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ココナッツ図書館 夜間書庫

魔女とコヨーテ」
第六話 道の先

第六話: 道の先 4

2009.10.12  *Edit 

 翌日、シェリルは再び寝室で一日過ごした。
 できることなら眠ったまま目覚めなくていいと思っていたが、傷が癒え、体力が回復するにつれて、眠りは浅くなり、そして徐々に横になっていても、眠りに入りづらくなってきた。
 眠りが浅くなると、夢をよく見た。
 大抵は、目が覚めた時によく覚えていない。マライアたちと過ごす夢であったり、もっと小さな頃の夢であったような気がした。
 しかし非常にはっきりと記憶に残る夢も見た。師匠が顔を覗かせる夢である。まだ彼女はそれほど強力な術を使っているわけではないようで、目覚めている時に思念が入り込んでくるわけではなかった。だがこのまま無視し続けていれば、やがてもっと強い念を送ってくるようになり、いずれは彼女の使いか、または彼女自身が姿を現すだろう。
 朝と晩に、コヨーテがスープの入った皿を持ってきてくれた。食べたくないと思ったが、昨日胃に食べ物を入れたおかげで、体は強烈に空腹を訴えてくるようになった。
「僕の為だと思って食べてよ」
 卑しい自分の体を忌々しく思いながら、温かい香りに耐えていると、彼は強引に匙を彼女の口に押し込んだ。
 いっそ吐き出して、このまま餓死してしまっていい。しかしそんな考えも、一瞬で溶け去った。もう失うものなど何もないと思っていたのに、そうではなかったと思い知らされつつ、彼女は力なく、彼が押し込んでくる食べ物を、罪悪感の内に味わった。
 シェリルが寝室に籠っている間、コヨーテはずっとそばにいた。彼女が何度か浅い眠りに落ちた後に目を覚ます時、彼は必ず部屋にいて、彼女に向かって目元だけで微笑んだ。
 その度に僅かに安らぐ、安穏とした自分の心が許せず、そしてそうさせる彼も苛立たしい。しかし彼にその苛立ちをぶつけてしまえば、彼は溜め息だけを残し、彼女の望み通り去っていくだろう。それには耐えられない。
 死んでしまいたいと思う一方で、まだ様々なものに執着を残している自身を、薄汚く思った。どこまで甘えた人間なのだろう。


 夜になって、尿意を覚え、シェリルは無言で寝台から立ち上がった。
「トイレ?」
 それ以外の用事で、彼女が自発的に部屋を出ようとすることはないが、コヨーテは問いかけてくる。彼女が小さく頷くと、彼は今までと同じように、外套を取って彼女の肩に掛け、手を引いて外に出た。
 時刻は真夜中に近いようだ。食堂の客も引けて、静まり返っている。食堂の裏側にある勝手口を出ると、厩と厠がある中庭に出る。
 欠け始めた月が、雲間から夜の街を照らしている。王都の中でも、比較的治安もよく、落ち着いた一角にあるこの辺りは、夜中には喧騒も治まって静寂が漂う。静まり返った夜に、淡い月明かりの下で手を繋いで歩いていると、まるで世界中にふたりしかいなくなってしまったようだと、彼も彼女も同じことを考えた。
 厠の扉の前で彼はシェリルの手をやっと放す。彼女は僅かに気まずそうに俯き、扉を開けて厠へと入った。彼女が用を足す間、彼は扉の外で待っているのだ。
 王都の辺りは春になっても、湿気が多い。彼が春霞にまみれた月をぼんやり眺めていると、宿の勝手口から千鳥足の男が出てきた。用を足しに来た酔っ払いだろう。厠にまで彼がついてくるのを、シェリルはあまりありがたく思っていないようだが、やはり一人で来させなくてよかったと思った。
 彼は厠に先客がいることをさりげなく知らせようと、立ち塞がるように、男と向き合った。男は赤らんだ顔を上げる。
「にいちゃん、どいてくれえ。俺、トイレ行きてえんだ」
 酒の匂いを撒きながら、まだ彼と同い年くらいの若い男は、呂律の回らない声で言った。
「今、塞がっている」
 硬い声で応じると、男はにやつきながら、よたよたと近寄ってくる。
「嘘つけえ。誰が入ってるんだ。入れてくれよ、漏れちまう」
 股間を押さえていた男は、彼の真向かいに来た。
 その肩に力が込められる寸前、彼は足を振って男の手元を蹴り飛ばす。男が隠し持っていた小振りの短剣が、銀の光を残して宙に舞った。
 驚愕する男の右腕を左手で捕え、すかさず抜いた短剣を首筋に突きつける。表情を固めたまま、男はおとなしくなった。
「酒かぶっただけで、酔っ払いの振りができると思ってんのか。甘く見るな」
 押し殺した声で言いながら、男の脛を蹴って膝をつかせると、素早く男の後ろに回りこみ、掴んだ右手を捩じり上げた。
「いっ、いてえ。……待って!」
 後ろから首筋に突きつけた短剣に力を込めると、僅かに喉の皮膚が裂け、男はか細い悲鳴をあげた。
 無論すぐに殺す気はない。酔っ払いの演技すらできない、この程度の腕の男が、暗殺者ギルドからの刺客のはずはないが、男が何故彼を狙ったのか、吐かせなければならない。
「何を待てって言うんだ。いきなり人に向かって斬りつけてきて、どういうつもりだ」
 さらに男の首筋に短剣を寄せる。男は体を震わせて再び悲鳴をあげた。
「待て! 違う。違うんだ。殺さないでくれ」
「何故、俺を狙った? 誰に頼まれたんだ? 話によれば見逃してやる」
 低い声で尋ねると、息を呑むような細い悲鳴をあげ、男は震える声を押し出した。
「り、理由なんかねえ。金が欲しかった……」
 一聞して偽りだと分かる言い訳を吐く無能な男の首を切り裂いて、素早く振り返る。彼の鋭敏な耳は、背後からの別の足音を聞き分けていた。
 剣を構えたもう一人の男が、数歩の距離まで近づいていた。振り向いた彼に向かい、踏み込んで剣を振り上げてくる。下がってその一撃をかわした。
 舌打ちをしたかった。長剣の方は部屋に置いてきてしまった。
 剣を握る壮年の男は、先ほどの若い男に比べれば、なかなかの腕だ。彼は慎重に動きを見て、男の攻撃を避けていたが、まだ男は呼吸も乱していない。短剣だけでは、その攻撃をかいくぐって反撃する隙も無かった。このまま立ち回りを続けていれば、やや体が弱っている彼の方が体力が尽きてしまうかもしれないし、何も知らずに厠からシェリルが出てきてしまえば、危険だ。
 仕方ない。
 短剣を左手に持ち替える。大きく後ろに下がって間合いを取ると、髪の間の隠していた長針を投擲した。何かが投げられたことに男は気づいたようだが、重く長い剣では、至近距離から放たれたものを叩き落す動きが間に合わず、それは男の鎖骨の辺りに突き刺さった。
 顔を顰めた男は、さらに彼に向かって踏み込もうとしたが、よろけて膝をつく。動きが鈍った男の手を蹴りつけ、剣を弾き飛ばした。男は呻きながら上体を大地に沈める。
 あまり長針を使いたくなかった。針を作らせている鍛冶屋や、麻痺毒を調達している店にも、暗殺者ギルドの手が伸びているだろう。少なくとも王都では、当分補充できない。それに男を尋問して、雇い主を吐かせなければならないが、麻痺毒で倒れたものを介抱するのは面倒だ。
 彼が小さく溜め息をついた時、視界の端で何かが動いた。

 咄嗟に左手に握った短剣で、飛来したものを弾き飛ばす。しかし凄まじい勢いで放たれた、重い太矢はまた、彼が握っていた短剣もその手から弾き飛ばした。
 まだ、いたのか。
 矢が飛来した辺りに目を向けると、厠近くのやや離れた場所で弩を放り出し、小さな弓を構える男の姿が目に入った。剣を持った男と立ち回りを演じていたせいで、気配に気づかなかったのだ。相手は立ち回りが終わり、彼が動きを止める瞬間をずっと狙いすましていたに違いない。太矢を弾き返せたのは、偶然に近い幸運だった。
 男は強力だが、矢の装填に時間がかかる弩を捨て、速射の効く弓を使う気だ。このままでは狙い撃ちである。男との距離を詰めなければならない。
 丸腰の彼は、弾かれた短剣を拾うか、倒れた男の長剣を掴むか、一瞬判断に迷った。弓の扱いに慣れたらしい、襲撃者が矢を番えるには、十分な時間だった。

 彼が地面に転がるようにして短剣を拾い上げるのと、弓を構えた男が胸元を押さえながら、くず折れるように膝をついたのは、ほぼ同時だった。
 崩れた男の背後に、立ち尽くすシェリルが見えた。腕から肩にかけて、黒い返り血を浴びている。短剣を拾い上げた彼は、慌てて彼女に駈け寄った。
「大丈夫?」
 声をかけてきたのは、シェリルの方が先だった。彼は頷きながら、そっと彼女を押しやる。弓を構えた男は、シェリルによって背中に短剣を突き立てられていたが、まだ生きている。
「おい」
 短剣を握ったまま、男の胸倉を掴んで体を起こさせた。男は苦しげに顔を上げる。衰弱したシェリルの一撃では、とても深手には至らなかったようだが、刺された痛みに喘いでいるらしい。
「まだ傷は浅そうだな。誰に頼まれて、俺を狙った? 正直に話せば、手当てしてやってもいい」
 男は彼の酷薄な視線に怯えるように目を見開き、荒い息を吐き出した。
「俺が誰だか知ってて狙ったかって、聞いてんの」
 男を乱暴に揺さぶりながら、低い声で恫喝するコヨーテを横目で見ながら、シェリルの背筋もすっと冷たくなった。彼のこんな声を聞いたのは、随分久しぶりだ。彼女の目の前で、彼の名を騙っていた男を始末した時を除き、たとえ喧嘩していたり、剣を向け合っている時であっても、コヨーテの声はどこかに温かみがあった。
「すまん、知ってる。……あんた、コヨーテだろ?」震える声を男は絞り出した。「助けてくれ。頼む」
「事情によるよ。話してみな」
 一転して、コヨーテの声は穏やかになった。男を睨み据えていた視線も和らぐ。
 彼の尋問は巧みだった。緩んだ彼の視線に僅かな希望を見出し、返答を考え始めた男に、再び鋭く言い放つ。
「考える必要はない。正直に言え。つまらない嘘を吐くなら殺すだけだ」
「金だ」尖ったコヨーテの視線を受け止められず、目を逸らしながら男は答えた。「賞金だ」
 シェリルは息を呑んだ。コヨーテに賞金がかかっている。今まで聞いたことはないが、彼の仕事なら無理からぬことだ。役人か、貴族か、傭兵ギルドか。見当がありすぎて推測できない。
 男の胸倉を掴んだままのコヨーテ本人は表情を変えずに、男に重ねて訊いた。
「賞金? 俺に?」
「あんたと、その娘にもだ」
 男の言葉を聞いて、シェリルは足元が崩れるような錯覚を覚えた。コヨーテだけでなく、彼女をも狙って賞金をかけている
 そんな心当たりはひとつしかない。
「どこでその話聞いたの?」
「おっ、俺が聞いたのは、傭兵仲間からだ。でも、おおっぴらに話が広まっているわけじゃねえ」
「口コミか。賞金はいくらだ?」
「一人金貨十枚だ。二人一緒なら、三十枚……」
 ぞっとした。破格の金額だ。シェリルたちが、冒険者として最も危険な、怪物退治の仕事を引き受けても、金貨にして五、六枚にしかならない。
「賞金を掛けてる大元は、あんた知ってるの?」
 シェリルには既に予想がついていることを、コヨーテは男に尋ねた。男は小さく首を振る。
「すまん、知らない。でも、傭兵ギルドの幹部に聞けば、分かるかも……」
「そこまでしなくていいよ。ありがとう」
 抑揚の無い声で呟くと、彼は男の喉を確かな動作で切り裂いた。

 返り血を器用に避け、男の体を放り出したコヨーテは、衝撃に呆然とするシェリルに目を向ける。
 シェリルとコヨーテ、二人に賞金を掛けるような相手は、暗殺者ギルドだけだろう。
「大丈夫?」
 コヨーテの唇から聞こえたのは、聞き慣れた穏やかに澄んだ声だった。シェリルは黙って頷く。
「助かったよ、ありがと」
 今しがた人を殺したばかりの手で肩を軽く叩かれても、彼女は安堵しか覚えなかった。
 彼が無事で良かった。それだけだ。無抵抗のまま黙って殺された男を哀れむ隙間も無い。

 厠で用を足した後、中でぼんやりしている内に、外のただならぬ物音はシェリルにも聞こえてきた。扉を細く開けて様子を伺うと、男と剣戟を演じるコヨーテが離れた所に見え、その手前、彼女に近い場所には、弩を構えているもう一人の男の後姿が見えた。
 声を放つ間もなく、男は弩を放ったが、目の前の男を倒したコヨーテは、奇跡的にそれを弾き飛ばした。
 後は夢中だった。腰に下げていた弓を構え直して矢を番える、隙だらけの男の背中めがけ、シェリルは腰から抜いた短剣を埋め込んだ。
 哀れみも罪悪感も、欠片もなかった。
「聞いてた? 参ったね」
 シェリルの隣で腕組みをしたコヨーテの溜め息は深い。口調も表情も穏やかだったが、内心はそれほど余裕があるわけではなさそうだ。
「暗殺者ギルド? あんなに高い賞金を掛けてるの……」
 まだ掠れ気味の声で尋ねると、彼は頷いた。
「それしか考えられないね。刺客も放ってるだろうけど、傭兵相手に賞金掛けるとは、考えたねえ。……金額が高いのは、多分まだ僕か君が、指輪を持っているかもしれないと思ってるからじゃないかな」
 彼の推測が正しいとすれば、恐らく資金源は辺境伯だろう。傭兵相手だけでなく、じきに王領近辺の役人にまで、犯罪者として手配が回るかもしれない。
「とにかく、すぐに宿を移ろう。部屋に何か残してきた?」
 コヨーテの問いに、首を振った。短剣は肌身放さず持っているし、外套も持ってきた。
「じゃ、このまま出よう。手だけ洗った方がいいね」
 彼に言われて初めて、シェリルは自分の両手から腕にかけて、男の返り血を浴びていることに気づいた。服についたものは落とせないが、外套で隠せる。
 井戸で両手だけを洗い、血を流す。汲み上げた水は夜空を映して暗く、冷たかった。
 コヨーテと共に、深夜の宿を抜け出して、別の宿に移る。一体、何の為に。そうまでして生き伸びたいのだろうか。その先に何があるのか。仲間たちはこの冷え切った水の中のような、無情な場所で眠っているというに、彼女ひとりでそこから逃げ出そうと這いずっても、何の意味があるだろう。大体、シェリルにそんな資格はない。
「く……」 
 再び、果てしなく虚ろな寂寥に突然襲われ、水で濯いだ両手を顔に押し当てた。
 井戸の前で屈んだまま、咽びをこらえて肩を震わせるシェリルの肩を、温かい両手が後ろから静かに抱いた。

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