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ココナッツ図書館 夜間書庫

魔女とコヨーテ」
第六話 道の先

第六話: 道の先 2

2009.10.07  *Edit 

 シェリルにとって、生涯で最も悲劇的な夜が訪れたのは、春の盛り。春分の翌月のことだった。
 心の中を荒れ狂う、激しい感情に焼き尽くされ、憤怒を全て吐き出した後は、悲しみと呼ぶこともできないほど、色の無い虚しい絶望が残った。 

 幸か不幸か、重傷を負っていたシェリルは、最初に意識を取り戻した夜以来も、微熱が続き、眠り続けることが多かった。
 時折目覚める度、彼女は泣いた。
 無実の彼女たちを勝手に疑い、監禁して仲間を殺した暗殺者ギルドを呪った。
 大きな意義も無い義侠心から、盗まれた指輪を買い取り、西に持ち出そうとした男爵を、愚かで軽率だと罵った。それをけしかけた魔術師ギルドも無責任だと責めた。
 そんな男爵と家族に同情し、指輪を見つけながら、むざむざと目の前で奪われてしまった自分を許せなかった。
 彼女が強引にでも、男爵の息子から指輪を取り上げようと目論んでいたその夜に、これ以上ないほど皮肉な折りに現れた、教皇庁からの使いも、殺されて当然だと思った。彼らさえ現れなければ、せめてもう半日、現れるのが遅ければ、約束の期限に間に合ったのだ。
 そしてシェリルが目覚めるたび、必ずそばにいて、泣き喚く彼女を柔らかく抱き留める男も憎かった。彼が最初から隠し事などせず、もっと協力してくれれば。教皇庁の司祭から指輪を奪い返してすぐ、邪魔をせずに彼女を出発させてくれれば、間に合ったかもしれない。
 そうでないなら、男爵やその家族に情をかけるシェリルを騙してでも、指輪をさっさと取り返して、あの男の元に届けさせてくれれば。
 そもそも彼が指輪など盗まなければ。
 そして何もかも終わってしまった時になって、何故、彼女をあの凄惨な場から連れ出したりしたのだろう。あの場で仇を焼き払い、そして彼女自身も仲間と共に、炎に巻かれて灰になってしまったら良かった。神の王国の時代に蘇るより、仲間と共に永遠の暗い安息に浸っている方が幸せだ。
 何もかも憎かった。自分も。すべて。
 騎士から依頼が来た時に、何かがおかしいと気づかなかったのか。
 皆がシェリル一人を解放しようとした時、説得して別の仲間を旅立たせ、魔術師の彼女は残るべきではなかったか。縛られていたとはいえ、どこかで術を使う隙があったかもしれない。敢えてそうせず、仲間の言葉に甘えて、コヨーテと共に解放されることを選んだのは、いざとなれば自分だけは生き残れるという思惑が、皆無だったと言い切れるのか。
 コヨーテのそばにいたかったという理由を否定できるのか。
 結局彼の助けがなければ何もできず、最後に捕まえた機会も、自らの甘さの為に、粉微塵にしてしまった。
 甘いのは、無意識に周囲の人間や状況や運に期待していたからだ。暗殺者ギルドの人間が、仲間に情をかけてくれるかもしれない。コヨーテが何とかしてくれるかもしれない。仲間たちが自力で無事に逃げているかもしれない。
 誰かが手を差し伸べて、最悪の事態から救ってくれるかもしれない。だって、私はこんなに一生懸命にやっているのだから。
 人間を愛する存在としての神を信じてもいないくせに、そうした大きな力の助けをどこかで求めていた自分の甘さに、暗い嘲笑が湧いた。吐き気がする。
 神がいたとして、シェリルに助けを出してくれるわけがない。危機感に焦りながらも、飲み食いし、夜には眠り、時には笑い、あまつさえ男と抱き合っていた彼女よりも、他に救うべき人間はたくさんいるはずだ。
 しかもその男に助けられ、こうしておめおめと生き残っている。体があまり動かせないとはいっても、方法はあるはずなのに、仲間の後を自ら追う勇気もない。
 自分が憎くて、世界中が憎かった。


 意識を取り戻した翌日、コヨーテは彼女の為にスープを持ってきてくれた。腹が減ってはいたが、吐き気がして食べる気にならなかった。
 泣きながら断る彼女に、彼はほとんど無理矢理、食器に掬ったスープを押し込んだ。温かい塊は喉の奥から腹に下り、冷え切っていた体に小さな種火を灯した。
 翌日も、彼はひとくちだけ、彼女の口にスープを押し込んだ。
 その翌日、内臓に達していた短剣の傷も癒えかけ、衰弱からやや回復したシェリルを、コヨーテは引きずるように寝室から連れ出した。丸二日泣き続け、涙も枯れた彼女には拒否する気力も無かった。
「お腹空いてるでしょ。少しはまともに食べないと、体が参っちゃうよ」
 静かに言いながら、彼に手を引かれて廊下を歩く。眠り続けて体の力が衰え、そうでなくても指輪を取り返してから無理を重ね、大きな術を使った彼女の体は、ふらふらだった。
 しかしシェリルの頭は、いましがた目覚める前に見た夢のことで一杯だった。
 久し振りに見た夢には、厳しい顔の師匠が現れた。言葉は無かったが、彼女の意志は伝わってきた。
 すぐに魔術師ギルドに来い。
 目が覚めても、師の意志ははっきりと脳に刻まれている。ただの夢ではない。シェリルが眠っている間に、彼女が思念を送ってきたのだ。
 理由は一つしか考えられない。シェリルが己の大量の血を使い、『灼熱の英霊』を召喚したことだ。彼は元々、シェリルの師匠と契約を結んでいた精霊であり、無論その契約は未だに有効である。師はあの夜、『灼熱の英霊』が実体化したことを知ったに違いない。
 魔術師の術は、私利私欲の為に行使することは許されない。
 実際は、それは大まかな原則であり、厳密に監視されていることではない。突き詰めれば、魔術師は誰もが己の欲――知識欲や好奇心のために、研究を重ねているからだ。
 殺人や詐欺、盗みといった、明らかな犯罪行為に手を染めたり、ギルドに不利益をもたらさない限りは、シェリルのような冒険者稼業程度なら、黙認されている。
 しかし『灼熱の英霊』のような、強大な精霊を物質界に呼び出したとなれば、話は別だ。精霊の召喚は元来危険な術であり、万全の準備を整えて行うものである。仲間を殺された復讐を果たす為に、衝動だけで呼び出していいものではない。
 師匠がシェリルを召還し、事情の説明を求めるのも、当然と言えた。シェリルの独立は、師匠の責任に於いて認められたものである。彼女が不祥事を起こせば、師もギルドに対して責を負わねばならない。

 シェリルが考え込む間も、勿論そんなことなど知らないコヨーテは、彼女の手を引いて、階段をゆっくり下りる。
 予想した通り、ここは宿屋らしい。階段の下はすぐ食堂に通じているらしく、喧騒と酒の匂いが漂ってくる。それだけでも僅かに吐き気を覚えたが、強く握り締められたコヨーテの手を振りほどいてまで部屋に戻るのも、それはそれで億劫だった。
 彼は旅の商人らしき一行が集まっている卓から、かなり離れた隅の席を取った。隣同士並んだ椅子に腰掛け、給仕娘に料理と飲み物を頼む間も、彼女の手を離さない。
「少しでいいから食べてよ」
 シェリルの右手を握り直し、彼が顔を覗き込む気配がするが、彼女は俯いたままだった。
 それきり飲み物が来るまでの間、二人は口を噤んだまま沈黙を分かち合った。コヨーテは時折脚を組み替えたりしたが、シェリルの手をずっと握り続けた。
 彼が頼んだ柑橘の果汁を、慌ただしげに給仕娘が置いていった後も、シェリルはそれに手をつけなかった。
「ねえ、シェリル。顔上げないと、首痛くなっちゃうでしょ。まず、飲んで」
 コヨーテは、うなだれた彼女の頭に手を掛け、軽く持ち上げさせた。
 目の前に、透き通った香りを放つ、瑞々しい果汁の入った杯が置かれる。渇いていた喉に、果物の芳香が沁み渡る。
 シェリルは魅せられるように、コヨーテから離した右手をぎこちなく伸ばし、杯を掴んで中身を口に含んだ。
 砂地に水が吸い込まれるようだった。体の隅々にまで、清々しい冷たさが届く。彼女は喉を鳴らして、一息に果汁を飲み干した。
 杯を置き、溜め息を吐き出したシェリルの右手を再び彼が握る。彼女は反射的に彼に目を向けた。そうしてまともにコヨーテと向かい合うのは、意識を取り戻した夜以来だ。
 ふたりは少しの間、互いを見つめ続けた。一方は複雑な訴えを込めて。もう一方はまだ半ば朦朧としたまま。
「シェリル」
 やがてやっとコヨーテが彼女の名を呼びかけたが、その後すぐに言葉は続かなかった。視線を巡らせた彼がもう一度口を開こうとした時、湯気を立てたスープと茹で野菜が運ばれてきた。
「まあ、食べて」
 穏やかな呟きと共に、スープの皿がシェリルの前に押しやられる。牛乳と野菜の温かな香りに包まれて、彼女は久し振りに心底空腹を覚えた。考えてみれば、教皇庁の司祭から指輪を取り返してから数日、まともな食事は取っていない。
 彼に向かって頷き、食器を取り上げてスープをかき混ぜて冷ました後、一口含む。食するために、人の手が加えられた食べ物独特の、柔らかい味と香りが口と鼻に広がった。体が温まる。
「美味しい?」
 料理に手もつけず、テーブルに頬杖をついてシェリルを眺めているコヨーテに尋ねられ、彼女は頷いた。
「うん、おいしい」
「よかった。ゆっくり食べて」
 彼も頷き返し、野菜が盛られた皿に手を伸ばした。
 食べ物が胃に入ると、忘れていた飢餓感が刺激された。湯気を立てるスープを冷ましながら、シェリルは夢中でスープを啜り続けた。寝床で毛布に包まって眠り続けた為に、体は温かかったが、それとは違う、芯からの緩やかな熱が疲れて固まった体をほぐしてくれるようだった。
 口に含む食事も、腹に灯った緩やかな火も、隣から彼女に時折向けられる視線も、すべてが温かい。

 突然、右手から力が抜けた。小さな音を立て、スプーンを握ったままの手が、力なくテーブルの上に落ちる。
 顔に熱が溜まって、涙が溢れ出した。
「うわあああっ……」
 一瞬の後、背を丸めたシェリルの喉から、振り絞るような泣き声がほとばしった。
 怒涛のように溢れかえる感情を、こらえるどころか、自覚する間も無かった。
 お腹が空いて、こんなに温かい食べ物を食べて、眠いから、温かい寝床で眠る。
 どうして平気でそんなことができるのだろう。仲間たちは彼女の為に死んでしまい、もう食事も眠りも味わうことはできない。温かいと思うことすらない。
 彼らを差し置いて、ひとりこんな温もりを貪るなんて、彼らを失ったことが悲しくはないのだろうか。皆、シェリルのせいで、冷たく深い虚無の闇に眠っているというのに。
 数え切れないほど、こうして質素な食事を共にした仲間たちと、もう卓を囲むことはない。二度とない。食事を楽しんだ時のことではなく、冴えた月光の下で、倒れ伏す彼らを見つけた時の記憶がまざまざと蘇った。
 もう彼らはいなくなってしまった。
「ううーっ……。ううっ、うっ……」
 俯いたまま、唸るような声を上げて、涙を流し続けているシェリルを、隣に座っている彼は少しの間、呆然と眺めた。たった今まで、微笑みに近いほど穏やかな表情を見せていた彼女が、だしぬけに顔をくしゃくしゃにして泣き始めたことに、頭が追いついていけなかった。
 涙を拭いもせず、食器を握った手をテーブルに置いたまま号泣するシェリルに、食堂中の視線が集まる。喧騒は止み、彼女の動物じみた泣き声だけが、酒の匂いに満ちた空間に響いていた。
「シェリル、一度部屋に戻ろう」
 我に返った彼は立ち上がって、シェリルの手からそっとスプーンを外し、背中に手をかけて立ち上がらせようとする。
 彼女は首を振ったが、体の動きは彼に逆らわず、立ち上がろうとした。しかし一度体が浮いたところで、また膝から力が抜け、小さな体は力なく椅子に落ちた。
「こんなのない……」だらりと腰掛けたまま、彼女は首を振り続けた。「もう皆いないなんて、信じられないよ。あたしひとりだけ、呑気にごはん食べてるなんて、許されないよ……」
「シェリル、そうだね。部屋に戻ろう」
 子供に言い聞かせるように穏やかに囁き、彼は彼女の肩を両手で抱いて、立ち上がらせた。彼の体にもたれかかるようにして、シェリルはやっと腰を上げる。
「なんでお腹空いたりするんだろ。なんで平気でぐうぐう寝てられるんだろ。あたし、人間じゃないのかな。悲しくないのかな」
 彼の体に縋ったまま、妙に平坦な口調でシェリルは呟き続けた。先ほどとは打って変わった抑揚のない声に、彼は背筋が冷える思いがした。 
「おい、にいちゃん。そんな可愛い子泣かすな」
 近くのテーブルに座っていた男が、様子を伺うように冗談めかして声をかけてきたが、答える余裕がない。シェリルが精神の均衡を崩しつつあるのではないか。考えると唇が震えた。
「いやだ。やだよ。戻ってきてよ、マライア。やだああああ……」
 俯くように彼にしがみついていたシェリルが、ひときわ大きな声をあげたと思うと、彼女の体は彼から離れて仰け反った。嗚咽の隙間から苦しげな息が漏れ、声が途切れる。震えるシェリルは仰け反ったまま、腕だけを伸ばして、彼から後ずさるように、数歩よろけた。
 泣き続けた赤子のように、ひきつけを起こしているのだ。 
 彼は慌てて彼女を抱きとめ、背中を支えた。何かを捕まえようとするように、宙に手を伸ばしたまま、涙を流し続けながら、彼女は小さく震えている。喉からひくひくと浅い呼吸の音が聞こえた。
「おいおい、大丈夫か?」
 先ほど声をかけてきた男と、同じテーブルに座っていた数人が、ただならぬ様子の彼らに気づき、立ち上がって近づいてくる。
 男たちの親切心の中にある好奇を感じ取った彼は、余計な世話だと怒鳴りつけたいのをこらえ、シェリルを抱え直して穏やかに首を振った。
「大丈夫です。色々あって、疲れているようなので、部屋で休ませます」
 丁寧な口調ながら、彼の言外の圧迫を感じたらしい、気のいい隊商の一行は、曖昧な笑いを残して席に戻る。
 彼女を抱えたまま背中を静かに撫で続けていると、やがて息遣いは穏やかになってきた。感情が高ぶるあまり起こった、一過性の痙攣だったようだ。
 彼は、痙攣は収まったものの、まだ号泣を続けるシェリルを羽交い締めにするように抱きかかえ、やっとのことで階段を上らせて、寝室まで連れて行った。そこかしこから集まる好奇の目が痛い。他人の注目を集めることが嫌いな彼には、ほとんど苦痛と呼べた。
 寝室に戻り、力の抜けきった彼女を抱えたまま、寝台に腰を下ろす。思わず大きな溜め息がついて出た。
 開け放した窓から、春の宵の口の、薄紫の闇が見える。間もなく陽は完全に沈むだろう。部屋の中も、急速に夜に侵食されつつあった。
 彼はしばらく、シェリルを膝の上に座らせて抱えたまま、ぼんやりと寝台に座り込んでいた。慄く彼女の嗚咽だけが、哀しく響いている。

 やがてシェリルの泣き声も小さくなり、鼻をすする音と、喉から絞るような掠れた声だけが、時折漏れるようになった。
 彼女の重みで痺れた膝をゆっくり伸ばし、立ち上がる。小柄な体をできるだけ優しく、寝台の上に横たえた。されるがままのシェリルは、枕に顔を埋め、まだ肩を震わせている。
「シェリル」頭を撫でながら、彼は囁いた。「僕はお腹空いたから、下で少し食べてくるね。すぐ戻るから。……ひとりで大丈夫?」
 答えは無く、まだ微かに震える彼女の、呻きに似たすすり泣きが返ってくるばかりだった。彼はもう少し、その頭を撫で続けると、ゆっくりと寝台から身を起こした。
 実際、腹は減っていた。
 シェリルをどうにかあの廃屋から連れ出し、王都でも目立たない一角にあるこの宿を取ってから数日、彼もまともに食事を取っていない。

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