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魔女とコヨーテ」
第五話 山の端に陽が沈むまでに

第五話: 山の端に陽が沈むまでに 30

2009.09.30  *Edit 

 *****

 
 墓は無くても、地上のどこかに、死んだ人間が眠っていると信じられるような場所が欲しい。
 妹の遺灰を聖地の美しい地面に撒いたイーミルは、目を伏せた。瞳を潤ませているだろう彼から、マライアも、スタンリーも、サムソンも、シェリルも目を逸らす。誰だって、泣いている姿を見られたくはない。
 互い違いの方向を向く彼らは、しかし心の中で同じ感情を共有していた。妹を悼むイーミルに寄り添った彼らの心は、まるで自分たちも肉親を悼んでいるように感じた。


 *****


 瞼の裏に儚い光を感じる。
 覚醒したのだ。しかし、いつもの習慣に従って目を開けるのが、何故か怖かった。
 恐る恐る目を開く。斜め上から差し込んでくる、淡く冷たい光が目に優しく入り込んだ。
 今は夜だ。そしてこれは月の光。それに照らされる木組みの天井が見えた。寝台に仰向けに横たわっていることが分かる。体がだるく、起き上がる力が入らない。
 月光が差し込む方に目を向けると、開かれた窓と、そこから覗く夜空と丸い月が見えた。物音はせず、夜のしんとした静寂だけが漂っている。
 反対側に首を向けると、椅子に座っている男と目が合った。
 彼らは言葉も無く、しばらく互いに見つめあっていた。
 その間にシェリルの脳裏に、意識を失う前までの出来事が奔流のように静かに溢れてきた。
 何を言えばいいのか、どうしたらいいのか分からず、ただ彼を見つめる。まだ何も考えられなかった。
 寝台のすぐ側の椅子に座ったコヨーテは、そこから下りて床に膝をつき、シェリルと目線の高さを合わせた。
 彼もまた、シェリルにかけるべき言葉が見つからず、どうしていいのか分からなかった。ただ、手を伸ばして彼女の柔らかい頬に触れる。
 触れ合った瞬間、ふたりの頭にはやっと血が通い始めた。
「どっか、痛い?」
 コヨーテの優しげな囁きに、彼女は首を振った。振った後で、腕や脇腹が鈍く痛むことに気づいた。
 彼は側にあった小さな丸い卓に手を伸ばし、金属製の水差しを手に取る。
「口開けて。喉乾いてるでしょ。水、飲んだ方がいいよ」
 シェリルは頷き、首を仰向けに戻すと、小さく口を開けた。彼が話し始めると、恐ろしく気が楽になった。言う通りにしていれば、何も考えずに済むからだ。口を開くと乾いて干からびていた唇が裂けて、僅かな痛みがあった。
 器用な彼は、月の光を淡く照り返す金属の水差しの先端を、シェリルの唇に触れさせなかった。細い水がごく僅かに彼女の口の中に注がれた。乾いてねばついていた口の中が、冷たい水に濯がれる。飲み下す為に首を上げようとすると、水差しを卓に戻した彼の手が、素早く彼女の背を支えて静かに上体を起こさせてくれた。
「痛くない?」
 同じことをもう一度訊かれたが、今度も彼女は首を振った。答えるのが面倒だったからだ。それを見抜いたように、コヨーテは彼女の瞳を覗き込んでくる。
「本当に大丈夫? お腹と腕の傷もひどかったけど、手首の傷が一番深かったんだよ」
 言われてシェリルは、左手を持ち上げた。手首に包帯が巻かれている。そこから僅かに馴染みのある気配を感じた。脇腹と、右の腕にも。
 彼女が負った傷は、いずれも深手だ。重傷を癒す為に、コヨーテが何某かの術を使ってくれたのだろう。
 肉体の傷を癒す術は、術者も術を受ける方も、気力を大きく消耗し、特に強引に傷を塞がれた、術を受けた人間は大幅に体力が落ちる。シェリルも術の心得はあるが、仲間たちに使ったことは数えるほどしかない。
 ぼんやりと包帯を巻かれた手首に視線を落としていると、その手が温かく包み込まれた。
 のろのろと顔を上げるシェリルの視線を穏やかに受け止め、彼は口を開いた。
「二日もずっと眠ってたんだよ。もう目を覚まさないかと思った」
「目を覚ましたくなかったよ」
 醜く掠れた声が漏れた途端、喉の奥が詰まって息苦しくなり、嗚咽がこみ上げてきた。
「ずっと寝てたかった」
 眠り続けた為に、目やにがいくつもついた彼女の瞳から、涙が零れた。そのまますすり泣くシェリルの手に、彼はもう片方の手も重ねた。
 包み込まれた手がとても温かい。
 安堵すると同時に、自分ひとりだけ柔らかい感情に包まれているのが、途方もなく悲しくなった。そして、恐怖と苦痛の中で死んでいったであろう彼らに対して、激しい罪悪感を覚えた。
「どうして連れ出したの」
 彼女もまた、彼の手を両手で握り締めながら、顔を伏せて声を絞り出した。
「あたしひとりだけ生き残っちゃっても、なんにもできないよ。皆と一緒に死んじゃいたかった。その方が幸せだったのに。あたしがもたもたしてたから間に合わなくて、みんな、あんなに簡単に殺されちゃって……」
 彼らの最期の姿が残酷に甦った。戻ってくるなと言ったマライアの死に様は、とりわけ惨かった。
 いつかこんな日が来るかもしれないとは思っていた。覚悟は決めていたつもりだった。だからこそ、シェリルはいつも自分と仲間たちの身を第一に考え、できうる限り危険を避けて、慎重に行動していたつもりだった。
 けれどまさか、自分ひとりが生き残るなんて。仲間が死ぬ時は、自分も死ぬのだろうと、彼女はいつしか無意識に確信していた。
 嗚咽は徐々に大きくなる。シェリルは握り締めたコヨーテの手を額に押し当て、歯を食いしばって嗚咽をこらえようとした。しかしできなかった。
 無言でその手が強く握り返される。再び涙が溢れた。頬から滴り、上掛けの上に小さな染みがいくつもできる。
「悔しい……ひどい……! ひどいよ……。こんなのない。あたしのせいで、みんな、いなくなっちゃった。ひとりになっちゃった」
 まだ、彼らの死が信じられない。王都の宿に戻れば、仲間たちはいつものように食堂の端の席を陣取り、めいめい好きな酒でも飲んでいるような気がする。
 でも、この地上のどこを探しても、彼らはもういない。 
 喉の奥から歪んだ声が溢れる。歔欷は号泣に変わった。
 彼の手に縋りながら、赤子や子供より激しく泣き叫ぶシェリルの手を、彼はただ握り返し続けた。  


 悲しみに底は無くても、涙はいつか涸れる。どんなに嘆こうとも、一生泣き続けられるようには人間はできていない。
 涙と嗚咽が収まるに従い、シェリルの頭も少しずつ冷えてくる。やっと再び言葉が放てるようになった。
「なんでだろう……。あたしたち、何もしてないのに。気をつけてたつもりなのに、どうしてこんなことになったんだろう……」
 善良に生きている人間が常に長生きできるわけではない。世の中の大抵の災難は、罪に対する報いとは無関係だ。
 彼はそう思ったが、口には出さなかった。
「もう、いやだ。こんなのない。あいつら、絶対許さない。あたしも死にたいよ。あたしひとりで、何ができるの。生きていけないよ」支離滅裂だった彼女の言葉は、一点に集束しようとしていた。「なんで、あたしひとり連れてきたの。ほったらかしておいてくれればよかったのに」
 独り言だったシェリルの言葉は、やがて彼に向けられた。彼は片手を彼女の手から離し、まだ震えている背中にそっと触れた。
「ごめん、そうだね。君がそんなに思ってるんだったら、連れてくるべきじゃなかった」
 その時生まれた、ほんの小さな失望と悲しみの塊は、シェリルの胸に満ち満ちている、仲間の死に対する悲哀とは、また別のものだった。
 違う。私は彼にそんなことを言って欲しいんじゃない。
 けれど、では何を望んでいるのか分からなかったし、それを深く探る余裕などなかった。シェリルは弱々しく頭を振りながら、違う違うと呟いた。
 背中に触れていたコヨーテの手が、頭に触れた。髪をそっと撫でられる。体に馴染んだその仕草は、シェリルを大きく安心させ、そしてまた悲しませた。
「来るか来ないか分からない人間を待ってられないから、やっぱり様子を見にいったんだよ」
 彼女の髪を撫で続けながら、彼は言った。
「まだ生きている君を、目の前で死なせたくなかったんだ」
「勝手なことしないでよ。だってあたしひとりじゃ、生きていけないのに。苦しくて生きていけない」
 シェリルの目から、再び涙が湧いた。本当に苦しい。苦しさのあまり死んでしまえたらいいと思った。
「シェリル……」
 頭を撫でていた手に、ためらいがちに力がこもり、囁きと共に静かに抱き寄せられた。
「もう寝よう。まだ体が治ってないんだ」
 膝をついていたコヨーテは、シェリルの手を握ったまま、寝台に乗り上がる。上体を起こしたままの彼女を抱えるようにして、隣に共に体を横たえる。
 掛け布の下で、ふたり分の体温にくるまれると、意志に反して意識の一部がぬるく弛緩する。けれど彼女の仲間たちは、もうこんな安らぎを味わうことはない。
 もう一度すすり泣き始めるシェリルの頭を、向かい合わせに横になったコヨーテが抱き寄せる。彼女も腕を伸ばして彼の背中に縋りついた。右腕の傷がひきつるように痛む。
「ひとりにしないで」
 嗚咽混じりの呟きをやっと漏らすと、抱き締められた腕に力がこもった。シェリルの顔は彼の胸に強く寄せられる。蝋に似た彼の匂いが微かに鼻腔に入り込んだ。
「お願いだから、少しだけでいいから、そばにいて」
 途切れ途切れに言葉を紡ぎながら、必死でその背中に回した腕に力を込める。そうすると傷が痛んだ。応えるように、コヨーテの腕の力も増々強くなる。
「いるよ」
 彼の囁きが髪を微かに揺らし、額を撫でた。
「大丈夫。そばにいるよ」
 彼女の小柄な体をきつく抱き締めながら、彼の声もまた僅かに震えた。
 シェリルがあれほど頼りにし、生きる為に助け合っていた彼女の友人たちは、永遠に失われてしまった。
 今、彼女を助けてやれるのは、彼だけなのだ。彼の胸を熱く濡らしながら縋りつく彼女が、たまらなく哀れで愛しい。
 両手で抱き締めるだけでは飽き足らず、顎を寄せてシェリルの頭を抱え込む。彼女が嗚咽する度に震えが伝わってきた。
 次第に歔欷の声も収まっていく。彼の背中に回されたシェリルの小さな手から、力が少しずつ抜けていった。
 泣き疲れて、再び眠りに入った彼女を抱き締めたまま、彼も目を閉じた。
 シェリルの体温を感じながら、心の奥底、光の差さない夜の海底から、音の無い津波のように湧いてくる感情を覚えた。
 それは恐怖だった。

 <第五話 終わり>


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re: 拍手お返事 >Kさん 

拍手、ありがとうございます♪

どうして彼が恐怖を覚えたか…に関しては、六話を通して述べたいと思います。
…きちんと伝わるように書けているといいんですけど…。
あと一話ですので、頑張ります!
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