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魔女とコヨーテ」
第五話 山の端に陽が沈むまでに

第五話: 山の端に陽が沈むまでに 28

2009.09.23  *Edit 

 かつて整えて敷かれていたであろう石畳も、既にあちこち沈み、隙間から雑草が生え始めている。ぼこぼことして歩きにくいが、道しるべになればそれで十分だ。
 息があがる。緩い上り坂を急ぎ足で歩く内、膝が崩れそうになった。もう走れはしない。歩くのがやっとだ。でも止まるわけにはいかない。
 中天にある月が、無慈悲に荒れた古道を照らし出している。
 もう陽はとうに沈んでしまった。
 赤毛の男が、西の山の端に沈む夕陽を指差してから、十一日経っている。
 
 時間は無情に過ぎた。
 酔いと戦い、ほぼずっと薬草を噛んで含みながら、馬上から嘔吐しつつも走り続けた。
 時折コヨーテの忠告に従い、食事と休憩を取ったが、動いていく太陽を見ていると、心が落ち着かず、すぐに出発した。睡眠も極めて短時間であった。彼女は乗馬に慣れていない人間にしては、奇跡的な速さで移動していた。
 しかし昨日、街道の途中で約束の十日目の夕陽は、彼女が涙を流す内に沈んだ。ちっぽけな人間がどんなに祈っても願っても、太陽も月もその大いなる作業を続けるだけだ。
 それでも彼女は走り続けた。
 コヨーテに何か言い聞かされ、乗り慣れないシェリルを必死にここまで連れてきてくれた馬は、この坂道の麓でついに足の骨を折り、泡を吐いて潰れてしまった。
 誰も通りかからないような、王都の郊外の古びた道で、動くこともできずに断末魔の苦しみに耐える馬に、慈悲を与えている時間も無かった。シェリルがアルフォンスと名付けた馬の名をもう一度呼び、首筋を撫でて抱き締めてやると、廃屋に通じる、不吉なほど荒れた道を彼女は走り始めた。
 背後から馬の細く悲痛ないななきが追ってくる。
 彼がいなければ、方向音痴のシェリル一人では、廃屋に通じる道が分からなかったに違いない。利口な馬は道をよく覚えていて、廃屋に通じる一本道の入り口までシェリルを連れてきてくれた。あとは迷わずに済む。そしてそれで仕事を果たしたかのように、足を折って倒れ伏した。
 コヨーテの誘いを受けて、二人で辺境伯の息子の元へ逃げたなら、あの優しい目をした利口な馬も、もう少し長生きができたはずだ。
 巻き添えにしてしまった。沢山の人や物を捨てて、誰より欲している人が、奇跡的に差し伸べてくれた手も振り払って、無駄かもしれないところに戻ってきてしまった。
 絶対にまた会う。
 マライアと約束した。戻らないと口に出しながら、必ず戻ると心に誓った。
 けれど崩れそうになる膝を気力だけで支えるシェリルの脳裏には、既に闇に包まれた無人の廃屋がちらつく。扉を開けるとそこには、拷問の果てに無残に殺されたスタンリーたちの遺体が転がっている。

 足首から力が抜け、シェリルは泥と雑草にまみれた石畳に膝をついた。
 喉が嫌な音を立てる。水から上がった魚のように、口を虚しくぱくぱくと動かしたが、空気をうまく取り込めない。
 戻ろうか。
 無駄かもしれない。きっとマライアたちは殺されている。今から真っ直ぐに西を目指せば、コヨーテに追いつけるかもしれない。一緒に行こうと言ってくれた彼に。
 あの時、死ぬほど嬉しかった。二十年近く生きてきて、嬉しいことはたくさんあったはずだ。でも記憶を辿ろうとすると、まず彼に関わる出来事が浮かぶ。
 王都に会いに来てくれると言ってくれた時。
 異形の怪物を前に、短剣一本で彼女たちの為に立ち向かおうとした背中。
 もう二度と耳にすることはないと思っていた、彼の涼やかな声が、女傭兵の喉から響いた時。
 月明かりの下で、初めて抱き合って重なった夜。
 暴漢から助け出した彼女の前に膝をつき、彼女を見上げた彼の色白の顔。
 他にもっと、シェリルの人生に関わるような、大切な出来事もあったはずなのに、彼が存在しない古い記憶は曖昧だ。
 それほど大切な男が、あんなに切ない顔で、彼女を助けようとしてくれたのに、振り切ってしまった。
 途中、何度彼の元に引き返そうと思ったか分からない。けれど手綱を引かない限り、馬は走り続けた。もし馬に乗っていなければ、シェリルは一歩も自分の意志で歩けなかったに違いない。
 でも多分、引き返してコヨーテと共に西を目指したとしても、シェリルが望むような未来は無いだろう。仲間を見捨てた自責の念に苛まれ、縮こまって生きる無力な彼女に、彼は早々に愛想を尽かす。
 以前にも彼に、一緒に来るかと尋ねられたことがあった。シェリルが悩む内、彼は冗談だと笑い、ついてこられても困ると、付け加えた。
 それは彼の本音だろう。
 彼は自分の為に生きている。シェリルも同じだから、それはよく分かる。
 だが不器用で、女で、体力も無い彼女と違い、彼は小器用に何でもこなす。頭はいいが、育ての親や魔術師の師匠から叩き込まれた、倫理と自尊心が邪魔をする真面目な彼女に比べ、彼はそういったものまで捨てて、自分の為だけに生きていける。他人を裏切ることも厭わない。
 卑劣と呼ぶのは簡単だが、それは見方を変えれば強さでもある。他人の軽蔑や罵倒をものともせず、自尊心を捨てることができる、心の強靭さだ。あんな人間にはなりたくないと思う一方で、どこかでその生き方を羨み、妬む気持ちもある。
 自分の為に生き、自分のことだけ考えたくても、シェリルにはそれができない。他人に頼るなら、自然と他人を思いやらなくてはならない。彼女は誰にでも頼れるわけではなく、頼る人間を選ぶからだ。助け合える人間を見つけたなら、大切にせざるをえない。もし失えば、次に寄り添える人間が見つかるとは限らない。
 しかし彼はひとりで何でもできてしまう。だから他人を必要としていない。
 そばに今のシェリルがいても、最初の内はもの珍しいだろうが、飽きれば邪魔になるはずだ。
 仲間を捨てて、彼の元へ行ったところで、その彼に去られれば、彼女には何も残らない。

 コヨーテに逃げ込むわけにいかない。
 少しの間、考えに耽りながら息を整えたおかげで、やや呼吸は楽になった。
 側の木にもたれて立ち上がり、再び歩き出す。
 たとえこの荒れ果てた道の先で見つかるのが、仲間の遺体だったとしても、それを見届けなければならない。どんなに無残な姿でも。目を背けて、彼らがどこかで生きているというような、都合のいい幻想を抱いて、自分一人で生き続けるのは許されない。苦楽を共にした仲間が、苦しんで死んだなら、遺骸をしっかりとこの目で見て、彼らの苦しみにせめて思いだけでも馳せてやらなければ、申し訳が立たない。
 悪いことばかり考えては駄目だ。彼らはきっと生きている。必死に言い聞かせたが、胸の奥からもやもやと湧いてくる不吉な想像が止められない。
 いや、絶対生きている。だって、約束した。マライアと絶対再会すると、約束した。ずぼらなシェリルと違って、彼女は決して約束を破らない。
 だから、きっと生きている。信じている。
 息を弾ませながら坂道を上る内、やがて生い茂る木々が疎らになっていく。
 月の光が真正面から彼女を照らす。樹木が切り払われた、広めの空間に出た。見覚えのある、木造の廃屋が三軒並んでいる。
 着いた。
 シェリルは目を見張った。廃屋から明かりが漏れている。
 まだ、いる。
 鼓動がさらに激しく高まった。あの赤毛の男か、あるいは部下の一部が残っている。マライアたちもまだ生きているかもしれない。
 まず内部の様子を探らなくてはならない。術を使う前にシェリルは廃屋の周囲を用心深く見渡した。見張りが出ているかもしれないし、何か罠でも仕掛けられているかもしれない。

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