところでは死ねない。
 それこそ呪文のように、常にそう唱えながら、シェリルたちは死線をくぐり抜けてきた。いつ死んでもいいと思って、冒険者稼業を続けてきたわけではない。心の底で究極的には、その考えに行き着くのかもしれないが、日々、死と危険と隣り合わせにして過ごしているからこそ、生への執着は増した。少なくともシェリルは、優雅に育てられた幼少時代や、魔術の修行に明け暮れた魔術師ギルド時代より、今の方が遥かに生きることに価値を見出し、強烈な死への恐怖を感じている。
 必ず指輪を取り返して、あの廃屋に戻るのだ。
 しかしどんなに固い決心も、自分の体さえ思うようには操れない。
 駆足で南へ疾走する馬上にいる内、いつものように酔いがシェリルを蝕んだ。
 鳩尾に生まれた不快感が徐々に増していき、胃を巨大な手で押さえられるような圧迫を覚える。頭の中まで揺れ動くように、平衡感覚が揺さぶられた。
 今、馬を止められない。
 耐え切れず、シェリルは走る馬上から、身をよじって嘔吐した。
「大丈夫?」
 気配に気づいたらしいコヨーテが、僅かに首を捻って振り向く。彼女は彼の体にしがみつきながら、呻くように答えた。
「平気。時間無いから、馬止めないで」
「でも、吐いたでしょ?」
「あなたに向かっては吐かないから」
 シェリルの強い口調を耳にした彼は、そのまま前を向いた。一刻も早く、あの司祭たちに追いつかなければならないということは、彼も承知しているはずだ。
 ひ弱な体が疎ましい。こんな大事な時に、上品に馬酔いなど起こしている場合ではない。自身を叱咤するが、気力では体調まで思うようにはならない。
 不快感は増し、何度か走りながら嘔吐した彼女は、昼前にはコヨーテの背中に掴まっているのがやっとの状態だった。もう吐く物もない。
 太陽が正午に達する前に、コヨーテは馬を止めた。
「あたしなら大丈夫だよ」
 鞍から降りようとする彼に、弱々しいながら抗議するように告げると、彼は無愛想に答えた。
「どこが? 吐く度に体力使って、ふらふらでしょ。馬も休ませなきゃいけないから、降りて」
 有無を言わさぬ語調で言われれば仕方無い。いつも馬から下りるのを手伝ってくれるコヨーテは、手を貸してくれる気配がなかった。吐き気をこらえ、転がり落ちるように馬から下りる。やっと不動の大地の上に降り立ったというのに、まだふわふわと揺れている気がする。眩暈を起こしているのだと分かった。
 急速に胃が引き絞られ、屈みこんで再び嘔吐しようとしたが、もう胃の中の物は吐き尽してしまった。酸味の強い、ひりひりした液体が、口元から滴るだけだ。
「体力はそう簡単につくもんじゃないからしょうがないけど、せめて自分の体調くらい把握しておいてよ。無理が効くかどうかも分からない? いきなり倒れられたら、迷惑するのは僕なんだよ」
 涙を滲ませながら、腹の奥から呻きをあげ続ける彼女の背に、コヨーテの冷たい声が投げつけられた。彼も相当焦っているらしい。
 指輪を奪われてしまったのは、シェリルの失態でもあるし、酔いを起こしている彼女が足手まといになっているのは事実だが、体が弱っているところに今の嫌味はこたえた。怒る気力も無く、情けなさに打ちのめされて、涙が流れる。
(なにも、今、そんな言い方しなくても……)
 吐き気は治まったが、代わりに嗚咽がこみ上げてきて、屈んだまま震えながらそれを飲み込もうとした。
 不意に横手から水筒が差し出される。
「水飲んで」
 幾分和らいだコヨーテの声が聞こえた。彼から差し出された物を受け取るのが悔しくて、自分の水筒を取り出そうかと思ったが、意地を張るのも子供っぽい。結局頷いてそれを受け取り、喉の奥に冷たい水を流し込んだ。何度も食べ物を吐き出して、不愉快な熱を持っていた胃と食道が、その冷たさに当てられて、少しだけ落ち着いた気がする。
「座って、休んで」
 軽く肩を押され、なすがままに地面にへたり込む。腰を落ち着けてやっと、潅木が疎らに生える草地の間を突き抜ける街道沿いを、涼やかな風が渡っていくのが感じられた。僅かに汗ばんだ肌に心地良い。
 コヨーテは腰から下げている袋から、彼女の馬酔いの際に使っている薬草を取り出し、指先で小さく裂いて揉み潰した。ばらばらになった葉をシェリルに手渡す。
「煎じてる時間無いから、口の中に入れておいて。噛んでもいいけど、飲み込むとお腹壊すよ」
「ありがとう」
 先ほどはきついことを言われたが、結局こうして助けてもらっている。棘のように沸いてくる反抗心を押し殺して礼を述べると、彼は表情を緩めて、微かに笑みを見せた。
「朝ごはんも食べてないから、胃がやられたんだよ。パン、食べられそう?」
 彼は肩掛けの小さめの荷物袋から、昨日市場で買ってきたパンとチーズを取り出す。シェリルは一度首を振ったが、すぐに思い直して言った。
「……やっぱり少しもらう」
「それがいいよ」
 コヨーテが手でちぎって分けてくれたパンを、さらに細かくちぎり、よく噛んで飲み込む。腹は空っぽだというのに、食欲は全く湧かなかったが、食べなければ体がもたないだろう。
 追いつけるだろうか。
 伯爵領内の全ての町や村を把握している訳ではないが、この先、南への領境の手前に、街道沿いにもう一つ町があった覚えがある。あの教皇庁からの一行が休んでいくなら、そこで追いつける。しかし彼らが町に寄らずに、先を急ぐようなことがあれば、二刻ほど間を空けられた彼女たちは、今日中に追いつけないかもしれない。
 今日追いつけなければ、終わりだ。
「ちょっと横になったら?」
 痩せ型の体格に合わず、旺盛な食欲でパンとチーズを食べ終えたコヨーテが呟いた。
 シェリルはかぶりを振った。
「気が緩んじゃうから、いい」
「少し気緩めた方がいいよ。張り詰めた顔してて、恐いよ」
 何か答えようとしたが、灌木が茂る荒野を見渡していて、突然言いようのない不安に襲われた。
 無言で顔を伏せる。
「大丈夫だよ。朝からかなりすっ飛ばしてきたから、午後も君が道にゲロ吐きながら飛ばせば、次の町で追いつける」
 頭に軽く手が置かれて、ゆっくりと撫でられた。
 シェリルが黙ったままでいると、男にしては高めの、涼やかな声は慰めるように続けた。
「奴らは重武装だし、人数も多い。追っ手も警戒していないだろうから、町に入れば、必ず休むよ」
「……伯爵の追っ手を警戒して、一刻も早く領内を出ようとするかもよ」
 太陽から逃れるように、額を両膝に押し付けたまま呟く。ごくごく小さな声だったが、耳敏い彼はしっかりと聞き取ったらしい。彼女の弱音に、苦笑いで答えた。
「そしたら、しょうがない。しょーがないことを考えても、時間の無駄だよ」
 先ほどまでシェリルが考えていたのと同じことを言われ、彼女もまた低い苦笑いを漏らした。
 肩を掴まれ、そっと顔を上げさせられる。コヨーテの榛色の瞳と、視線が合った。
「夜中から寝てないんだから、少しだけ横になりなよ。すぐ起こす」
 哀れみのこもった、生ぬるい眼差しに、魅了されるように頷き、シェリルは、疎らに芝の生える乾いた土の上に寝転がった。
 まるで大地に吸い込まれるみたいだ。嘔吐を繰り返して、体力を消耗していた彼女の意識は、浅い闇にすぐに呑まれた。

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